03
沈黙と言うにはあまりにも痛すぎる空気が路地裏に満たされる。
お互いに俯き、呼吸音すらうるさく感じるほどだ。遠くの騒ぎも今は耳に入らない。
これがいわゆる現実逃避か、なんて思うほどギルヴェールの思考は停止に向かっている。
「……」
「……」
自分が仕えている君主が少女の格好をして町に出ていた。
それだけで頭を抱えたくなる事だというのにギルヴェールはある物を発見してしまった。
すなわち、僅かながらにも小さく盛り上がっている胸を。
「……女性?」
詰め物だと思えればいいのだがそれにしたって自然すぎる。
女性だとしたらその中性的すぎる顔立ちも幼い目元も説明が尽くし、声だって女性が出せない程低くはなかったはずだ。
ギルヴェールが納得している傍で、リアンはわかりやすい程に狼狽えていた。
ここは見逃せと言ったほうがいいのか、むしろこのまま逃げてしまおうか。
しかし、どちらをとっても今の状況を否定する事は出来ない。
普段政治に使う頭脳を全力で回してもなかなか打開策は思いつかなかった。
「……ご安心ください。この事は口外いたしませんので」
哀れな程に動揺しているリアンを見て、ギルヴェールがそっと助け舟をだす。所詮口約束だがまあ、ないよりはましだろう。
しかし、本人には自覚がなく後々知る―本当に後々だ―相当失礼に当たる言葉だった。
「……お前、名は」
「ギルヴェール・コンスタンスです」
「コンスタンス…騎士団長の息子か」
その後ブツブツと何か呟くリアンだが、決心したように立ち上がった。
そして、ギルヴェールの脇を通り抜け路地裏の入口まで行くと振り返る。
「この事は他言無用だ。決して誰にも言うなよ」
それだけ残すと軽快に靴を鳴らし角を曲がっていってしまった。
残された言葉にこれから面倒な事が起こるとギルヴェールの本能が警報を鳴らす。
こんな警報が鳴るくらいならいっそ女装癖がある王子、であった方がまだましだった。
「…まったく、とんだ一日だな…」
路地裏に一人の男の声とため息が響く。
彼の目には光に照らされた金色がまだ輝いていた。
その日はそれ以降特に呼び出し等もなく、無事業務を終えたギルヴェールは寄宿舎に一度向かい、楽な服装に着替えてから城下町へと繰り出した。
夜の城下町は昼とは違った一面を見せる。
太陽が降り注ぐ広場には街灯に火が灯され淡く辺りを照らす。闇が覆う中にも民家の灯がとても暖かく感じた。
広場に面した酒場は一層明るく、ギルヴェールは喧騒の中へ躊躇いもなく足を踏み入れた。
中はまさにお祭り騒ぎ。いつ来ても騒がしい酒場だが今日はさらに人が多い。
人ごみの中から目的の人物を見つけ出し一直線に向かって、なんの断りもなく席に腰を下ろした。
「よう、ギル。仕事は終わったのか」
「ついさっきな。お前こそ今日は仕事がはかどったんじゃないのか」
通りかかった店員に酒と軽い食事を頼んで、息を吐く。
やっと休めると思うと一気に気だるさが体に満ちてきた。
「まあな。どの国でも祭りは人が浮かれるもんさ」
目の前に座りすでにジョッキ片手に始めている優男はこの国ではまず見かけない蒼髪と同色の瞳。北の国出身である男はギルヴェールにとって親友と言える立場にある。
真面目なようで冗談と取れる声色を作りお互いに今日一日を労う乾杯をした。
「どうせ、しっかり祭りを楽しんだんだろうブラッド」
「何事も満喫しなきゃそんだろー?俺はその場その場を楽しくいきたいだけさ」
お互い、性は知らずブラッドとギルヴェールという名しか知らない。それでもそれぞれの素性は既に熟知している。奇妙な関係だが、大人と呼ばれる齢になってもこんな子供のような付き合いが出来る事を密かにギルヴェールは喜んでいた。
ブラッドは北の国出身の商人だ。世界屈指の商人組合の跡取りであり、今は各地を巡るキャラバン隊の長をしている。ギルヴェールと出会ったのはキャラバンのまだ見習いだった頃だ。
「お前、次の生誕祭はどうするんだ」
「しばらくこの国にいる事になってる。今回、契約した領地をいくつか巡ってあとは一度国境辺りを彷徨く事になるだろうな」
「国境か…気をつけた方がいい。近頃あの辺りは治安が悪い」
「もちろんさ、伊達にキャラバンに長くいねぇよ。モノがないと人の心は荒んでいく。そして普段の自分なら信じらんねぇ行動に出ちまうんだ」
伊達にキャラバンの長をやっていない親友はやけに達観した言葉を吐き出して代わりにジョッキの中身を飲み干した。
そこから先は他愛もない事ばかりだった。
仕事の愚痴、巻き込まれかけた事件、女の話、各地の子供達の話、昔の思い出。
酒を酌み交わしながらつかの間の休息をギルヴェールは存分に楽しんだ。
この後の事を考えればこの時間が永遠に続けばいいのにと願わずにいられなかった。