第三話:嗅覚
続きです、よろしくお願い致します。
――会議室は静寂に包まれていた。PLクワタ、SWノムラ、HWタナカの前には、前回発覚したFFDの問題点についての資料……。
「それで……山内は?」
若干投げやりに、クワタが問い掛ける。
「はい……現在、回復しテストルームです」
「――尚、意識を取り戻した際に「僕は……歯医者に行くんだ!」と言って暴れたそうですが、警備員に当て身を喰らい、無意識での待機中です」
「――そうか……」
再び、会議室内に静寂が訪れる。すると、意を決して、タナカが手を上げる。
「何だね? タナカ君」
タナカはスッと立ち上がり、そのままクワタに向かって頭を下げる。それに続く様に、ノムラも頭を下げた。
「今回の失態は、我々が性能ばかりに気を取られてしまったから……その為に、起きてしまった人災です」
その後に続き、ノムラが口を開く。
「我々の処分は如何様にでも! ですが……部下達は……」
クワタは二人からの謝罪を黙って聞いていたが、やがて目を細めつつ、囁く様に告げる。
「初期FFDの山内鼻血事件も、前回の山内窒息事件も、例えそれが、君達の不備であったとしても……私は気にしない、失敗だってするさ、人間だもの。と言う訳で、次のステップに進もうか?」
「え……いや、鼻血事「次のステップに進もうか?」……はい……」
――さりげなく、最初の事件まで責任を押し付けられている事に気付いたノムラが異議を申し立てようとするが、クワタの圧力に屈してしまった。
「さあ、受け取りたまえ!」
クワタがテーブル上に資料を滑らせる。
「あ、届いた……」
そして、二人は暫く資料を読み込み、やがてタナカが口を開く。
「――嗅覚……ですか」
「そう! どうせなら、前回の臭い事件の対策しようよ?」
――ノムラとタナカは力強く頷く……。二人の胸には共通の想いが渦巻いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「臭いですか……」
ノムラが自分の吐息を確認する様に、両手で顔を覆い「はあ」と息を吐いてみる。
「――皆さん、そんなに気にするんでしょうか?」
その疑問に、タナカが答える。
「そりゃ、皆が皆、ノムラみたいにフローラルじゃないからな? 特に長時間プレイするなら、その辺の問題は解決すべきだったんだよ!」
タナカの答えに「ふーん」と興味の無い様に答え、ノムラは再び自分の吐息を確認する。
「それじゃあ、どうしますか?」
「――取り敢えず、大幅な改造は止めて小さな事からコツコツとやっていくか……」
――タナカは感じていた……取り敢えず、今月は安改造で済ませないと……予算がやばい! と……。
FFDをコツコツと叩きながら、ノムラは何かが引っかかっていた。
「――あっ!」
そして気付く――。本来ならば、これは自分が……SW班である自分が気付かなければいけなかった……。
――そう、彼らは、FFDのバージョン管理を怠っていたのだ!
ノムラの額に、嫌な汗が流れる……。その脳裏には「このまま誤魔化せるか?」、「今ならまだ間に合う?」、「こっそり、振っちゃうか?」――等々、数え上げたらキリが無いほどの抜け道を探していた。
やがて、ノムラはある結論を出す――。タナカにさりげなく、押し付けよう……と。
「――そう言えば、タナカさん?」
「何だ、ノムラ?」
「ふと思ったんですけど……FFDのバージョンって今どうなってましたっけ?」
「――っ!」
――タナカの顔に、焦りが浮かぶ……。
「FFDに組み込んだシステムのバージョン見てて思ったんですけど……タナカさん?」
「い、いや……その、だな?」
「もしかして……?」
次の瞬間、タナカがその場に崩れ落ちた。大絶叫と共に……。
「忘れてたんですか……」
「す、済まない……つい……」
地面に崩れ落ちたタナカの肩にそっと手を置き、ノムラが微笑む。
「良いですよ……こうなったら、覚えてる範囲で番号振っていきましょうよ? システムの方もその番号に合わせますから、それなら大丈夫ですよ!」
「ノ、ノムラァ……お前って奴ぁ……」
袖で涙を拭き、むせび泣くタナカはその時のノムラの顔を見ていなかった……その――「計算通り」と言いたげな不敵な笑みを……。
――その後、今回のバージョンをPV3――試作三号機として管理する事になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「もう、FFDの内部に鼻栓でも付けたら良いんじゃないですか?」
「ん? そうか……それなら……」
――タナカの顔が喜色に染まる。
「ノムラッ! 協力してくれ!」
「タナカさん……どうするつもりですか?」
「――まあ、見ているがいいさ!」
――数日後――
――テストルーム中央にいつの間にか設置された巨大な椅子に山内が座し、その隣に何故かクワタが立っている。
「――良く来たっスね?」
「どれ……見せて貰おうか?」
タナカがクワタにFFDを受け渡す。
「見た目は変わっていない様に見えるが?」
「ええ……前回、山内が臭気に苦しんでいたので、少しFFD内壁の空気圧制御を調整して……鼻の部分をキュッと引き絞って鼻栓状態に出来る様にしました」
「調整は主にソフトウェア側で行いましたので、特に外見上変わった所はありません」
