だからキューピッドは卒業する
―――――――――――そして三年後。
高校生活とは瞬く星の煌めきのようだと、前世で私に色んな事を教えてくれたお姉さんは目を輝かせて言いました。何を教えてくれたかと言うと乙女ゲームとか乙女ゲームとか乙女ゲームとか。
そして、そのお姉さんはその直後、ふと冷静になってこう続けたのです。
『最後に残るのは燃えカスだけ』
そのときのお姉さんの目は、浜辺に打ち上げられた魚のように、生気のない目をしていました。
そんなお姉さんの言う通り、高校生活がそれほど輝けるものであったのか、その後の人生が燃えカスのようになってしまったのか、私にはまだ実感が湧かない。大学に入学して半年が過ぎたが、未だに高校生気分が抜けていないのかもしれない。前世も含めて初めて高校を卒業でき、初めての大学入学に未だ心躍ってはいるのだけれど。
一応、大学生になって大人っぽくなったつもりだが、どうだろう。服装も少々大人っぽいものを意識しているが、周囲からは『変わらないね』と苦笑気味に言われる。何故苦笑?
「あ、いたいたー!ねえ、この間男と歩いてたでしょ!」
大学の構内を歩いていれば、見知った女の子に声を掛けられた。大学の講義で偶然隣になった子で何となく気が合い、仲良くなれそうだなーと少しずつ交流を深めている最中である。
「無茶苦茶格好良かったんだけど!もう、目を疑うレベル!現実にあんなに素敵な男性がいるなんて…!え、彼氏?彼氏なの?羨まし過ぎる………!」
どうやら、先日斎様と久しぶりに一緒に街を歩いていた所を彼女に見られてしまったらしい。大学は流石に同じ所を目指そうにも私の学力が足らず、斎様とは進学先が別々になってしまった。一流大学に進学した斎様は、同時にご当主様の跡継ぎとして会社や篠宮家全体にも深く関わるようになり、日々お忙しそうにされている。ご当主様について、方々飛びまわる事も珍しく無い。
その為、当然私と過ごす時間も激減した。この間のデートは本当に貴重な一日だったのである。
思わず、久しぶりの幸せを思い出してニヤニヤしていれば、彼女から拗ねたような目で睨まれた。
「その反応はやっぱり彼氏か!羨ましい………あんな理想の男絶対他にいないのに!」
ふふふ、そうだろうそうだろう。斎様は奇跡の美貌を手に入れた極上のイケメンですからな。奥様の端麗な容姿に、ご当主様の精悍さが絶妙な比率で同居しているのである。
「背だって高くてさ」
高校入学当時、170cm弱だった斎様の身長は、高校三年生の春の時点で180cm弱まで伸びていた。今はもう少し高いかもしれない。
「骨格もしっかりしてて」
細身だがきちんと男性らしい骨格で、無駄のない筋肉のついた斎様の身体は最早芸術品である。その身長に相応しいすらりと長い手足を持つ斎様萌え。
「あと、目が良いよね!目付き鋭くて」
確かに斎様はあまり愛想が良いタイプでは無いので、少し目線は鋭く感じる。しかし、その目が柔らかく変化する事を知っている私は、たぶん世界一の幸せ者である。
「仁王像みたいで!」
…………………ちょっと待って!!
おかしい、おかしいぞ。今、私と彼女の中で大きなすれ違いとか勘違いが起きている気がする。だって斎様は容姿が良い分、どう見たって仁王像顔ではない!
「そ、それはもしや熊のような大男で?」
「うん」
「目付き悪いというか、鬼のような顔というか?」
「うん」
「そんでもって、子どもも大人も泣き出しそうな強面?」
「うん。絶対何人か陰でヤッてんだろ!って犯罪者顔溜まんない!」
ざっくばらんな性格で、どちらかと言うとサバサバしている彼女が珍しく、恋する少女のように自らの赤く染まった頬を手のひらで包み込んだ瞬間、私は思わず叫んだ。
「あああ兄だーっ!!」
どう聞いてもそれ兄だ!どう考えても兄だ!そして私には彼女のツボが分からない!犯罪者顔が堪らない意味が分からない!いや、兄はすごーく良い人だよ?私としては超お勧め優良物件だよ?ちょっと流されやすいけど優しいし、思いやり深いし、家事全般つつがなくこなして、大きな身体に似合わず細かい作業も得意なお勧めの兄ですよ?でもそれは兄の素敵な内面を知っているからで、世間的にはどう考えてもマイナスポイントになる諸々に頬を染められるのは凄いな!
