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お久しぶりです。
今回はちょっと文が長めです。
四時の鐘が鳴り終わってから、しばらくするとルドルフが執務室を訪ねてきた。
何か火急の用でもあるのかと身構えたが対する老紳士は笑顔のままだ。
―否、ルドルフと生まれた頃からの付き合いであるリアンにはわかる。この緩く上がった口角と半月を描く目をしている時は怒りを全身で表している時だ。
「殿下は国民に過労死したという愚かな最期を晒すおつもりですか」
そこから始まる一切の口を挟ませない怒涛の言葉の雨。むしろ嵐と言える。
飛び出てくる言葉は辛辣で棘どころか巨大な槍となってぐさぐさとリアンの胸を貫通していく。そこから間髪入れずに次の槍が飛んでくるものだから、どうしようもない。
どこで息継ぎをしているのかという程流れる濁流となぜか崩れない笑顔。
これ以上怖いものがあるだろうか。
ようやくルドルフが口を閉じたのは五分も経たない頃だった。
リアンには永遠のように感じられた時間も五分以内にすべて凝縮するところがまた恐ろしい。
マリアやギルヴェールは適当に言い含められるが、ルドルフに舌戦で勝てたことなどない。というか勝てるとは思えない。
そういうわけで、と執務室を追い出されまた少なくとも明日一日は休むようにと言いつけられた。
休暇を延ばしたいのであれば遠慮なくどうぞ、と最後まで好好爺を崩さず閉まっていく扉に間抜けな顔しかできない。
ちなみにそれを目撃したギルヴェールの肩が若干小刻みに揺れていた気がするがあえて無視をした。
夕食を済ませ、久々にゆっくりと湯浴みをする。
少なくともフェレスが来てから一度もこうやってゆったりと時間の流れを感じることはなかった。
マリアも今日は心ゆくまでリアンの世話を焼けると張り切って湯浴みの用意をし、いつもは入れない香草まで湯に浮かべていた。
おかげで暖まった体からは、優しいハーブの香りがしてくる。安眠効果も含まれていると言っていたから、きっとすぐに眠気が襲ってくるはずだ。
伊達に仕事狂いと呼ばれていないほど仕事に浸るリアンは、徹夜で評議会に上げる議題を考えることはざらだ。
しかしそれもギルヴェールが付いてからはしていない。
綿のシャツに身を包み、髪を梳いてしまえばすっかり就寝準備の出来上がりだ。
「マリア、今日はもう寝るから下がって大丈夫だ」
「前もそう言って寝室で仕事していたじゃない」
「あの時は切羽詰っていたから…。今日は香草のおかげで眠い、すぐ寝るよ」
「そう。ならお言葉に甘えるわ。隣の控え室にはいるから何かあったら呼んでね」
仕事をしない、と言っただけであからさまにほっとされる気持ちも複雑だ。
それでもマリアにはいつも遅くまで付き合ってもらっているし、彼女もやりたいことがあるだろう。
明日は彼女にも休みを出してあげようと決める。
「外のギルヴェールにも今日は早めに切り上げていいと伝えてくれ」
「…あの堅物男に言っても聞かないと思うわよ」
それでも自分が言うよりマリアから伝えた方が信憑性は高いだろう。
マリアと就寝の挨拶を交わして彼女が退出していく。
居間の扉から入った隣の部屋がリアンの寝室だ。
構造として侍女の控え室の横に居間がありその隣に寝室となる。寝室は外からも扉があるのでギルヴェールはこの扉の前で警備をしているわけだ。
寝室は当然明かりはついていない。居間の明かりも落としてしまえば、部屋を照らすのは月光だけとなる。
今夜は雲がかかっているのかうっすらとしか家具の輪郭が見えなかった。
どうせベッドまでそう距離もない。ベッドにつくまでの間に目も慣れてくるだろうと思った。
その時だ。
「っ!?」
今までリアンの呼吸音しか聞こえなかった部屋に、空気を切る鋭い音がした。間一髪のところでかわし後ろへ下がるとそれが銀色に輝くナイフだとわかる。
そして、一瞬の月光に当てられ姿を現したのは黒装束に身を包んだ男だった。
「…貴様、何者だ。どうやってここに侵入した」
「…これはこれは。リアン王子殿下、ご機嫌麗しゅう」
その声はしわがれていて調子のはずれたように高かったり低かったりしていた。
まるでなんともないかのような挨拶により一層警戒心が高まる。
「まさか、初撃をかわされるとは思いませんでしたよ。ワタクシの特技は始めのひと振りで対象も気づかぬうちに死んでいる…なーんて芸当なんですがねぇ」
「質問に答えろ」
「おや、お忙しい身の上の王子様のご機嫌を損ねてしまいましたか。申し訳ございません」
「貴様がここにいるというだけでこれ以上ないくらいに気分を損ねているな」
ふざけた男だ。
殺すならさっさと殺せばいいものを、こうして無駄話をしているのは舐めているのか。
きっと、この話が終わった瞬間に先ほどとは比べ物にならないくらいの猛攻が始まるのだろう。男からの放たれる殺気がそう、物語っていた。
「ワタクシ、しがないただの一殺し屋でしてねぇ。この度は王子暗殺の依頼を承ったので、遂行しに参ったのですよ」
「その依頼主が誰かは…答える訳無いだろうな」
「一応、ワタクシにも守秘義務といったものが発生しますので」
何卒ご容赦を、とにっこり微笑んだのだろうが口元以外は全身黒ずくめだ。表情もわからない。
「さて…。王子殿下と言葉を交わせるまたとない機会なのですが、そろそろ仕事をしなければなりませんね」
「…!」
「本当に残念ですよ…王子殿下が二度とその口を開くことができないのは」
その瞬間、つま先から脳天を寒気と痺れが駆け巡った。
放たれる殺気は先ほど感じたものの比ではない。
あまりの気迫に手足が石となりぴくりとも動かすことができない。
「…っぁ」
まっすぐ胸に飛び込んできた刃をまたもスレスレでかわすことができたのは奇跡だった。
それでも二撃、三撃と怯む隙を与えない攻撃にあらゆる感覚が遮断されていく。
そして気が付けば、とんっと背中に硬い感触が伝わる。
「なっ…」
「いやぁすべて攻撃をかわせるなんて思いもよりませんでした。さすが、王子殿下」
「…貴様に…」
「はい?」
「貴様に、殺されるくらいなら!」
言い放ち、懐から短剣を抜く。
いつか、こんな日が来たときのために隠し持っていた短剣。
その刃をまっすぐ自分に突き立てようとするが、寸でのところで手首ごと壁に押し付けられる。
「…やめてくださいよ、そういうの。興が醒めるでしょう」
「いたっ…」
「ああ…いいですね、その表情。あえて急所を外して持ち帰って食べてしまいましょうか。男には興味ありませんが、あなたなら顔立ちも美しいし問題もない」
舌なめずりをする目の前の男の力がぎりぎりと手首に圧をかける。今にも骨が折れてしまいそうだ。
見えないはずの瞳がぎらりと輝いたのがわかる。
そっと顔が近づけられ、吐息が耳に流し込まれた。
「大丈夫、なにも怖いことはありません。少しの間…おやすみなさい」
耳元で囁かれた声は驚く程に穏やかで。そして狂気に満ちていた。
男はごく自然に、流れるような仕草で左手のナイフを振り下ろした。
正直、暗殺者のキャラをここまで濃いものにするつもりはなかった…
こういう意図しないキャラが一番キャラ濃いんですよねぇ
変態暗殺者、書いて楽しかったです。




