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雨降って地固まる





戦場に足を踏み入れると決意した私が一番にした事と言えば、斎様の部屋への突撃ではなく、玄関に行って斎様の靴を根こそぎ隠す事だった。相手の退路を断つ事は有効な戦術であると何かで聞いた事がある。そう伝えれば兄は『おまえそれ……何か違う』と呟いたものの、私を止めようとはしなかった。


靴を全て隠し切り、私は改めて深呼吸をする。すーはー、すーはー。うん、全く心臓は落ち着いてくれない。きっと何度繰り返しても同じだと、私は諦めて覚悟を決めた。

ええいままよ!当たって砕けろ!いや、砕けちゃダメだけど!


斎様の部屋の扉をノックする。案の定、返事はない。しかし、兄から部屋に鍵は掛けていないとの情報を得ていたので、無礼を承知で勝手に扉を開ける。その際、自分の手が震えている事には気付かないフリをした。


「すみません、斎様。失礼致します」


そう言って、静かに斎様の部屋へ侵入を果たす。十畳ほどの広い室内はシンプルで、勉強用の机と本棚、大きなベッドしか置かれていない。あまりインテリアといった事に興味がなく、本を読むくらいしか趣味らしい趣味の無い斎様の自室は、広い部屋の割に物が少ない。それでも、ご実家なら私がプレゼントした飾りとか、私が自分用に持参した、クッション代わりの大きなぬいぐるみとかをそのまま置いて下さっているので、そこそこ物はあるのだが。


マンションに越して来てからは斎様のお部屋ではなく、リビングで寛ぐ事が多いので私の物を置かせて頂く事も無く、シンプルなままだった。

そんな飾り気のない室内で、斎様はこちらに背を向けベッドに横になっていた。痛いほどの沈黙が私の耳を刺す。


「斎様、お話したい事があるんです」


後ろ手に扉を閉める。音を立てないように出来るだけ静かに歩き、ベッドのそばで膝をついた。長い付き合いであるからこそ、斎様が寝たフリをしている事には気付いていた。起き上がって追い出そうとはされないので、聞いてくれるつもりはあるのだろう、と思う。

だから私は、ベッドの前で座り込み、姿勢を正した。そのまま膝の前で床に手を付き、勢い良く頭を下げる。


「斎様、好きです!大好きです!だからこっちを見て下さい!!」


日本人の伝統的な謝罪方法であり懇願方法、DOGEZAである。勢い余って床に思いきり額をぶつけたが問題無い。今は額より心が痛いのだ。

思いの外良い音がして、さすがの斎様も無視できなくなったようだ。身を起して振り返る。それに合わせて顔を上げれば、赤くなっているだろう私の額を視界に収め、大きく目を見開いた。


「何やって…!」

「やっとこちらを見てくれました」

「額を打ち付けた目的がそれ!?」


いや、額はわざとではないのだけれど。単純に勢い余ってしまったが故の事故である。

斎様は心から心配してくれる様子で私の額を労わってくれた。斎様がいつものように優しくなって、途端に嬉しくなってしまう。


「斎様、ごめんなさい」


だからこそ、素直に謝罪の言葉が零れた。それに対し、斎様は微妙な顔をする。


「………何が」

「斎様に秘密を作った事です。あと、堂本浩太と二人きりで話をしたのも」


たぶん、どちらか一つずつなら、斎様も何も思わなかったと思う。幼い頃から、前世に関わる事は秘密です、と言って笑って誤魔化して来た。斎様は多少不可解な顔をしても、それを追求する事は無かった。男の子と話しても、不機嫌にはなるものの特に文句は口にされなかった。


それなのに何故、ああも怒りを示されたのか、兄に言われて考えてみたのだ。私が今回してしまった事を。私は男の子と二人きりで話をして、その内容を秘密だと言ったのだ。反対に、女の子とこっそり話していた斎様にそんな事を言われたとしたら、と考えて気付いた。私はどうしようもなく不安になった事だろう。その女の子と秘密にするような何かがあるのではないか、と。


相手が私を全く女子扱いしてくれない堂本浩太だったから、盲点だった。

すると、斎様はひどく複雑そうに眉を顰め、それから大きな溜息を吐く。


「…………………別に、何もない事くらい分かってる」

「はい。でも、不安にさせてしまったかと思うと、私の胸が痛みます。だから、謝らせて下さい。ごめんなさい、斎様」


私はこの人を幸せにしてあげたかった。前世からずっとずっと。そんな私自身が彼を不安にさせてしまうなんて、本末転倒だった。


「斎様、好きです。大好きです。もしも許してくれるなら、もしもまだ私を良く思ってくれるなら、ずっとおそばに置いて下さい」


再度告白するつもりで、そう口にする。声が震えそうになるのも、泣きそうになってしまうのも必死で耐えて笑った。これでもし、拒絶されたらと思うと怖くて堪らない。今回、あんなに怒っている斎様を初めて見た。もしかしたら、馬鹿な私に本当に愛想を尽かされたかもしれない。

