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視察を終え、その日も息苦しい晩餐を切り抜けて客室へ引き上げた頃合を見計らい、ギルヴェールは話を持ち出した。
それを聞いたリアンは、黙り込み顎にその細い指を当てる。
「貯蔵庫か…果実酒が『眠る林檎』であれば辻褄は合う。その下にある嘘とは…」
「十中八九、この領地にとって漏洩してはいけない事、つまり消してしまいたい不名誉な事でしょうね」
「お前もそう思うか」
外は夜の帳が下り、地平線が僅かに橙に染まっているだけだ。
きっと、多くの人間はこれから訪れる夜から身を隠し家へ帰るだろう。
「忍び込むなら、今が絶好の機会か…」
「殿下、殿下ご自身が行かれる事は賛成しかねます」
「しかし、此処に残っていたところで事は進展しないだろう」
「そうですが…」
しかし、男の足で三十分もかかる場所へ女であるリアンを行かせるのは気が引けた。馬を出せば気づかれてしまうし、第一部屋に誰もいなかったらそれこそ怪しまれる。
ギルヴェールがどうすべきかあぐねていると、リアンがぽんっとその肩を叩いた。
「ギルヴェール、お前だけ行け。お前だけなら貯蔵庫に私が物を落としたとでも言えば馬は出せるし、怪しまれる事もない」
「しかし、それでは殿下が…!」
「私?私は平気だよ。お前がいない間くらい自分の事は出来る」
「そうではありません!」
思いのほか、大きな声が出た事にギルヴェールは驚いた。それはリアンも同じだったようで、珍しく目を丸にしてギルヴェールを凝視した。
咳払いをして、空気を正す。
「…失礼いたしました。しかし、殿下。私が離れてしまえばその間だれがあなたをお守りするのです」
「そこまで心配しなくとも。警備の者が屋敷を見回っているし、危険性はそこまでない。今は怪文書の謎を解く方が先だ」
「しかし…」
「ギルヴェール」
名前だけ静かに呼ばれてしまえば口を閉ざすしかない。主君の言う事は絶対であり、命令だ。
その事をよく理解しているギルヴェールなだけに、もうなにも言える事もなくただ頭を垂れる。
「…できる限り、最速で戻ってまいります」
「ああ。成果、期待している」
目を細めて微笑まれると、もはやなにも言えない。せめて自分がまだ納得していないというのを示すために目を背ける。
それを見て、子供のようだなと声に出して笑われてしまえば今度こそ盛大に眉をひそめた。
その後、こっそりと屋敷の使用人部屋から外套を拝借しギルヴェールは屋敷を後にした。
幸いにして、誰も気づかれずまた厩の者も就寝していた事もあって馬を出せたようだ。
一度言った事は守り通すギルヴェールの事だから、本当にできる限りの最速で帰ってくるだろう。もって帰ってくる戦果の有無はもはや思慮の外においても問題はない。
部屋の窓から、遠ざかるランタンの小さな灯をそっと眺める。
黒のカーテンが支配する外は、平穏そのもののように見えた。
「…さて、私も動くとするか」
部下だけ動かしておいて自分が何もしないのは性分ではない。もっとも、この事を事前にギルヴェールに伝えようものなら、それこそ彼は貯蔵庫の捜査を断固拒否して自分に張り付いていただろう。
「あの男の過保護っぷりは、マリアに似てきたな…」
マリアも昔から何かに付け過保護だった覚えがある。
あの二人はそれほど仲が悪いようには見えないし、むしろギルヴェールの素であろう軽口も応酬しているくらいで案外気が合うのではないか。
そこまで考えて、自然とあの二人が肩を並べる姿が思い起こされる。
きっと、それはどこから見ても非の打ち所のない美男美女の恋人同士を連想させるだろう。
ちくりと胸が痛くなった気がした。
馬鹿な事を考えている暇はないと自分を奮い立たす。
意を決してドアノブを捻り、部屋の外へと踏み出した。
ギルヴェールに外は任せ、リアンは寝静まる屋敷探索を開始させたのだった。




