鯉は割とパワフル
出会って四ヶ月くらいの二人
私と斎さまが出会ったのは、彼の家の池の前である。
その池には悠々自適に鯉が泳いでおり、時代劇の中から出てきたのかな? と思わせる落ち着いた篠宮の家の庭を彩っていた。
ほとんどが白ベースに赤い模様の鯉で、その中に黒や金が混ざっている。篠宮の使用人に手厚く世話をされている池の鯉たちは、いつものんびりしているものの、元気そうだった。
「じゃーん!」
その鯉の池を前にして、私は意気揚々と手の中のそれを斎さまに見せつけた。思わず、効果音を口に出して言ってしまうくらいには、楽しみでそわそわしている。
斎さまの目が少しばかり丸くなって、それからじっと私に向けられた。六歳の斎さまはまだ世の中の色んなことが珍しくて、時々こういう表情をするのだ。
きょとんとしているの可愛い。最高に可愛くて、保護しなければ! という使命感に駆られる。
「なにそれ」
「鯉のごはんですよ!」
微妙にまだ舌足らずなのがまた良し、と思いつつもきっとそれに関しては私も似たようなものである。仕方ない、まだ六歳だもの。
「いっしょにあげたくて、もらってきました!」
篠宮家の跡取りである斎さまは、六歳の身空で結構忙しい。具体的に言うと家庭教師の先生が来る時間があるのだ。先日、それが終わるまで暇を持て余していた私は、鯉の世話をしている山川さんを見つけた。
その様子を興味津々に見ていた私に、山川さんが『お嬢さんもやってみますか?』と鯉の餌をくれたのだ。
それが思った以上に楽しかったので、斎さまとこの楽しさを共有したいと思い、山川さんにお願いした。すると、自分が見ているときならいいですよ、と許可と共に鯉のエサをくれたのである。
というわけで、山川さんに見守られる中、斎さまの手を引いて池へと連れてきたのだ。
最近ほんの少しばかり心を開いてくれたのか、私が近付いても嫌がらないし、手を引けば素直についてきてくれる。時々ちょっと表情を緩めてくれるようになったので、斎さまに近付けたようでとても嬉しい。
三月になったとはいえ、風はまだ冷たい。羽織とマフラーだけで寒くないかな、と心配だ。エサやりだけしたら、温かい室内に戻ろう。
「こうやって、ご飯をあげるとですね……」
並んで池の前にしゃがみこみ、斎さまに手本を見せるように三本の指でつまんだ鯉の餌を池にパラパラと撒く。
すると、案の定猛烈な勢いで鯉がこちらに集まってきた。鯉のこの、食事に対してパワフルな感じがかなり好きである。
「うわっ」
すると、なんとそのとき! 斎さまが声を上げて隣にいる私にしがみ付いてきたではないか! え、ちょ、なにそれ可愛い! 嘘、可愛い! いや嘘じゃない! 可愛い!
どうやら初めて見る鯉の猛追にびっくりしたようである。すぐに私にしがみついたことに気付いた斎さまがはっと我に返ったような顔をして、悔しそうに顔を背けた。そのまま、摺り足で十センチほど横に離れる。
「……なんでもない」
どうやら今の行動は、斎さまの中で失態に分類されるらしい。隠し切れない表情がそう物語っていた。
その悔しそうな様子さえ可愛くて、まったくもう、斎さまは私をどうしたいのだ、という気持ちでいっぱいである。素直に興奮する。
しかし、同時に心配でもある。
こんなに可愛くて、しかも将来はとんでもなく格好良くなることが約束されている。きっと斎さまのことを魅力的に感じる人は、とてもたくさんいるだろう。
来月から小学校に入学することになるが、斎さまに惹かれる女の子が現れたらどうしよう。否、きっと現れるに違いない。だって斎さまはこんなにも素敵なのだから。
斎さまには、将来出会う乙女ゲームヒロインとのハッピーエンドのため、他の女性に道を踏み外すことなく、高校生まで成長してもらわなければならない。
私が、何とか斎さまをお守りせねば……!
ここしばらくずっと考えていた決意を新たにする。
斎さまに近付こうとする女の子から彼を守り、健やかな成長を促すのが私の使命だ。きっと私はそのためにこの世界に生まれてきたのだ。斎さまとヒロインの幸福を守るために。
「斎さま。そんなかわいい顔、私のまえ以外でしちゃだめですよ」
みんな好きになっちゃうからね!
軽く咎めるように言えば、斎さまはぷいと顔を背ける。しばらくの沈黙のあと、極々小さな声で聞こえてきたのは『……かわいくない』という言葉だった。
その言葉がすでに可愛い、と私が悶え苦しんだのは、最早言うまでもないだろう。