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イベント崩壊





早く大人になりたいと思った。

彼を守れるようになりたかった。けれど、彼の背負うものを思えば、私が大人になったからと言って守れるようなものではないと分かっていた。それでも大人になりたかった。大人になって、あの頃のように大きな身体を手に入れて、そうして包み込んでしまいたかった。幼さに似合わない冷めた表情で、唇を噛むその人を。


そのままで良いのだと、貴方が伸び伸びと育てば良いのだと、貴方の幸福が楽しみであると、ただそれだけを伝えたくて。


もどかしい想いが溢れ出し、泣きながら抱きしめた。小さな身体で力を籠める。まるで私の方が縋りつくような情けない形だったけれど、抱きしめ返してくれる強い力に、これで良いのだと思えた。

だから私は、貴方を幸せにしたい。これは私のエゴだけど、幸せに包まれて穏やかに微笑む貴方を見たかった。









「紫緒?」


ぼんやりとした思考の中、よく聞き知った声が振ってくる。その声がもやを払うように私の中で染み渡り、白い光を感じる。私がゆっくりと目を開けたのだ。

目の前には、斎様の端麗な顔があった。相変わらず、いつ見ても美しいご尊顔である。しかし、何の感情も窺えないくらい強張った無表情は、斎様に何か懸念のあるときの表情だと長年の付き合いの中で知っていた。


だから、私はもぞもぞと身を捩って手を伸ばした。こちらを覗き込む斎様の頬に触れて、そのまま首の後ろに腕を回す。斎様は抵抗する事なく引き寄せられ、私のすぐ隣に頭を寝かせた。すると、斎様の手のひらが私の頬を撫で、強張っていた表情が少しだけ緩められる。私もその様子に安堵して、へらりと笑った。


「斎様、紫緒が、斎様を幸せにしてあげますから」

「………うん、もう今日はそれで良いや」


最近怒ってばかりだった斎様の目が久しぶりに優しくて、嬉しくなった私はへらへらとだらしなく笑う。良かったけれど、何でだろう。そう言えば、ここはどこだろう。

視線を巡らせれば、今いる場所を囲むカーテン、その隙間から覗く窓の外の景色、自分が埋もれている白いシーツを確認して、自分がベッドの中で眠っていた事に気付く。同時にそこが保健室であるという事にも気付いた。


「………あれ、どうして私、保健室に…?」


前世では、何かと理由を付けてサボりに使用していたが、この世界に生まれ変わってからは斎様のおそばにいる為、勤勉に授業にも参加していたはずである。むしろ、たまにサボろうとする斎様を説得して宥めすかして授業に連行していたくらいだ。


疑問符を浮かべながら間近にある斎様の顔を見つめれば、彼は口を開く。しかし、その口から言葉を発せられる前に、ベッドを囲むように引かれたカーテンが静かに開いた。


「篠宮君、紫緒ちゃん目覚め………ご、ごめんね!」


控え目な調子で顔を出したのは、今日も可愛い愛花ちゃんだった。愛花ちゃんはこちらを凝視すると頬を赤く染め、慌てて外に飛び出してすぐにまたカーテンを閉めてしまう。

どうしたのだろうか、と愛花ちゃんが凝視した現状を確認することにした。


私は今、保健室のベッドに寝ており、その目の前には斎様がいる。よくよく見れば斎様はベッドのそばの椅子に座った状態で上半身だけをベッドに乗せていた。そして、何故そんな状況になったかと言うと、私が斎様を引き寄せたからで、その腕は今も斎様に回されたまま。更に言えば斎様の手のひらも私の頬に触れたままである。

私は、ようやく誤解しか生まない現状に気付いた。


「ち、違うの愛花ちゃん!これは寝ぼけてただけで…!」


だって、小さい斎様の夢を見ていたから!目覚めたらその頃のような堅い表情で斎様がこちらを見ていたから!

誤解しないでと慌てて起き上がろうとすれば、何が誤解なのか、と斎様に顔面を掴んでベッドに押し付けられました。先程までの優しい斎様はどこへ?









