第6話 水着回なんて存在しない作品です。
「前から聞きたかったんだけどさ~」
いつもの土曜日。
僕の人生における少ない楽しみのひとつである、撮り溜めた深夜アニメ鑑賞の時間に、その問題提起は為された。
「――水着回って、なんで必要なの?」
二人がけのソファの上で、僕の隣に座る七橋いまりは、ボリボリと醤油せんべいをかじりながら、ぼうっとTVモニターに映るハーレムラブコメを観ている。
以前、いまりが30点と酷評したその作品は、だんだんと高くなってきた気温に合わせたかのように、主人公達を海へと導いていた。
「そりゃあ、お前、視聴者サービスに決まってんじゃんか」
さすがに三十路手前で醤油せんべいってのは、いかにもおばちゃん臭い気がするのだが、そんなことを気にすることもなく美味そうにそれを噛み砕きながら、納得いかない顔をする彼女。
「ん~。いや、それはわかるんだけどね。なんていうのかなー、こういうアニメの水着回ってさ、アタシ的には夜食テロと一緒なんじゃないかなって」
「夜食テロ?」
「その、さ。んと、ほら、こういうアニメの水着回を、その…………いわゆる実用に使う人って、いないでしょ?」
ほんのちょっぴり頬を染めて言いにくそうに言葉を紡ぐ様は、なかなか男心をくすぐるものがあるが、もちろんそんなことは口にしない。
なるほど。
なんとなく言いたいことがわかってきた。
確かに水着回と言ってもずっとそんなシーンばかりじゃないし、当たり前だけどエロさで言えば物足りない。
しかし。
「いやー、いないとは言い切れないんじゃないかなぁ」
「ええっ?これでイケちゃうのっ!?」
いまりが指さす画面の中では、黒髪ロングの正統派ヒロインが波にブラを流されて、大事なところを手で押さえながら困惑している。
よくあるパターンだ。そんな簡単に水着が外れてしまうって、実は計算でやってるんじゃね?と勘ぐってしまうぐらいには汚れた大人になった僕である。
「あ、いや、僕はその、もう流石に無理だけどさ」
「…………もう?」
不穏な顔をするいまり。
赤いメガネの下で、その垂れ目がちな瞳が僕を見つめている。
「えと、ほら、中学生ぐらいのギラギラした若い人ならこういうのでも充分なのかなーって」
あと、むしろ逆にこれぐらいのほうが想像力をかき立てられて捗るという猛者もいるらしいが、そのあたりは流石に説明しないでいいだろう。
「じゃ、じゃあ、ユウくんは、その、あの、ご経験は…………?」
「若い時ってネ、色々と暴走しちゃうんダヨ」
「………………はぁ」
何か、女として負けたかのような表情をする彼女。
僕は取り繕うように、早口になる。
「あ、でも、今の若い子達はネットとかでもっと凄いのいっぱい見てるだろうし、さすがに普通のアニメのサービスシーンぐらいじゃ物足りないかもねっ」
いまりは、まるでメガネを外した時のように目を細めてじーっと僕を見た後、わざとらしくため息をつく。
「まぁ、いいわ。忘れることにする。……んで、まあ一部の例外を除いてほとんどの人にとっては、深夜に美味しそうなラーメンの画像貼られてるようなもんなワケじゃない。食べたくても食べられない、みたいな?それってサービスになってるのってことが言いたかったのっ」
投げやりに言い放った後、彼女はもう一枚せんべいを手に取ってバリッとかじり割った。
「うーん。でもなぁ。そもそも夜食テロってあれ、本気で嫌がってる人いるのかな」
「あーむしろネタとして楽しんでる人も多いかもねぇ。でもやっぱ生殺しみたいな感じで、イヤなひとはイヤなもんじゃないの?」
「ふむ」
僕は少し考える。
いつの間にか画面は切り替わり、主人公アンドヒロインズはワイワイと花火を始めていた。
水着回って花火回でもあるよなぁ。
「うーん。例えばな。男ってさ、その、実際に使わないとしても、やっぱパンチラとか見えるとテンション上がるんだよ」
「ああ、それはアタシもわかる」
「えっ」
「あ、いや、男のパンチラじゃなくて、可愛らしいオナゴのが見えると、ごっつぁん、とか思ったりするわけ」
いや、それもよくわからんが。
「うん、まあ。だからさ、水着回っていうのは、その、いわゆる性欲の解消に使用可能かどうかで評価されるものじゃないんじゃないかなって」
「ほほう。なるほど」
「だってほら、アニメに限らずドラマや映画でもサービスシーンなんて普通にあるわけだし。たとえシナリオにとって必要なかったとしてもね」
「おおー。そういやそうか」
赤いメガネの奥の視線がわずかに尊敬の色を帯びる。
全くたいしたことは言ってないんだけど、僕はちょっと得意になって自説を続けた。
「まあ、つまり給食についてくるプリンみたいなもんだと思えばさ。食事としてはあってもなくてもいいけど、あれば嬉しいみたいな」
「プリン、ねえ」
画面の中で、何故か夜なのに水着姿のままであるヒロインの胸がぷるんっと揺れる。
うん。やっぱり、あれば嬉しいよね。
「……ふーん」
「なんだよ、その意味深なふーんは。何かご不満でも?」
「いや?で、ユウくんのテンション上がるサービスシーンは、やっぱり今みたいなの?」
「ん?そりゃあ……」
そこで僕は言葉を止めた。
確かに胸が揺れるシーンは嬉しい。
何故かそこだけやたら作画に気合いが入ってたりすると、よくやった!と言いたくなる。
しかし、だ。
それを素直に言っていいのか?
