第1話 特に何も起きません。
土日の休み、というのは素晴らしいよね。
手取りが安いわ、サービス残業当たり前だわ、妙なパワハラがあるわ、と言ったほんのりブラックの香り漂うウチの会社にも、ひとつだけ良い点がある。
土日が完全に休みってことだ。
平日は、帰り道にあるスーパーが閉店間際でお総菜に必ず半額シールが貼ってあるぐらいの帰宅時間になる今の仕事だけれど、それでも必ず週末に2連休が取れるというのは今のご時世大変ありがたいことだろう。
お昼前に起きて、コーヒーでも飲みながら録り溜めしてある深夜アニメをのんびり観られる休日というのは、ナニモノにも代えがたい至福の時である。
そこにキノコ型のチョコレート菓子でもあればもう最高。
随分としょっぱい幸せだなぁと思われるかもしれないが、実際しょっぱい小市民なんだから仕方ない。
学歴もない、有能と呼べるほど仕事が出来るわけでもない、親も大して裕福じゃない、顔も人並み、背はちょっと低め、コミュ力は日常生活に不便がない程度、趣味と言えば漫画、ゲーム、アニメ、ネットetc……と言ったいわゆるオタク趣味ぐらい。
しかも、オタクと言っても、絵が描けるわけでもない、ゲームの腕も二流、大してPCスキルもない、これだけは自信があるって言えるような知識もない、学生時代は異世界に行きたいとけっこう真剣に願っていた(あまり思い出したくもない記憶だけれど)程度の、三十路前の冴えないユルオタだ。
僕はオタクだ!と胸を張って言おうものなら「このニワカ野郎」と、ガチ勢に怒られるんじゃなかろうか。
まあしかしそんな僕でも、なんだかんだでこういうしょっぱい幸せを積み重ねながらそれなりに人生を楽しむことが出来るのだから現代日本万歳というものだ。
――そして。
「このアニメってさあ、けっこう作画ブレるよね」
こんなナイナイ尽くしな小市民の僕にも、ありがたいことに一応パートナーと呼べる人物がいる。
「前回は割と良かった気がするんだけどなぁ。ほら、このヒロイン、アゴとがりすぎ」
二人がけのソファで僕の右側で体育座りをして、ポリポリとタケノコ型のチョコレート菓子をつまみながら、32インチの液晶画面にイチャモンをつけているラフなパンツルックの彼女は、七橋いまり、と言う。普通のOLである。
ちょっと珍しい名前だけれど、これはいまりのおじいちゃんが伊万里焼が好きだったからという、どこまでが冗談なのかわからないエピソードによって付けられた名前らしい。
ちなみに言うと同い年である。
つまり30手前。
「なんだよ、彼女いるんじゃねぇかこのリア充が」とか思った方々も、年齢を聞いてほんの少し溜飲が下がったのではなかろうか。
いい歳こいて土曜の午前中から男の家に来てお菓子をむさぼりながらアニメを観ているアラサー女子(笑)を「彼女にしたいっ!」と思う男性諸君というのは、どちらかと言えばマイノリティなんじゃないかな。
いやまあ、僕が世間知らずなだけでそれなりに需要があるのかも知れないけどさ。
「んー、ハーレムラブコメにそこまでガチな作画求めてる層も少ないと思うけど」
一応のフォローを試みながら、僕はキノコ型の菓子を手に取る。
「そう?こういうのってヒロインが可愛いかどうかが全てなんじゃないの?まあ背景とかは仕方ないにしても人物の作画がアレってのはちょっと問題だと思うけど」
そう言ってタケノコ型の菓子をつまむ彼女。
……僕らは、この国民的お菓子の好みについて真っ向から意見を異にする。
そのせいで、一時期別れるか別れないかの大げんかにまで発展した――――、なんてことは全くない。
たかがお菓子の好き嫌いごときで大仰に持論を展開し激論を交わすフリをしてはしゃぐには、僕らは少々歳を取り過ぎている。
お互い、あればどっちだって食べるのだ。
……まあ、気を利かせて両方買ってきてくれる彼女の気配りに感謝しないでもないが。
ちなみに柿ピーでは、僕は柿の種ばかり食べるし、彼女はピーナッツばかり食べるので結構Win-Winの関係だったりする。「ピーナッツが少ないから私のほうが我慢している」という彼女の主張に関しては、僕に言われてもどうすることも出来ない。製菓会社に言ってくれ。
