09
ひとしきり笑って、ルドルフが笑いを収めたところで部屋の扉がガチャリと音を立てた。
「ん?ルドルフ、何か用だったか」
「いえいえ、若者とつかの間の会話を楽しんでいただけですよ」
リアンは部屋の前にいたルドルフに驚いたようだが、彼が城の人間に話しかける事はよくある事だと多くの人間が知っているので何も疑問に持たなかったようだ。
懐中時計を覗けば、長針がちょうど六を指している。
「執務室に向かわれますか」
「ああ、そうする。だが、少し待ってくれ。紹介しなければいけない人がいる」
「紹介しなければ、いけない人…?」
思い当たる節が見当たらず、ギルヴェールは首をひねった。
そしてリアンの後ろに控えている人間がいる事に気づく。
見えやすいようにリアンが身体の位置をずらすと、その人物は前に進み出た。
「紹介しよう、私の侍女のマリアだ。幼い頃から私の身の回りの世話をしてくれている」
絶世の美女とはまさにこの事だろうか。
前へ進み出た女性は、女性への評価が適当なギルヴェールでも素直にそう思える程の美しい女性だった。
肩の上で揃えられている黒髪は艶やかにまっすぐ流れ、印象的な瞳をしている。女性らしい身体は使用人服を着ていてもひと目でわかる。
それでもギルヴェールは冷静に表情を崩す事をしなかった。
「初めまして、ギルヴェール様。侍女のマリアです」
「こちらこそ初めまして。ギルヴェール・コンスタンスです」
お淑やかに微笑み、澄んだ声は男性なら即座に落ちてしまっているだろう。
ギルヴェールもこの時ばかりはと、社交界用の笑みを貼り付ける。
にこやかな雰囲気もつかの間、マリアは途端に笑顔を壊した。
「あなた、リアン様を一発で見抜いたらしいわね」
「…残念ながらな」
先程の様子はどこやら、マリアはギルヴェールを値踏みする視線を隠そうともせずに上から下まで眺める。そんな視線には慣れているギルヴェールは好きにさせていたが。
しかし一変した口調には僅かながらにも恐ろしい物があった。
人の豹変とはあのような感じなのだろうか。
「随分涼しい顔をしているわね。あなたはこの国の君主の秘密を握ったのよ?野心があってもおかしくないのだけれど」
「あいにく、出世や地位には興味ない。守る対象の距離が近くなったか、遠くなったかの違いだ」
「私の口調、崩した時も驚かなかったわね。大抵の男性はとんでもない程驚くのに」
「人間には誰しも裏と表があるものだろう」
からかうような笑みを浮かべ、冷え冷えとした声が応酬される。
ルドルフとリアンは完璧に空気となる事を決めたようだ。
それから隙なくマリアはギルヴェールを観察したが、やがてふうと息を吐いた。
「噂通り、淡白な人ね。安心したわ」
「噂?」
「侍女やメイドの間で噂になっていたのよ、あなた。気がついていないだろうけど」
噂について詳しくは言及しない方がいいだろうと、ギルヴェールは直感で判断し口を閉じる。
からかう顔から突然マリアは真剣な顔を作った。
「…いい?成り行き上で近衛騎士になったとはいえ、仕事に手を抜かないでちょうだい。殿下…リアン様に何かあったらただじゃおかないわ。覚えておきなさい」
「どんな経緯にしろ、任された仕事は責任を持って果たす。ましてや君主の命だ、言われるまでもないな」
「…そう。ならよろしく頼むわ。言っとくけど、全面的にあなたを信用したわけじゃないから」
マリアはそう言うと、リアンとルドルフに一礼し部屋の中へ戻っていった。
「……最近の女性は勇ましいですね」
「いやなんというか…まあ気にしないでくれ」
ぽつりと漏らした本音に、リアンは何故か申し訳なくなった。
「マリアとはもうかなり長い間ずっと一緒にいる。私が三歳の時からだから、大体十五年か」
執務室で書類を確認し、ペンを動かしながらリアンは語った。
脇に控えるギルヴェールは黙ってそれを聞く。
「マリアの母が侍女長でな。私には事情があった事も考慮して、当時九歳だったマリアが私の世話係というか遊び相手になった」
九歳で奉公に出る子供もこの国では珍しくなかったし、侍女長の娘となれば幼い頃から英才教育が施されていただろう。
彼女は根っからの城仕えというわけだ。
「マリアは私にとって姉と言ってもいい存在だ。マリアに関しては私はすべて信頼していると言い切れる」
リアンは視線は書類に向けたまま、マリアとの思い出を話す。
「まあ私といる時間が長いせいか、私が絡むと少し冷静に判断出来なくなるのは心配だが…根はとても優しい人だ。仲良くしてくれると私としては嬉しい。頼んだぞ」
「…わかりました」
返事をしたものの、ギルヴェールにはあの気の強い侍女とうまくやっていける気が全くしなかった。