「え、兄?兄なの?彼氏じゃなくて?紹介してー!」
肩を掴んでガクガク揺さぶられて舌を噛みそうになる。ちょ、落ち着いて欲しい。このままじゃ何も喋れない。
何とか彼女を宥めすかして落ち着かせ、念の為に確認しようとスマートフォンで二人の写真を見せる。斎様は『斎様フォルダ~大学一回生編~』の中からベストショットを探し出し、兄は一から自分で作り上げた高校の花壇を眺める、比較的優しい表情の物を見せる。
兄の写真を見てこの人ー!とテンションを上げた後に斎様の写真を見せた所、ハンッと鼻で笑われました。
……………………………………。
私、斎様の写真を知らない人に見せて、羨ましがられた事も敵認定された事も簒奪宣言された事もあるけど、鼻で笑われたのは初めてでした………いや、最早何も言うまい。
「お願い!紹介して!」
両手を合わせての懇願に、私は心底困ってしまい、躊躇いながら断り文句を口にする。
「んー…ごめんね。お兄ちゃん、彼女いるから」
そう、そうなのである。兄には今、恋人がいる。それをもちろんと言えば良いのか、お相手は三年かけて兄を口説き落としたある意味猛者、愛花ちゃんである。
高校三年間、愛花ちゃんは乙女ゲーム通りの成長を遂げ、乙女ゲームのパラメータを上げるかのように勉学に励み、スポーツを嗜み、お洒落に気を配り、感性を磨き、人への感謝と気遣いを忘れず、まるでダイヤモンドの原石が少しずつ輝くかのように魅力的な女の子となった。最終的には学園祭でミスなんちゃらに選ばれるほどに。
そんなに魅力的な愛花ちゃんは、やっぱりその心も魅力的で、兄をずっと思い続けてくれたらしく、高校の卒業式にようやく告白した不甲斐ない兄をそのまま受け入れてくれたのである。
流石ヒロイン、としか言いようの無い顛末だった。
兄は未だに、自分で良いのか、と思い悩む事も少なくないようだが、愛花ちゃん自身に励まされて仲良くやっているようである。
「そ、そう……彼女居るんだ………ちくしょー!良い男にはいつだって相手がいるんだよ!!」
彼女は嘆くように叫ぶ。希望を捨てないで欲しい。その趣味なら被る人は少ないだろうから、きっとどこかに仁王像顔のフリーだっているはずだ。
落ち込む彼女をうんうん、と頷いて慰めていれば手の中のスマートフォンが震えた。小さなバイブ音もこれだけ近ければ彼女にも伝わったようで、気にせず見るように促された。
『早く終わったから迎えに来たんだけど。今正門前』
斎様からのメールだった。今日、お互いの予定が合い、一時間後に待ち合わせをしていたのだが、どうやら斎様の用事が早めに終わったらしい。私が何か言う前に察してくれた彼女は、ヒラヒラと手を振る。
「彼氏?良いよ、良いよ。私の事は気にせずいちゃついて来なさい」
「そ、そう?じゃあ、お言葉に甘えて……」
テキパキと彼女に促された。兄に相手がいた事に落ち込んでいる様子だったが、すぐにいつものさっぱりとした笑顔を浮かべ、私を見送ってくれる。
「じゃあ、またね―――――篠宮さん」
私もまた、笑顔で手を振り、彼女と別れた。
婚姻届を片手に私が追い詰められたのは、今から一年ほど前である。
場所は斎様と兄と三人暮らしのマンションのリビング。ムード作りもロマンティックな演出も甘い言葉も一切なく、私の眼前に半分記入済みの婚姻届をいっそ高圧的に突き付けた斎様はこう宣った。
『観念しろ』
違う、何か違う、とあまりに理想とかけ離れた現実に、声も無く青褪めて首を横に振ったのも今では良い思い出………だったら良いなあ、と思っている。
ちなみに、未成年で在る為に必要な親の同意欄もすでに記入済みだった。昔から母は完全に斎様を支持しており、兄は諦めろ、と目で訴える。父だけは早すぎるんじゃないか、と寂しそうに言ってくれたが、斎様に睨まれれば速攻で口を噤んだ。お父さん!私はお父さんの気は小さいけど優しい所好きだよ!顔は阿修羅だけど!