「んで、ユウくんのイチオシは誰なの?」
いまりは僕のことをユウくん、と呼ぶ。
申し遅れたけれど、僕の本名は九能裕介。
九能帯刀の九能に、五代裕作の裕に、藤波竜之介の介と書いて九能裕介だ。
何を言っているのかサッパリわからないという世代の人はスルーしてくれてかまわない。
僕だってリアルタイムで見ていたわけじゃないからね。
「今んとこ、ナっちゃん一択じゃね?」
「ええっ?ピンク髪?ユウくん、オッサンになって趣味変わった?」
「そんなことねーよ。かわいいじゃん。チョロいし」
――おっぱい大きいし。と言う心の声は決して口に出してはいけない。
何故かについては聞かないでほしい。察してくれ。そういうことだ。
「出ーたよ。そんなにチョロいのが好きか。どう考えてもゆっひーだと思うけどなぁ」
「僕は二次元にメガネフェチはないの」
ちなみに言うと、いまりはレッドフレームメガネ女子である。
学生の頃からあまり変わらない大人しめのセミロングにその赤いメガネがちょうどいいアクセントになっていて、まあそのなんというか、結構気に入っている。
なので僕は、一応、念のため、仕方なく、〝二次元に〟を強調してあげたのだ。
ここで、ちょっと恥ずかしそうに「じゃあ三次元はどうよ///」とでも聞いてくれば可愛げがあると言うものだが、いい加減付き合いの長いいまりは決してそんなことは言わない。
「ふーん」
の一言で終わりである。
ちなみに言えば僕といまりの出会いは大学時代のオタサー(オタク系サークル)にさかのぼる。かれこれ10年近い付き合いになるのだから、初々しさはなくて当然だ。
だいたいこういうことを言うと、多くの人が「結婚はしないの?」と聞いてきて大変ウザい。
正直ほっといてくれと思うのだが、念のため答えておくと、お互いのライフスタイルを尊重したいから(キリッ、とかそういう意識高い系の理由では全然なくて、ただ単にタイミングを見失っているだけである。
貯金あんま無いし、仕事忙しいし、そんなに急ぐことでもないし、相手が本気なのかどうかわかんねぇし、とダラダラ生活を繰り返しているうちに、気がつけばもう30が見えていたというだけのことなのだ。
どこかで同棲でも始めていればアッサリとゴールインした可能性もあるが、まあ今さら言っても仕方ない。
「――え、今のがオチ?」
いまりの素っ頓狂な声とともにエンディングテーマが流れはじめた。
肌色成分多めのヒロイン達がゆっくりとスタッフロールとともにスクロールしていく。
僕は大ぶりのマグを手に取って温くなったコーヒーを口に含んだ。
「んで、どう?評価は」
コーヒーでチョコの甘さを洗い流して、いまりに感想を聞いてみる。
どんな作品でも毎回彼女に採点してもらうのが、僕の中で小さなルールとしてある。
「……ん~、今んとこ30点かな」
「結構辛口だなぁ」
「まあ正直アタシの守備範囲じゃないしねー」
そっけなく言って伸びをするいまり。
しかしなんだかんだと文句を言いながらも僕の深夜アニメ鑑賞にしっかりと付き合っているのだから、まあそこまで嫌いってわけでもないのだろう。
彼女は、学生時代オタサーに所属していたとは言っても、そこまでオタクってわけじゃない。
むしろどちらかと言えばちょっぴりサブカルをこじらせちゃってる感のあるいまりは、結構好き嫌いが激しくて、観る作品に偏りがある。
たとえばハリウッド映画だとか、エンタメな娯楽作品にはとても疎い。
某有名宇宙戦争映画を、「ああ、あの携帯の機種名みたいなロボットが出てくるやつか」と、世界中のジェダイの騎士を敵に回しそうな一言で済ましてしまう危険な女なのだ。
そんな彼女がこの毒にも薬にもならないようなハーレムラブコメをグダグダ言いつつも観ているというのは、僕に対する愛のなせる業ってわけでもなさそうだし、それなりに気に入っているのではなかろうか。
