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翌日、手紙の事は二人だけの秘め事となり誰にもばれずに朝を迎えた。
何事もないように部屋で朝食をとり、身支度を整える。
その間さえ、二人には事務的な会話しかなかった。
「今日は林檎園にいくのだったか」
「そのご予定です。林檎園を視察し、管理人との会談、村人達の生活の視察となり、夕刻にはこちらにかえって来る予定です」
「…ここから、どれくらいの距離がある」
投げかけられた言葉の意図が読めたギルヴェールは顔をしかめる。
その様子に気づいたのか、リアンは苦笑し振り向いた。
「…聞いてみただけだよ」
「男一人で徒歩で三十分ほどでしょうか。さほど遠くはありません」
「!ギルヴェール…」
「私は問われたことに応えただけですので」
そのまま、ギルヴェールは何事もなく壁際まで下がった。
あとはもう我関せず、といったところか。
その律儀さに今度は本当に苦笑が出た。
この男は本当に…
「…すまないな」
「なんのことでしょう」
「なんでもない、独り言だ。今日も頼むぞ」
リアンがかける言葉に、いつも通り頷く。そんなところまでが『いつも通り』だ。
リアンは感じたことのない居心地の良さを感じた。
マリアでもルドルフでも感じたことのない、同じ間合いで息をしている。
気づいてはいないが、彼女の中で確かに信頼の芽が芽吹いていた。
自然豊かなシルヴァーレでは、各地にそれぞれの名産品がある。それは国内外で人気を博し、有益な収入源となっている物達だ。
その一つとしてあげられるのが、ゴルワード領の林檎酒だ。
農作物よりも貿易の方が盛んだとはいえ、自領の自慢品は持っている。特に、隣の大国の貴族達に飲みやすいと評判なのだ。
「林檎は暑さには弱い植物です。我が国の北方であるこの領地こそ育つ事ができる特別な宝だと、林檎を世話する者達はそう口を揃えていうものです」
「赤い宝玉か…林檎酒にするには少し惜しい気がするが」
「殿下のおっしゃるとおり。しかしながら、この土地で林檎酒にしている林檎は生食には向かないのです。生食でしたらあの向こうに見える…」
澄み渡る青空の下、延々と続くように見える林檎園を見て回る。
真っ赤に実を大きくし、光を受けて存在を主張するそれは確かに宝玉と例えられるのも頷ける。
視察は、ゴルワード伯爵に林檎園の管理者、数名の農家がつく事になった。
これほど大きな林檎園という事で、警備の手をどこまで伸ばすかに揉めたが結局、リアンの傍に護衛としてギルヴェールを入れての三名、それぞれ林檎園を見回る者とに分けた。
しかし、ギルヴェールにはリアンを護衛する以外にも他の使命がある。
(眠る林檎の下…か)
視察中、リアンには常に誰かしら傍にいて自由に動く事が叶わない。
それならば少しでも自由が利くギルヴェールが調査するのが、道理だった。
ギルヴェール自身も、リアンに捜査させるのは気が引けた。
しかし、眠る林檎の下というのがわからない。
単純に林檎の下、という意味なら林檎の木の下という事になるが一本一本地面を掘り返していたらそれこそ時間が足りないだろう。
がむしゃらにやっていては意味がない。言葉を汲み取り、その先の意思を読み取らなくては。
「殿下、我が領名産、林檎酒の貯蔵庫へ参りましょう」
そう、ゴルワード伯爵が言っても、ギルヴェールは林檎園で手がかりを見つける事ができなかった。




