彼女と彼とお兄ちゃんの休日の朝
斎様の寝起きは悪い。
いくら目覚まし時計を掛けた所で、一人で起きて来る事はまずないし、私が起こしに行っても素直に起き上がってくれた事は数えるほどしかなかった。何とか一分一秒でも長く惰眠を貪ろうとする上に、ようやく起きたと思ってこちらが斎様の部屋から退室すれば、いつの間にか二度寝をしている事がほとんどだ。
どれだけ早く寝ても、目覚ましを工夫してみても、全く改善が見られないので、これは最早低血圧とか、そういう体質のようなものなのだと思う。
そんな斎様だが、休日でもきちんと朝ご飯の為に起床して下さる。起こすのはもちろん私の仕事ではあるが、特に予定のない休日でも、せっかく紫緒が朝食を作ってくれているのだから、と言って頑張って起きてくれるのだ。そんな風に口にする斎様の可愛さに、無限の可能性を感じずにはいられない。
しかし、そんな斎様だから、休日の朝食を終えたあと、リビングのソファでうたた寝をしてしまう事があった。さすがに、平日は学校があるので朝食を食べる頃には諦めて頭を起こしているが、休日はどうやら気が抜けてぼーっとしてしまうらしい。
それは、今日も例外ではなく、洗い物を終えてリビングの斎様の様子を見に行くと、ソファに座ったまま船を漕いでいた。相変わらず、文句のつけようのない美しさを誇る寝顔である。シャープなフェースラインも肌理の整った素肌も伏せられた瞼も、何もかもが理想的な角度と形をしていた。私にとっては最早芸術品に等しい。
にやり、思わず隠しようのない笑みを漏らして、スマートフォンのカメラを起動させて構える。もちろん、私の斎様専用フォルダに新たなる一ページを加える為だ。何枚かはプリントアウトしてアルバムに纏めるつもりである。どうしよう、非常に楽しい。
「……紫緒?」
なんて、にやにやしながらカメラを構えていれば、怪しい空気でも感じ取られてしまったのか、斎様が薄っすらと目を開けた。眠気と戦っているのだろう、目は開き切らず眉は顰められている。
「起きました?」
私は平然とした顔でスマートフォンをソファの下に隠す。思いきりスマートフォンを構えていたが、寝惚けまくっている今の斎様ならそれだけで誤魔化せるだろう。
「どのくらい寝てた?」
「んー、片づけをしている間だったので、十分くらいですよ」
斎様は欠伸を一つ漏らして、涙が出たのか瞼を擦る。遠慮のない手つきで擦るので、目が腫れてしまいかねない、と思い手を伸ばす。
「擦っちゃダメですよ」
そう言って斎様の手を取れば、彼はじっと私を見つめて、ソファの前で膝をつく私の肩に顔を埋めた。そのまま、首筋に顔を擦り付ける。おおぅ、何だか甘えるような仕草に、非常に胸がキュンキュンするのですが。
「今日は何だか重症ですねー」
いつも以上に眠気を持て余している様子の斎様に、何だか微笑ましくて笑みが漏れた。すると、んー、と唸っていた斎様が私の二の腕を掴み、そのままの勢いで引っ張り上げた。
「えっ、ちょ、え!」
促されるままに身体を浮かせば、斎様がそのままぎゅっと抱きしめてくれる。これはやはりまさか、甘えてくれているのか!なにそれ可愛い。超可愛い。
相変わらず眠そうな斎様に興奮しつつも和んでいれば、もぞもぞと体勢を変えた斎様と共に私の身体の向きも変わり、ぐっと体重を掛けられて後ろ向きに倒れた。あれー何だかおかしいなーと思って視線を上げれば、真上には斎様のご尊顔。もしやこれは………押し倒されている!
「あ、朝から何をしているんですか!」
「んー……据え膳は頂いておこうと決めたんだよね」
「据えてないです!全然据えてないです!」
抗議の声などまるで耳に入っていない様子で、斎様は私のブラウスのボタンを外しに掛かる。ぎゃあ、手早い!三つ程ボタンを外し、下着が見えるかどうかという際どい状況となった。斎様は首筋に顔を寄せようとして、
「あ、ごめん。やっぱり無理」
そのまま自身を支えていた手の力を抜くと、私の上に圧し掛かる。しばらく何が起きたのか分からず目を白黒させていたのだが、耳のそばで規則的な呼吸音が聞こえてきて気付いた。この人、寝ていらっしゃる!
