11 騎士の仕事
空が白み始め、太陽が地平線から僅かに顔を出し始めた頃、騎士団の寄宿舎でギルヴェールは目を覚ました。
音もなく起き上がり、ベッドから降りる。
此処での生活も、もう八年。
十八の頃に入ってきた寄宿舎は、実家の自室に比べればとても狭い物だったが、今では正直こちらの方が居心地がいい。相部屋ではなくなりやがて一人部屋が割り振られるとなおの事、自分の帰る巣であるという認識が強くなった。
洗面器に溜めていた水をすくい勢いよく顔にぶつける。それを数度繰り返し、手探りでタオルを手にとって拭いた。
顔を上げれば鏡に映るのは自分。
昔からさほど感情が表に出ない質だったせいか、無表情でいると怒っているようにさえ見えるらしい。
ブラッド曰く、わかる人間にはわかる表情の変化だそうだ。
そっと冷たい鏡に手を当てる。
彼女には自分の表情はきちんと伝わっているだろうか。
人の考えを読む事に長けている彼女なら難なく自分の内面を暴いてくれるのだろうか。
馬鹿な事だ。
そう思ってギルヴェールは隊服を着始めた。
近衛騎士になってから渡された新しい黒の隊服。これを纏う代わりに一般騎士である証の鎧は部屋でしばらく眠る事となった。これもまた、近衛騎士となって変わった事の一つだ。
身支度を終える頃にはすっかり陽は昇っていた。
ギルヴェールは誰もいない部屋を振り返る事なく後にした。
朝の鍛錬を終え、朝食を済ませるとギルヴェールはまっすぐ執務室へ向かった。
重たい扉を叩くと中から返事がする。
「失礼いたします」
「ギルヴェール、おはよう。今日も一日よろしく頼む」
既に中にいたリアン、そしてルドルフと数人の秘書官。
全員に向けて一礼し、部屋の隅の定位置に収まった。
毎朝この時間は、政務に関わる人間が集まり今日は何をするかを綿密に確認する。
そうする事で多岐に渡る山積みの仕事を効率よくこなす事が出来るというわけだ。
「そうそう、皆も知っていると思うが二週間後、つまり生誕祭一ヶ月前に次期公爵であるフェレス殿が来城する予定だ。彼はそのまま生誕祭まで城に滞在する。使用人達にも伝達するが準備は抜からないでくれ」
「了解いたしました」
「では、終わりにしよう。皆、今日も頑張ってくれ」
リアンの激励に歯切れ良い返事をし、各々仕事をこなすため退室をしていった。
椅子に深々と座り込むとリアンは書類は手にせずしばらく上を眺める。
「いかがされましたか」
「あー…いや、少し憂鬱になっただけだ」
珍しく沈んだ声にギルヴェールは即座に心当たりを思い出す。
今度、生誕祭一ヶ月前に来城するフェレスは前王の甥。つまり王族にあたる。
彼の父が前王の兄であり、リアンのいとこでもあるその男は王位継承権の第二位を所有している。
つまり、リアンになにかあった時は彼がこの国を統治する君主となるのだ。
だが、生まれた時から甘やかされていたせいか周囲に流されやすくそれでいて自尊心だけは立派に育ってしまった。
おかげでリアンを毛嫌いしている貴族中心に祭り上げられ、今や本格的に王位を狙っていると聞いている。
ルドルフや当事者のリアンからしてみれば厄介な事この上ない相手だ。
「…何もない、とはいえないだろうな…」
「……」
「ああ、いや。お前の腕を信用していないわけじゃない。だがまあ、色々あるだろうな」
「最善の注意を払います」
「…うん、任せた」
思考を振り払うように頭を振るとリアンは書類の山へと手を伸ばした。