ノムラとタナカの説明にクワタと山内が頷く。そして、山内は静かにFFDを被る。
「――行くッス!」
――そしてテスト開始五分後。
「――っ。――っ!」
山内が手足をバタバタと動かして、タップ――中止の合図を送る。
「――ぷはっ!」
FFDを取り外した山内は、外の空気を吸い込む様に、ひたすら深呼吸を繰り返した後――。
「これ……駄目ッスよ。こんな……臭いは確かにしなくなったッス。でも、これ、前回より息ができ無いッス! こんなんじゃ、萎え萎え以前の問題ッス!」
――呼吸……人が生きるためには必須のモノだ。
「ち、ちくしょお……」
「私達……山内を殺すところだったの?」
こうして、FFD試作三号機は廃棄となってしまった。
――後に山内は語る。
「――死ぬかと思ったっス……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
研究室に戻った、タナカとノムラ……二人は此処に戻るまでに議論し、一つの結論に至っていた。
「息が出来ない……か」
「やっぱり、前回のFFDをそのまま使ったのがいけなかったのかな?」
「こうなったら……予算云々じゃない……」
タナカが息を呑む……。
「それじゃあ……」
「ああ、改造だ!」
「そう言うからには、何か……考えているんですね?」
ノムラの問い掛けに、タナカが頷く。そして、手抜きで殺しかけてしまった山内に向け、呟く――。
「ごめんよ……山内!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――一か月後。
テストルームに四人が再集結していた。クワタは前回同様に山内の隣に立ち、ノムラとタナカを見据える――。
「さあ、見せてみろ!」
「――ふふ……今回は、窒息とか勘弁ですよ? いや、ホントマジでお願いします」
クワタと山内の前に、ノムラが黙って段ボール箱を置く。そして、その後に続いて、タナカが段ボール箱の中から、FFD試作三・一号機を取り出した。
「――何だ……これは! 形が……変わっている?」
クワタが驚き、タナカを「バッ」と勢いよく睨み付ける。その視線を受け、タナカが説明を始めた――。
「はい、前回の指摘を受けて、FFD内部の空気を外に排出する通気性、FFDの内壁の素材を変えて制汗性……そして、臭気に対する制御性を取り入れました」
タナカの説明をノムラが引継ぎ、告げる――。
「ですから、FFDの形状を少し変え、鼻から顎にかけた部分を脱着式に変えました――戦闘機のパイロットが被っている様なヘルメットを想像して貰えば良いと思います」
――ピクリ、とクワタの眉が動く……。
「つまり……その口の脱着式のマスクは?」
「ええ……酸素ボンベ……にもなります」
クワタの質問に、ノムラが答える。
「――『にも』……?」
更にクワタが反応し、タナカとノムラがニヤリと笑みを浮かべる。
「ええ、こちらのボンベの入ったサイドバッグに、数本の調香用の試験管を差しています。これのお蔭で、状況に応じた――例えば、森の中や雨上がりなどのイメージを再現し、酸素ボンベを通して装着者に嗅がせる事が可能です!」
その説明に、クワタは何度も頷き、目を細めた。そして――。
「――よろしい……ならばテストだ!」
山内はその腰に、酸素と調香のボトルが入ったサイドバッグを取り付け、そこから伸びる管をFFDのマスクパーツに接続する。
そして、マスクパーツが外れた状態のFFDを被ると、ノムラとタナカに親指を立て、テスト開始の合図を送る。
「――今日は、良い匂い……期待してますよ?」
「ええ、任せて下さい!」
ノムラが答え、山内はマスクパーツを装着する。
「――それでは、テスト開始!」
ノムラとタナカが祈る様に、椅子にドッカリ座る山内を見つめていた――。
――九十分経過。
「前回は……ここ……だったな?」
「はい、ここからが勝負です!」
ここで、山内に微妙な変化が訪れる。
「ん……うふぁ!」
「――っ。まさか……」
タナカはバイタルチェック中のノムラを見る。
「いえ……バイタル正常です」
首を横に振り、ノムラが微笑む。タナカは安堵しつつ、早くテスト時間が終わる事を祈っていた……。
――二時間後。
テストルーム内に、静寂が訪れていた。
――皆の視線を独占している山内がピクリと動き、その手をFFDのマスクパーツに伸ばす。
やがて、山内はマスクパーツをまず外し、FFDをその頭から取り外すと、椅子から立ち上がりその鼻からこぼれる一筋の赤を拭い、クワタ、タナカ、ノムラに向かって笑顔を向け、告げる――。
「――テスト……終了です!」
その場に三人の歓声が響き渡る……。
「「「山内!」」」
――そして、近付いたタナカは気付く。山内の顔面から漂う臭気に。ノムラは、かなり前から気付いていた様で、その場から動こうとしない。
「や、山内……その香り?」
山内は汗だくの髪を勢いよくかきあげると、微妙に黄色い歯をニカリと見せ――。
「ええ……とってもフローラルでしょ? このまま、ちょっと合コン行ってきます!」
そう答えた……タナカは「フローラルと汗の匂いが混ざって気持ち悪い」等とは口が裂けても言えず。何とも言えない顔で呟く――。
「や、山内……」
――テストルームには山内の自称フローラルな香りだけが漂っていた。