「え、え?斎様?」
返事はない。これは完全に寝ている。人の上で完全に寝息を立てている。
人の事を押し倒しておいて!しかも、それでボタンまで外して据え膳を頂こうとしていた癖に寝てしまうという事はつまり、私は睡眠欲に負けた……!
色気?色気が足りなかったのか?いや、こんな所でこんな時間にそんな無体を許すつもりはなかったが、それでも眠気に負けたと思えば何か悔しいというか、自信喪失するというか。いやそもそも自信を持つ事さえおこがましいのかもしれないけれど!
はあ、と一つ大きな溜息をついて、遣る瀬無くなる思考を一旦中止する。早く抜け出して斎様に毛布でも掛けてあげよう、と考え動きだそうとして衝撃を受けた。
身体が、びくともしない。
いつの間にか斎様の両手に腰をがっちりホールドされており、私は身動き一つ取れそうになかった。無理矢理身を捩れば、彼の腕から解放される前に二人揃ってソファから床に落ちるだろう。斎様を床に落とすなど、そんな可哀想な事は出来ようはずも無い。と、いう事はつまり、斎様が目覚めるまで私はこの状態なのか?
「お、重い……」
しかし、重苦しさを感じるものの、それ以上に斎様の体温が温かく、私まで猛烈な眠気を感じてしまった。今日は天気も良く、太陽の光がリビングに差し込んでいる。斎様を起こす事の労力と、ここから抜け出す事の困難さを考えた。私が色んな事を諦めて目を閉じるのに、そう時間は掛からなかった。
昨夜、妹と珍しく喧嘩をした。
喧嘩、と言っても妹に一方的に詰られただけだ。もっとも、それは妹が大事に取っておいたケーキを知らずに食べてしまった俺が悪いのだが。酷い酷い、と責め立てる妹を宥め、今日の朝一に同じものを買いに行く事で許してもらえる事になった。コンビニのオリジナルケーキだったので夜中でも手に入ったのだが、朝でも良い、という妹の温情により、朝食を食べてすぐコンビニへ向かう事になった。
自宅であるマンションから徒歩三十秒のコンビニに向かい、ケーキを買い求める。俺が食べてしまったのは一つだけだったが、お詫びの気持ちを込めて妹が斎様と食べられるように四個買う事にした。妹はあまり引きずらない性格なので、これで俺の兄としての面目は何とか保たれる事だろう。
「スプーンはお付けしましょうか?」
見慣れたコンビニ店員は、相変わらず気だるげな笑顔でそう問い掛ける。引っ越して来たばかりの頃は、この顔の為か彼も怯えるように顔を引き攣らせていたが、今ではすっかり慣れてくれたのか、俺と目が合っても変わらず気だるい調子で接客をしてくれるようになった。
自分の顔の怖さに怯えられる事がない、それだけでこのコンビニは買い物がしやすくて良いな、としみじみと思う。非常に軽やかな気持ちになって、今日は良い一日になりそうだと、まるで根拠のない期待が浮かぶ。せっかくの休日であるので、どこかへ出掛けるのも良いかもしれない。
マンションのエレベーターに乗り込みちょっとした浮遊感と共に目的の階に辿りつく。
「ただいま」
自宅の扉を開けると、室内が妙に静まり返っていた。いつもなら、朝食の片付けを終えた妹が掃除に勤しんでいる時間だ。斎様も、そろそろ完全に目を覚ましても良い頃合いだろう。それなのに、そういった生活音が全く聞こえてこなかった。
恐る恐る室内に足を踏み入れ、慎重に廊下を歩く。警戒を怠らずにゆっくりとリビングへ続く扉を開け、中の様子を窺った。すると、二人の姿は意外と簡単に見付ける事が出来た。
「何をやっているんだ……」
ソファの上で、二人とも重なり合うように眠っていた。斎様が紫緒を布団のように敷いて眠っているが、その紫緒の胸元は肌蹴てそこに斎様が顔を埋めていた。それなのに全く性的な雰囲気を感じられないのはおそらく、ソファの肘置きに頭を乗せて天井へ顔を向けて眠っている、妹の間抜け面が原因だろう。顎を逸らして口は空いているし、よだれも垂れている。
一体、俺が家を開けた数十分の間に何があったと言うのだろう。非常に反応に困るのでぜひとも止めて欲しかった。
これはこのまま放っておいて良いのだろうか、としばし考える。こんな所で寝て風邪を引いてもいけないし、年頃の男女がもつれ合って眠っているというのも、あまり良い事ではないだろう。例えそれが、どんなに色気のないシチュエーションだったとしても。小学生の雑魚寝にしか見えない。
