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第2話 サルのように。

 いつの間にか、窓の外は明るくなっていた。

 藍色のカーテンの隙間から漏れる光が、ひどくまぶしい。


 バカじゃないの、と自分でも思う。

 いい歳してこんなにハッスルしてみっともない、とか

 今日がまだ土曜とはいえ月曜からの仕事に差し支えるんじゃないか、とか

 そういうノイズが頭の中を駆け巡る。

 けれど、知ったことか。いまりだって物足りなそうな様子を隠していない。

 この程度かと思われるのは男としてシャクだ。

 それに、もう少しなのだ。もう少しで。

 僕が身体をよじると、いまりがピクリと反応する。


「ふぅ…………」


 少し大きめのため息が漏れる。

 静かな興奮が身体の芯をチロチロと焦がす。

 何を焦っているんだろう。

 もう何回も経験してきたことのはずなのに。

 軽く手が震えているのが、情けない。

 なんとか押さえ込もうとするが、僕の手じゃない気さえするそれは、まるでしつこい相手から着信があったかのようにわずかなバイブレーションを続けていた。

 自分でも軽く汗をかいているのがわかる。

 春先は気温の上下が激しいが、今日は暑めの一日になりそうだ。

 一眠りする前にシャワーを浴びたいけれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 いまりはどうなんだろう。と視線を這わせると、やはり彼女も汗をかいていた。