結局、手続きや名字の関係で斎様の十八歳のお誕生日ではなく、高校卒業と合わせて籍を入れる事となった。篠宮家の御曹司の結婚が急遽決まり、そこから半年ほどで結婚式に披露宴となればかなり慌ただしくなりそうだが、私は何も思い煩う事なく、恐ろしくスムーズに全てが行われた。何故か、とは恐ろしくて結局問えず仕舞いだが。ま、まさか、もっと以前から準備していたなんて事は………
不思議だったのは、篠宮家の方々との話し合いもつつがなく終了し、全く揉めなかった事である。私は所詮信頼を得ているとはいえ、篠宮家に仕えるだけの宮下家の人間である。跡取り息子の嫁には相応しく無い、と言われるのは覚悟の上だった。私は斎様とずっと一緒にいられる為ならどんな苦難も耐えられる、と気合を入れていたのだが、私のそれに反し、ご当主様や奥様を始め、大きな反対もなく少々拍子抜けした。まあ、快く迎えて頂けるならそれに相応しいように頑張るしかない。
「お待たせしました、斎様」
正門に向かえば、斎様は遠巻きに見る女の子たちの視線を独占していた。相変わらず立っているだけで絵になる極上のイケメンである。そんな人が私の旦那様………まずい、嬉し過ぎて鳥肌立って来た。
「紫緒、遅い」
「すみません、少し遠くにいたもので」
差し出される左手の薬指には、私の物と対になっている指輪が光っている。思わずにやけながらその手に右手を重ねると、斎様は当たり前のように私の手を引いて歩き始めた。
「どこに行くんですか?」
「どこに行こうか?どこか、行きたい所は?」
「そうですねえ」
うーん、どこが良いだろう。そう聞かれると迷ってしまう。
「取り合えずどこかカフェにでも入って、どうするか決めませんか?」
「じゃあ、それで」
斎様の同意を頂いて、最近に気になっていたカフェの場所をナビする。それに従って動いてくれる斎様に手を引かれながら、その様子を観察した。
最近、斎様は多忙な為か少し痩せてしまった気がする。顔色もそんなに良く無い。どうやら疲れが溜まっているようだ。それなら、どこかに出掛けるよりもカフェで一息ついて、家に戻って寛ぐ方が良さそうだ。無理をして体調を崩されてしまっては、こうして時間を作って頂く意味が無い。
夫の体調管理もできないなど、妻失格であるからね。えっへん!
「斎様、斎様。ゆっくりお会い出来て嬉しいです。大好きです」
『斎様の妻』という素晴らしい称号に気分が盛り上がって思わず告げた。今思えばずっと、高校入学まで彼の為のキューピッドになりたいと思っていたなんて、嘘のようだ。今ではとても、なれない。なりたくない。だって私こそが、この手をずっと斎様と繋いでいたいと願っているから。
強く腕を引かれた。耳元に唇を寄せた斎様は、囁くような声で口にする。
「俺も。好きだよ」
夢のような幸福だった。かつてけして手の届かない存在だと、知らぬ間に心に蓋をしてしまっていたのに、今ではこんなに近くで、けして離れないように手を繋いでくれる。
なんて、幸せ。だから私が、
ずっと貴方のそばにいたい。
キューピッドはもう、必要ないから。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
これにてだから彼女はキューピッドになりたいは、本当の本当に終了です。三部とかはありませんので、ご安心下さいませ。
キューピッドは何と言うか、私にとって新しい扉を開きまくる物語でした。まず、乙女ゲーム設定が初めてでした。連載を初めてしばらくしてから気付いたんですが…乙女ゲームのイラストをスチルと呼ぶんですね……もういいや、と投げやりな気持ちでこのお話ではイラストで通しています。
俺様で溺愛系も初めてかなあ(通じてないけど)、ついでに、好きな女の子に噛みついたり顔掴んだりグリグリ言わせるような男も斎が初めてです。
そして何より羞恥プレイを味あわされました…何が、とは言いませんが。うん。
そんな色々あって思い出深いキューピッドです。
沢山の方に読んで頂けた、という意味でもキューピッドは初めての物語になりました。
最後までノリと勢いの作品でしたが、このような作品に最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました!