10
そのまま、日が傾くまでリアンは執務室にこもり、ギルヴェールも時々話し相手になりながら彼女の傍に寄り添い続けた。
「とりあえず、今日の書類整理はここまででいいか」
「お疲れでしょう、毎日あの量をこなして」
「大した事じゃない。すべて大事な事なのだからな」
リアンははしたないとわかっていながらぐっと背伸びをした。
宰相に届ける書類は秘書官に渡し、とりあえず執務室での仕事は終了した。
「ああ、そうだ。ギルヴェール、一週間後南のプリペンド領に視察に行く。随分前に決まっていた事だったがバタバタしていて伝えてなかったな」
「一週間後、ですか」
「警備体勢は既にコンスタンスが整えている。まあ、お前にとっては急な事だが普段とあまり変わらないと思ってくれ」
「御意」
プリペンド領といったら城下町からさほど遠くないと記憶している。
確か今回の不作も、奇跡的にあまり被害の出なかった領地でもあった。それは領主であるプリペンド伯爵がきちんと蓄えを備えていたとも聞いている。
一週間前に伝えられた事に不意打ちをくらったが仕事に支障が出るわけでもない。
主の言葉にギルヴェールは素直に了承の意を示した。
「ギルヴェール、今日はここまでいい。明日は非番だろう。ゆっくり休め」
「ありがとうございます。失礼いたします」
ここでしつこく食い下がるのは得策ではない。
大人しくリアンの言葉に従い、ギルヴェールは一礼をして執務室を後にした。
一週間ぶりだからなのか、それともやっと気が抜けると思ったのか酒場にやってきたギルヴェールは喧騒に紛れてため息をついた。
仕事に疲れた男達が一日の疲れを吹き飛ばしにやってくる酒場はむさくるしく、その中に咲く女達は皆笑顔で給仕をやり、談笑をしていた。
「おーい!ギルー!こっちだ!」
騒ぎに負けず劣らずの声を張り上げた親友はすっかり出来上がっているようだ。
「なんだ、随分疲れてるじゃないか。まあ一杯やれよ」
「お前はいつ見ても飲んでいるようにしか見えないがちゃんと働いてるのか」
「問題ない問題ない!なんせ俺が動かなくても周りの奴らが動く!」
それを聞いたキャラバンの人間は苦笑し、ギルヴェールも苦笑を漏らした。
普段これほど適当な癖して、商売となるとがらりと雰囲気が変わる事を知っている者が浮かべる笑みだった。
ふと、ブラッドの隣で縮こまってジョッキを傾けている男に目がいった。
「そうだギル、お前にも紹介しておこう。レシムだ。レシム、こっちは俺の親友のギルヴェール」
「よろしく」
ギルヴェールが短く挨拶しても、レシムはペコリと頭を下げただけで顔を逸らしてしまった。
真っ黒な髪が顔のほとんどを隠してしまっていてどんな表情しているかわからない。
背を丸めて黒いマントで全体を覆っているが細身で、頼りなさそうな印象を受ける。
「新入りなのか?」
「ああ、国に入る前に。倒れているところをうちの奴らが見つけてよ、まったくほいほい拾ってくるんだから弱ったよ」
「何言ってんだよリーダー!」
「拾ってきたのが俺達でも最終的に引き取るって決めるのリーダーじゃないですか!」
「あーあー!そうだな!うっせーよ!」
それは聞き捨てならないと周りの男達が反論し、ブラッドもあっさり折れて降参する。
キャラバンの人間ならある程度知っているし、向こうもこちらを知っている。
しかし、ブラッドと男達の間で交わされる気安いやり取りが今は羨ましくもなった。
「まあそんなんでな。人手が多い事には越した事ない職だから見習いとして引き取ったんだ」
「お前のその性格、相変わらずだな」
「なんだ、お前も言うか」
ブラッドは昔から犬でも猫でも人でも困っているところを見るとなりふり構わず、関わってしまう癖がある。
昔はそれで痛い目を見て今は人間を見る目が備わった事もあり、少なくなったとは聞いたが変わらずのようだ。
そういうところが少ない親友の美点だ、とギルヴェールは思っている。
「そういやギル。お前、近衛騎士だってな。さっき騎士達の話聞いちまってよ」
今度は声を低めて話しかけてくるブラッドにギルヴェールは小さく頷いた。
そして、あらかじめ用意されていた筋書きを説明する。
「もうすぐ生誕祭だろう。それでそろそろ近衛騎士をつける事になったんだが、殿下が誰でもいいとおっしゃったらしい。それで、騎士団長の息子の俺が選ばれたわけだ」
「なるほどねー。王族も王族で大変だが、騎士も騎士で色々あるんだな」
「お前程じゃないな」
不自然にならない程度に話を逸らし、それ以降はその話題が出る事はなかった。
リアンの秘密はなんとしてでも守らなければならない。
酒を入れても、それだけは絶対に口を割らないとギルヴェールは気を引き締めた。