だからと言って斎様を引き離して彼の自室まで運ぶのは少々骨が折れる。そりゃあ出来ない事はないが、十六歳の男子高校生を抱えて移動するのはなかなかの労力が必要であるし、何より言いようのない虚しさに襲われるような気がする。どうして俺はこうも毎度毎度、妹カップルの尻拭いに頭を悩ませているのだろうか。
「………まあ、良いか」
放置しよう。何も見なかった事にして、冷蔵庫にケーキを放り込み、俺はさっさとどこかへ出掛けよう。毛布の一枚でも掛けておけば、風邪を引く事も無いだろう。室内は適温で保たれている。
俺はさっさと二人に毛布を掛け、足早に自宅を後にした。
元々朝は弱い方だった。
寝起きはどうしても頭がはっきりしないし、気を抜けばすぐに眠気に意識を奪われそうになる。どれだけ早く就寝しても寝起きは変わらないので、最早体質のようなものだと思っている。
それに加えて、紫緒が律義にも毎朝俺を起こしにくる。俺を一生懸命起こそうとする彼女声や手のひらの温度が心地よくて、ついついそのまままどろんでしまうのだ。正直、はっきりと目が覚めてからも、眠気に負けているフリをしている事も少なくはない。
それを正直に告白しても、きっと紫緒は怒らないだろう。仕方がないですね、と言いながら笑って受け入れるのだ。それが俺にとってどんなに幸福な事か、きっと彼女は気付いていない。
ゆるやかに目が覚めるのを感じる。いきなり目を開くには眩しくて、薄眼を開けながら外の光に目を慣らす。朝食を紫緒達と摂った記憶があるので、その後にまた眠ってしまったのだろう。それならここはリビングだろうか、といつの間にか背中に掛けられていた毛布を捲って身体を起こす。
そのとき、ソファに手を突こうとして、自分の下に人間が眠っている事に気がついた。紫緒だ。彼女は急に俺と毛布が離れた事で冷え込んだのか、身体を震わせる。俺は慌てて彼女に毛布を掛けた。
何故紫緒が俺の下にいるのだろうか。正直あまり記憶にないが、何となくまどろみの中で彼女を抱きしめた記憶があるので、寝ぼけたまま紫緒にしがみ付いていたのかもしれない。それでそのまま眠ってしまったとか。
しかし、何故紫緒のブラウスが肌蹴ているのだろう。これは俺に対する挑戦だろうか、もしそうならば喜んで受けて立つのだが。
紫緒の寝顔を上から眺める。いつも彼女の方が先に起きて俺を起こしてくれるので、紫緒の寝顔を見る機会は少ない。この機会にまじまじと眺めてみる事にした。
ソファのひじ掛けに頭を乗せ、顎を逸らし、喉が晒されている。半開きの口からはわずかに涎が垂れていた。うん、実に、
「色気が無い」
何と締りのない顔だろうか。せめて口を閉じれば良いのに。口呼吸は健康面としてもあまりよくなかったと記憶している。しかもこの体勢だと、目が覚めたときに首を痛めていそうだ。
何とも残念な顔を晒しているが、正直俺は紫緒のそういう顔が嫌いではない。むしろ、うん。可愛いとさえ思う。おそらく、紫緒はこういう顔を俺に見られる事をひどく嫌がるけれど。
紫緒を起こさないように、慎重にリビングのテーブルの上に置いていた自身のスマートフォンを回収する。カメラを起動させて、彼女が目覚める前に素早くその寝顔を写真に収めた。うん、上手く撮れた。
ついでにそのまま待ち受けに設定してから紫緒を起こす。彼女は気恥ずかしそうに、変な顔してませんでした?と尋ねて来たので、気持ちよさそうに眠っていたよ、とだけ答えておく事にした。
読んで頂き、ありがとうございます。
もう書かないと言いつつも書いてしまいました……えっと、はい。第三部とかは書かないと思いますが、今後もこうした短編くらいは思いついたら書いてしまうんだろうな、と思います。お付き合い頂けましたら幸いです。
内容ですが、久々に書くとキャラを捉えるのが非常に大変でした。
あの後、お兄ちゃんは一人で洋服などのお買い物に出かけている愛花ちゃんと遭遇して、何とも穏やかな休日を過ごします。
その数日後、紫緒は斎の待ち受けが自分のブサい写メになっている事に気づき、
「いやぁああああ、なんっ何でそんな!変えて下さい!今すぐ消して下さいぃいい!」
「やだ」
と訴えたものの二文字で拒否されます。
斎は紫緒の気の抜けた残念な顔が割に好き。