体育座りをしていた足を崩して、次回の内容がサッパリわからない次回予告を聞きながら、いまりはこちらに顔を向ける。
「それよりお昼どうする?」
「んー、出かけるの面倒くさいし、たまにはピザでもとろっか」
「お、いいね」
こういう時、長い付き合いだと結構楽だ。
今さらオシャレなカフェでランチー♪とかそういうノリを求めてこないし、牛丼屋とかファストフードとかでもグチ一つ言わない彼女というのは案外得がたいモノなのかも知れないな、とこっそりいまりに感謝してみる。
「何だったら昼間っからビールとかいっちゃう-?」
……まあ、彼女のオッサン化が進行してるだけなのかも知れないが。
「僕がビール嫌いなの知ってて言ってるだろ」
そう言いながら僕は立ち上がりデフォルトのスクリーンセーバーがうごめいているPC画面に向かう。
「いい歳してビールの味わからんかー。子供かー?」
「うっさいよ。で、何がいいの?」
ブラウザを立ち上げてお気に入りに入っているピザ屋のHPを開く。
赤を基調とした背景に、トローッと伸びたチーズが美味そうなカロリーの権化の画像がデカデカと液晶モニターに映る。
「アタシ、あれがいい~。あのアボガドが乗ってるやつ~」
ぐでーっとソファに鎮座したまま、右手を挙げて主張してくるいまり。どっちが子供だかわかりゃしない。
「ヘイヘイ。どうでもいいけどアボカドな」
僕は安物のマウスを動かして注文を済ませる。人と会話することなく出前が取れるのだからいい時代になったものだ。昔から知らない人と電話で会話するのはどうも苦手なプチコミュ障にとってはネット生活万歳である。
「――んじゃ、次のやつ再生しといて」
「はいよー」
いまりが慣れた動作で面倒くさそうにリモコンを操作すると、派手派手しい電子音の混ざったロック調のテーマが流れ始めた。
「最近、動画サイト出身の歌手増えたよねー」
「あ、この曲そうなんだ。へー」
彼女の声とテレビから流れるロボットアニメのOPテーマを聞き流しながら、立ち上がって冷蔵庫を開ける。
一人暮らし用の小さなアパートは、リビングもキッチンもPCデスクも近いので移動に手間がかからない。いまりが背を向けているソファの後ろで、僕は350mlの缶を手に取った。
「私もなんか個人配信とかやってみよっかなー。案外人気出ちゃったりしないかな?」
「やめとけやめとけ。どうせ画面じゅうBBAの文字で埋め尽くされるから」
「……ナンダトコノヤロウ」
あまり女性がしちゃいけない形相で僕のほうを振り向いたいまりの頬に、僕はその缶を当ててやる。
「飲むんなら一人で飲みな。どうせ帰るまでに醒めるだろ?」
何故ビールが苦手な僕の冷蔵庫にそれがあったのかは聞いてはいけない。
まあなんだ。僕だってこの、のんびりした二人の週末を楽しみに日々灰色の生活を過ごしているということだ。
キョトンとした顔で冷えた缶を受け取ったいまりは、ソファの空いたスペースに座り直した僕のほうをじっと見る。
そしてそのまま「ユウくん大好きーっ」と僕のほうに抱きついて…………
…………………………来たりはしない。
「あのね、ピザが来るまで30分はかかるでしょ?それまで待ってたらせっかく冷えてるビールがヌルくなっちゃうじゃないの」
「いや、待ち時間40分以上って書いてた。やっぱ土曜だから混んでるのかな?」
「てめぇ確信犯だな。……まあいいや」
そう言っていまりはプシッっと勢いよくプルタブを開ける。
メガネ女子が缶ビールを飲む姿ってのはなかなか良い。
「確信犯の使い方間違ってね?」
「うっさい」
いまりは右手にビール缶を持ち、……左手は僕の右手にさりげなく添える。
「んじゃあと2本は観られるね」
「この次5分アニメだからすぐ終わるよ」
「ああ、あの百合っぽいやつか」
僕は冷めたコーヒーを飲み、いまりは冷えたビールを飲む。
画面の中はギャグパートで、キャピキャピとしたヒロインがすっ転ぶ。
「あ、パンツ見えた」
「縞パンってアタシらの歳だとキツいよねー」
「そうかな?」
「…………えっ」
こうやって、僕らのどうでもいい週末は過ぎてゆく。