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「殿下、お怪我はありませんか」
「ない…が、あんなに強く殴らなくても良かったんじゃないか?」
気を失い、顔に大きな殴り跡を作った男が少し哀れに思える。
ギルヴェールは涼しい顔をしているがあれは相当強くいったのではないか。聞き間違えではなければ何かしらの骨が折れる嫌な音も聞こえたと思う。
対してギルヴェールは悪びれる事もなくリアンの身を案じる。
殴った手も赤くなっている、なんて事もなく全くの通常通りだ。
つくづく化物だと思う。
「殿下に手出しをしようとした以上、あれくらいで済んだ方が温情というものです」
「…お前、そんなやつだったか?」
「さあ、どうでしょうね。なにはともわれ全て片付きました」
ギルヴェールの言う通りだ。
まずはその事に安堵すべきだろうと息を吐こうとした時、一人置いてきぼりにしていた事を思い出した。
ゴルワード伯爵は連れて行く男達を信じられないものを見るかのように眺めていた。
きっと自分の中で色々説明がついていないのだろう。
言葉すら浮かんでこない様子だ。
「大丈夫か、ゴルワード伯爵」
「り、リアン殿下!!何故こんなところに…いや、それより何故…あ、いや…」
声をかければ、想像以上の慌てっぷりだ。
そういえば元々この男はその体格に似合わず穏やかな性格だったなと考える。
落ち着かせるためにあえていつもよりもゆっくり喋る。
「まずは屋敷に戻ってからにしよう。アイリス夫人がきっと首を長くして待っている」
その言葉に、ゴルワード伯爵はああ本当に全て終わったのだと、足の力が抜けて冷たい床に座り込んだ。
事は、数刻前。リアン達が出立する前に遡る。
本来、リアンはゴルワード伯爵の不正疑惑を疑い一度帰るフリをして村の住民達から情報を得てから再度領主邸に赴き伯爵を問いただす心算だったのだ。
しかし、アイリス夫人との茶会のあとすぐさま屋敷の使用人達を片っ端から捕まえ全員に問いただしたのだ。そのあと、屋敷を出てすぐに農園の村へ向かい住民達にも話を聞いた。
そこで聞いたのは伯爵が領民達に無理やり金を収めさせているのではなく、むしろ彼らを守ろうとしていた事だった。
「数ヶ月前、大国の国境の方からガラの悪い男達がやってきたのです。彼らは自分達は旅をしていてこんなに汚れてしまった、一日だけでいいから泊めさせてくれないかと聞いてきて、その時は人が良さそうだったから私達は受け入れたんです」
「けれど、その日の夜男達が泊まった宿の亭主が暴行されて…女将さんも息子さんもひどい怪我をしてしまったんです。さらに男達は宿を好き勝手に荒らした上に金目の物は全部盗ってしまって…。領主様に相談したら、領主様は男達に出て行くように告げたのです」
「けど、あいつら出て行くどころか村の奴らを人質にとって領主様を脅したんだ。衛兵達も手出しができなくて、言う事を聞けなかったら村人とお前の家族を殺すってまで言ったんだ。領主様は他に手がなくて…男達に要求される金を頑張ってかき集めてたんだ。自分の家の本や物を売ったり、質素な服を着たり他の領地へ林檎酒の売り込みをしにいったり…」
「私達もできる限りお力になりたくて、自分達の出せるお金を皆で集めたんです。ある者は王都まで行って騎士団に助けを求めようとしました。でも領主様は全部に首を振って、自分がなんとかするからって絶対にお金も助けも受け取らなかったんです」
使用人や村人達はそう言って皆涙を目に浮かべた。それは何もできない悔しさが滲んでいて見ているだけで胸が締め付けられた。
リアンは村人から男達のアジトが貯蔵庫の地下室である事、そこには近くの小屋の隠し通路からも行ける事を教えられた。さらに貯蔵庫からの扉を開ける鍵を渡され領主様を助けてくださいと切なく請われた。
そして、伯爵がやって来て小屋の中に消えたところから、貯蔵庫と隠し通路の二手に分かれて騎士達を配備した…というわけだ。
全ては、あの怪文書…アイリス夫人からの助けを求める密告書から始まったのだ。