 彼女の着ている淡い色のブラウスは湿り気を帯びて肌に貼り付き、その起伏の控えめなボディラインを艶めかしく強調している。

 下着のラインも透けていて、思わず目がいってしまう。

 暗めの茶色をしたセミロングの髪の一部が、ほんの少し曲がり角を曲がっちゃった(でも僕としてはまだまだイけると思う)肌にへばりついているのが見えてなんだか色っぽい。

 薄めの唇からは時折、塊を押し出すような息を吐き出しているのがわかって、彼女も緊張しているんだな、と思える。

 手入れの行き届いた眉は少し悩ましげに下がり、気だるげに見える垂れ目がちな瞳はそのメガネの奥でわずかに熱を帯びている。

 ――と、僕の視線に気づいたのか、その彼女の瞳がこちらを向いた。


「…………何よ」


「いや、何でもないよ」


「早くしてよね」


「うん」


 そうだ。

 集中しなければ。

 僕は口の中に溜まったツバをむりやり喉の奥に押しやる。

 もう何回目だか覚えてないけれど、これが恐らく最後だろう。

 一晩かかって一回も彼女を…………なんてことは、さすがにプライドが許さない。

 僕がこれまでつちかって来たテクニックの全てを、いまりにぶつけるのだ。

 そう思い直して、僕は覚悟を決めた。



 ――――4-3。

 九回裏2アウトながらランナーは一・二塁。

 一打同点、下手をしたら逆転もあり得る場面だ。

 画面の中では二頭身にデフォルメされた5番打者が強振を狙っている。

 2ストライク、2ボール。

 もう一球外してフルカウントまで持ち込むか、あえてストライクを取りにいくか。

 ストレートか、変化球か。

 こういうとき、全く自分に自信がなくなるのが僕の悪いくせだ。

 そして色々迷ったあげくに、開き直って投げやりな選択肢を正当化するまでがテンプレ。

 今回もそうだった。


 ――全力ストレート、これしかない。


 視野狭窄に陥っている頭の中で、何度も同じ言葉が繰り返される。

 あえて直球勝負に出ることで相手の裏がかけるんじゃないかと、甘い考えが浮かぶ。

 わかりやすくボーダーが引かれたストライクゾーンの右上にカーソルをあわせ、僕はコントローラーのボタンを強く押し込んだ。


 次の瞬間、僕の意志とは無関係かのようにボールはピッチャーの手元を離れ、相手のバットに吸い込まれていき――


 ……そのまま小気味よい効果音とともにカラフルな応援団の待つレフトスタンドへと消えていく。

 僕が操作するべき左翼手はピクリともせず、画面には派手な蛍光色で「3ランホームラン」の文字が浮かび上がった。


「うおっしゃあっ!」


 いまりが、妙齢の女性とは思えないような声を上げる。

 僕は力なくコントローラーを手放し、そのまま安っぽいソファの背もたれに倒れ込む。

 藍色のカーテンの隙間から漏れる光で、ホコリが舞い上がっているのが見えた。


「「ふぅ…………」」


 精神的アイシングのようなため息が、二人同時に漏れる。


「待ってた?ストレート」


「うんにゃ。どうせ歩かせるんだろな、と思ってたからちょっとビビった」


 じゃあなんで打てるんだよ、という言葉を飲み込んで、僕は目の前のローテーブルに置かれたペットボトルのお茶に手を伸ばす。

 かなりヌルくなってしまっている緑茶は、なんだか渋味が出ていてあまりおいしくない。が、ノドを湿らせるには充分だ。

 それにつられるようにいまりもコントローラーを置いて、ジャスミン茶のボトルを手にしてフタを開けながら、僕のほうを見る。


「今日はもう終わり?」


「さすがに無理。疲れた」


「ユウくんも若くないねぇ。昔は一晩ぐらいの徹夜なんともないとか言ってたくせに。寝かせてくれない夜が何度あったことか。……ポッ」


 わざとらしく頬に手を当てるいまり。ちょっとおばちゃんクサいぞ、その仕草。

 てか、いちいち擬音を口にするな。


「だって勝てねーだもん。今のでマジ心折れたわ」


「ユウくんが弱すぎるんだよぉ」


 ほんのり頬をふくらましながら、抗議するいまり。

 この28歳児めが。

 彼女は本気で言っているのだ。


 いまりは、ごく控えめに言って、野球ゲームが滅茶苦茶強い。

 初めて一緒にプレイした時はこれが才能というやつか、と唖然としたものだ。

 今時、いい歳した女性がゲームに没頭するぐらい珍しくもないことというのはわかっている。

 専業主婦が空いた時間にMMOにドハマリしてコミュニティの女王に君臨してる話とか、ブログやら匿名掲示板やら漁ればいくらでも出てくるだろう。

 でもやっぱり、平均的に見て、アクションゲームやスポーツゲームというジャンルでは男のほうが上手い人が多いように思う。

 この女はちょっとおかしいのだ。


「最後のはいい勝負だったろ?あと一人抑えてれば勝ってたんだし」


「エディットチーム使っといてよく言えるわね~」


「…………」


 液晶モニターの中は、コミカルなBGMとともに試合結果を移している。

 いまりの声を無視して、僕はリモコンを手に取ってテレビ画面を地上波に切り替えた。

 土曜の朝からテンションの高いオッサンがどこかで起きた事件にコメントしている最中だ。

 犯人の家から大量の猟奇マンガが見つかってどうのこうの。

 馬鹿馬鹿しい。

 本当にマンガが犯罪を助長するなら、日本で一番売れている作品を考えるに、今頃日本近海は海賊船であふれているだろう。

 そんなニュースの戯れ言なんてどうでもいいかのように、いまりが小さくぼやく。


「なんかお腹すいたぁ」


「土曜でモーニングやってるとこ近所にあったっけ?」


 チャンネルを変えながら提案してみるが、正直今から出かけるのは面倒くさい。

 どうやらいまりもそうらしい。


「ん~、それはさすがにめんどい……んふぁ」


 小さくあくびをかみ殺しているのがわかる。まあ、いいかげん眠いんだろう。

 しかしどのチャンネルもいまいちピンと来ないな。

 僕と同い年の男性アイドルが電撃出来ちゃった婚、とか本気でどうでもいい情報だ。

 テレビを消してソファにもたれかかる。


「うん、僕も出かけるのはちょっとな」


 …………まあ正直言いまして。

 堕落してるなぁ、と思わないでもない。

 僕らぐらいの歳になると、結婚してる人も多い。

 そろそろ同級生は子育て真っ最中の連中も増えてきた。

 それが、我が家じゃ二人して徹夜でゲーム。

 我ながらまともな社会人としてちょっとどうかと思ったりしないでもない。

 そろそろケッコンケッコンとうるさい親が聞いたらどう思うかね。


「んー、じゃあアタシちょっと寝ゆー」


 そう言って、いまりが僕にしなだれかかってくる。

 化粧品なのか香水なのか彼女の匂いなのか、あるいはそれらが全部混ざったものなのか、とりあえず良い香りが鼻をくすぐる。

 女性としては少々起伏に乏しい身体だけど、何故だか凄く柔らかい。


「寝ゆー、は流石に年齢を考えようか」


「うっさい」


 そう言って、僕の太ももを軽くつねる彼女。

 痛みはない。むしろどこかくすぐったさを感じる。


「…………まぁいっかぁ」


「何がぁ?」


「何でも無いよ」


 ヨソはヨソ、ウチはウチ。

 僕らには僕らの人生の楽しみ方というものがあるのだ。


「ほらほら、寝るならベッドで寝なさい。それに汗かいてんじゃないの?」


「ん~、ユウくん身体洗ってベッドまで連れてって~」


 本気で眠そうな声だ。これはもう寝るな。


「いまり重いからヤダ」


「なんだとお」


 そういいながら、いまりはだるそうにメガネを外してソファの前のローテーブルに置く。

 メガネを外して無防備になった彼女の頭をさりげなくなでながら、シャワーも後でいっか、と思いながら気だるくまどろんでゆく。

 そんな週末の朝だった。



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