「そりゃあ、何?」
僕の隣に座している御年28歳(12月に29歳になる)の彼女は、その、まあ、妙齢の女性にしては少々ひんそーな体付きをされている。ぶっちゃけて言えば、あまり揺れない。
当然のことながら、そのことについて人並みにコンプレックスを持っていらっしゃったりもする。
30手前にもなって胸のサイズを気にするってどんだけ乙女なんだよってツッコミたくもなるが、案外そのへんは年齢とか関係ないとも聞いたことがある。
そこをわざわざ刺激するのは、一人の紳士としていかがなものだろうか。
いや、決して彼女が怖いわけじゃないよ?
「まあ、ね。やぶさかではないけれども、僕は結構つるぺたなのも好きかな。ほら、あのスクール水着のありちーとか良いよね」
線香花火を手にした、ツインテロリなありちーの胸部は、全くと言って良いほど曲線が存在しなかった。もはや制作会社の手抜きなんじゃと思えるレベルである。
「へぇぇ-。こないだはナッちゃん一択とか言ってたのにぃ?」
うっ。
よくおぼえてんなおい。
「ほら、回が進んでくことにお気に入りのキャラが変わることもあるじゃん」
「ほほう。でもねー。たまに買ってる同人誌の傾向から見るに、ねぇ」
「チェックされてたのっ!?」
「気付いてないと思ってたの?」
ぷらいばしーとかさぁ……。
しかしこれは分が悪い。どうにかしなければ。
「僕はほら、おっきいのもちっさいのも全部イケるクチなんだ。守備範囲が全盛期のイチロー並なんだよ」
「あー、そういやそうだったわね。ちょっとロリも入ってるもんねー。毎週日曜朝8:30から欠かさず見てるもんねー」
あ。そういやそっち系のも最近買ったような。良い出来の多いんだよなーあの作品の同人。
「てか、微妙に気を使われてるのが分かるとそれはそれで腹立つのよ」
プイッとわざとらしく横を向く彼女。
どうしろってんだよ。
全く。
「…………じゃあ、気を使わずに言ってもいいのかね?」
「え?え、ええ。どうぞ言ってみてよ」
「僕はね、胸のサイズなんてどうでもいいんだ」
ちょっと顔を真剣モードにしていまりに向き直った。
「それよりもテンションが上がるのはね、――スクール水着なんだよ」
僕の告白に、いまりが唖然とした表情をしている。
長いこと一緒にいるけど、言ったことなかったもんなぁ。
「言われてみればそういう本がちらほら……」
けっこうチェックしてやがるなこいつ。
まあいいや。
「いくつかバリエーションがあるけど、やっぱ一番テンションが上がるのは旧スクかな。胸の小さい女の子が着て、すべすべ紺色まな板風味なのももちろん味わい深いけど、ボリュームのある胸の持ち主が着てパツンパツンになっているのも素晴らしいよね。年相応の娘さんのも心が和むし、明らかに年齢オーバーなお姉さんのもまたこう、たまらないものがあるし。そこにいくといまりなんて最高だよ。貧乳アラサー女子が無理してスク水姿になってみましたなんてもうヤバいよね。ひんそーな身体つきで、想像しただけでピッタリフィットするのがわかるのに実年齢28だなんて、しかも赤メガネって、これもう軽く犯罪っていうか――」
「あんたの頭の中が犯罪だわこの変態がーーっ!!」
「え、いや褒めてるんだけど?」
「そんな褒められ方で喜ぶ女がいたらみてみたいわっ!」
珍しく顔を真っ赤にして声をあらげる彼女である。
「30近いおばちゃんにスク水着せる想像して興奮してますってそれどう考えてもアウトでしょうがっ!しかも貧乳アラサー女子だのひんそーな身体つきだの好き放題言いやがって!」
「気を使わずに言ってもいいって話だったから……」
「あーもう、アタシがバカだったわ。開けてはいけないって言われてた箱を開けちゃったパンドラ大先輩の気持ちがよく分かるわ」
「けれどそこに最後に残ったのは、アラサースク水という名の希望――」
「やかましいわっ!」
こうしてまた一つ、僕たちはお互いを深く知ることが出来たのだった。
長年一緒にいても案外知らないことってあるヨネ。
最近はフリル付きのもあるとか。