何とか私も愛花ちゃんも落ち着いて現状を確認した所、どうやら私は二クラス合同の体育の授業中にバレーボールが頭にぶつかり、気を失ったらしい。兄曰く、脳震盪だろう、との事。と言っても、気を失っていたのは二十分くらいらしいが。

しかし、高々体育の授業のバレーボールで気を失うなどと、鈍っているのかもしれない。仮にも、かつては陰日向と篠宮家を支えたという宮下家の人間が情けない。


「ごめんね、紫緒ちゃん。私のせいで………」

「あ、ううん。気にしないで。私が勝手にした事だし」


言われてようやく思い出したが、そもそもバレーボールは愛花ちゃんに向かって飛んできた。一緒に歩いていてそれに気付いた私が愛花ちゃんとバレーボールの間に飛び出し、見事後頭部にヒットしたらしい。やはり情けない事この上なかった。


その後、ベッドで眠る私に斎様が付き添い、愛花ちゃんは教室に私の荷物を取りに行ってくれたらしい。ちなみに、兄は一応病院へ連れていく為、職員室に知らせに行ってくれている、と愛花ちゃんから聞いた。流石、ヒロインたる愛花ちゃんはあの強面の兄に対する恐怖心などはまるで滲ませなかった。心の清らかな娘さんであるからこそ、斎様に相応しい。


「紫緒がこの女を庇う必要なんてなかったのに」

「斎様!」


未だベッドの中で上体を起こす私の側の椅子に座り、カーテンの近くに立つ愛花ちゃんに背を向けたまま、斎様はいたく冷たい事を言う。思わず咎めるように名前を呼んだが、斎様は顔を背けてまるで反省する様子も無い。


今回の事に限らず、何故か斎様は愛花ちゃんに冷たく接する。確かにゲームの斎様はツンデレな上に心の壁が高過ぎて親しくない人間への反応など、それはそれは冷たいものだったが、これはまた種類が違う。何より、現実の斎様はツンデレと言うほど不器用でも無く、割と器用に受け流す一面を持つだけに不自然だった。


上手くいかない。私はただ、斎様の未来の恋人を守らなければ、と必死なだけなのに。

いっそ、乙女ゲームの事とかを説明してしまった方が、案外すんなり行くのではないかとも思うときもあるが、さすがに前世云々、ゲーム云々と言いだしては頭を心配されて終わるだろう、という事は分かっている。


「その通りだよ、紫緒ちゃん。助けてくれたのは嬉しいけど、その代わりに紫緒ちゃんが怪我するのは嫌だよ。だから、私も気を付けるから、紫緒ちゃんも無茶しないで」

「あ、愛花ちゃん、なんて優しい……」


これが、ヒロインがヒロインたる所以か!すごく思いやりを感じる。そう、そうなのだ。ヒロインはいつだって心優しく、それでいて一本筋が通っているのだ。だからこそ、彼女の優しさは自然と胸の奥に響く。そんな彼女だから、斎様のおそばにいて欲しいのだ。

私が感動していれば、愛花ちゃんは何かを思い出したように明るい笑顔を浮かべる。


「それに、篠宮君は心配してるんだよ。紫緒ちゃんが倒れたとき、篠宮君はすぐに駆け付けてくれてね、素早く抱き上げて保健室まで連れて行ってくれたの。その動作が凄く優しくて、大切なんだなぁ、って思った」


んんん、何だか少し違和感を覚える。斎様にご迷惑をかけた申し訳無さや、そのお気遣いへの感謝の気持ちも湧き上がるが、それ以上に愛花ちゃんの様子が気に掛かった。少しばかりうっとりとしたような、まるで羨望のような熱を込めたその瞳。

そして、何故だか愛花ちゃんの語る内容に妙な既視感も覚えていた。


「初めて見たけど、篠宮君だと格好良いね。『お姫様抱っこ』」


私はそこまで言われて既視感の正体を悟り、雷に打たれたような衝撃を覚えた。

イベント!それは胸キュンもののイラストをゲット出来るイベント!男子生徒数名が体育の授業中にふざけ合ってバレーボールを暴投し、それがヒロインに直撃。とりあえず保健室に運ばないと、となったものの、あの『どう見ても堅気ではない養護教諭の根城』に行く事を皆が躊躇ってしまい、そこに斎様が颯爽と登場するのだ。


人間不信気味の斎様は、その時点ではヒロインに何の興味も無かったが、怪我人の安否よりも保健室への恐怖心が表に出てしまったクラスメート達に嫌気が差し、自らヒロインを保健室に運ぶのである。もちろんお姫様抱っこで!


「ごめんなさい、斎様!」


私はなんて事をしてしまったんだ!貴重なイベントを自ら潰してしまうなんて!だからと言って、目の前でバレーボールが直撃しそうな愛花ちゃんを放ってなど置けないし、でもでもでも!斎様がヒロインと交流を深める事の出来る貴重なイベントぉおお!


「何が?俺に手間を掛けさせたとでも?そう思うなら気をつけて。紫緒が倒れるとき、心臓が止まるかと思った」


わああ、その気持ちはすっごくすっごく、大変嬉しいけれどちがぁあああう!私は、私は己の愚かさを、憎み戦慄しているのです。ごめんなさい、斎様。紫緒はお側付きとしてもオタクとしても未熟者です。こんな大切なイベントを自ら壊してしまうなんて!

ぐずぐずと落ち込みだした私の頭を、ひどく優しい顔で斎様が撫でる。


「俺には紫緒が必要なんだから」


その温かさを受け取る資格が私にはない。斎様の幸せを何よりも望む私が、その邪魔をしてしまうなどと、なんて許し難い事だ。


「斎様、これからは気を付けます」


私は、とりあえず今は落ち込む事を許して、心新たに誓いを立てる。今後は必ず、イベント崩壊などという哀しい事は起こさない。着実にイベントをこなし、斎様を安定の幸福に導く。

それが、乙女ゲームの世界に生まれ変わった、私の使命なのである!







読んでいただき、ありがとうございます。

ちょっと小休止のような、斎があまり不憫ではないお話です。あと、脳震盪を起こした人を安易に動かしてはいけなかった気がします。斎はきっと頭を動かさないように慎重に最大限の気を配り運んだのです。

お姫様だっこってロマンティックな言い方をしますが、リアルに考えてみると確かに気を失っている人、体に力の入らない人を運ぶには一番運びやすい方法ですよね。



前回書き忘れていたので人物紹介。

桜井愛花:少しおっとりしているが芯は通っている。優しく、基本的には他人優先だが、言うべき事はしっかり口にできる。磨けば光る逸材。現在クラスの男子には『よく見ると可愛いけどちょっと地味じゃね?』くらいの扱い。誰に対しても偏見なく朗らかに接する事ができる。紫緒と斎は付き合っているのだと思っている。


ゲームのヒロイン:基本は同じだが、攻略キャラによっては多少性格が異なる。若干小悪魔、若干天然、のような感じに。入学当初は平均的な女子だが、育て方によっては完璧美少女(もしくは美女)に化ける。ちなみに、斎に対しては真面目ながら天然の入ったキャラで、絶妙に踏むドジが二人の仲を発展させていく。



宮下泰成:紫緒の兄。子供所か大人も泣きたくなるような強面。だが、中身は小市民。子犬とか好き。和む。人から恐れられてしょぼんとしている。でもその顔が睨んでいると思われる。紫緒と斎のすれ違いに気付いている唯一の人だが、心の中で『うわーやべーどうしようこれ』と思うだけで積極的に改善には努めない。良く言えば見守っている。争い事の嫌いな平和主義者。


ゲーム版宮下泰成:ベースは同じだが、篠宮斎への忠誠心のようなものがとても高い。何かにつけて斎を引き合いに出し、斎の許可を得てから行動する。でも、たまに斎が間違っていればきちんと諭す。家事能力が高い。器用で大抵の事はサラッとこなす。特に家事。自分の容姿に怯える事無く、笑顔を向けてくれたヒロインに心を開いていく。



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