それでも彼を好きな気持ちは変えようがないから。どんなに怖くても私はそれを伝えたかった。


「………………………………………ごめん」


長い沈黙のあと、斎様はそう小さく呟く。それが私の告白を断る為の言葉に聞こえ、一瞬心臓が凍りついた。


「紫緒が謝る事じゃない。今回は、俺が悪かった」


斎様は私の額に手を伸ばす。ぶつけた所に手を触れて、痛みに顔を顰めればすぐに額から離れ、私の頭を撫でた。


「怒ったのは八つ当たりだし、避けたのも悪かった。目を合わせれば、酷い事ばかり言ってしまいそうで、そんな自分が見っともなくて、紫緒から逃げたんだ」


斎様の手が、頭から頬に移動する。不安を滲ませて苦しそうに語る斎様の顔に、胸が締め付けられた。私は知っている。何をさせても完璧で、物静かな空間を好む大人びた彼は、その一方で時々少し、寂しがり屋なのだ。そして今回、私が斎様に寂しい思いをさせてしまったのだろう。


「斎様、例えそれがどんなに酷い言葉でも、貴方の本心を知られない事ほど、哀しい事はありません。私は馬鹿だから、言って下さらないと分からないんです」


たぶん、それが好きだという事だ。どんなに残酷な言葉でも、彼の全てを知りたいと思う。


「…………それなら、聞きたいんだけど、紫緒の幸せって何?」


私は、考えるまでもない、あまりにも簡単な事を聞かれ、自信を持って宣言した。答えなんて昔から、たった一つしか有り得ない。


「斎様のおそばに、ずーっといられる事です!」


すると、斎様は似合わない惚けた顔をして、それから少しだけ柔らかく微笑んだ。久しぶりに見たその笑顔に、胸が高鳴る。


「それなら良いんだ。単純な自分が憎らしいけど、紫緒がそう思ってくれるなら、もうそれで良い。その代わり、逃がしてあげないけど」


いつもの通りの和やかな雰囲気が流れ、仲直り出来そうな気配を感じ取った私は、嬉しくなって斎様に抱き付く。


「それは私の台詞です。今更逃げられるなんて思わないで下さい」


オタクの執念を舐めてはいけない。彼を異性だと意識したときから、私の愛は血の果てまで追いかけるような粘着質なものに変化した。もう、以前のように彼が幸せであれば、とは思えない。斎様の気持ちがもしも、他の女性に向いてしまったとしたら、私はもう、生きていけないから。


抱きしめてくれる斎様の胸に頬ずりして幸せに浸っていれば、はっと我に返ったように優しい笑顔を真顔に戻した斎様に、ベッドの上で正座させられて両頬を掴まれた。


「だからと言って、堂本と秘密を作る事まで許すつもりはないけど」

「いっ、いふぁいれふ!」


ギリギリと頬をつねり上げられる。抗議の声を上げれば、思いの外あっさりと手を離してくれた。その代わり眼光は鋭く、とても適当な言葉で誤魔化されてくれそうな様子はない。

いや、今更何も誤魔化すつもりはないけれど、内容が内容だけに出来れば秘密にしたままでいたかった。


「………い、いえ、あの、付き合い始めの頃って斎様、すごく押し倒そうとしてたじゃないですか。それがあの頃、急にそういう事をしなくなって、不安で……」


斎様の鋭い視線から、目を泳がせて逃げる。ああ、顔が熱い。鏡で見なくとも自分の顔が真っ赤で在る事くらい容易に想像がついた。


「同じ男の子である堂本浩太に、もしかして飽きられちゃったのかなあ、という相談をしておりました………」


斎様は意味が分からない、とでも言いたげに目を見開くと不満げに眉を寄せた。


「俺はむしろ、改心して気遣ってたつもりなんだけど。紫緒のペースに合わせようって」

「そ、そんなの言ってくれなきゃ分かりません!」


羞恥心から声を荒げて訴える。よく私の事を馬鹿って言う癖に!私だって馬鹿だと自認している事を知っている癖に!どうしてその気遣いがそのまま伝わると思ったのか。


「そ、それに斎様、私が告白したとき以来、一度だって好きとか言ってくれなかったじゃないですか!私だって人並みに不安になったりします」

「そうだっけ?」

「そうです!気付いてなかったんですか!?」


何だかもう、さすが斎様である。羞恥心で眩暈を起こしそうになりながらそう訴えると、斎様は何やら真剣な顔をして考え込んだ。しばらくそのまま黙考したかと思うと、私の手をその両手で包み込んで、こちらを覗き込むように私を見詰める。


「好きだよ」


………………………………正直に言おう。破壊力抜群でした。けしからん、実にけしからんぞ、斎様!鼻血が出るかと思った。というか出ていないだろうか非常に心配である。でも斎様が手を握っているので鼻を隠す事も、血が垂れていないか確認する事も出来ない。この非常に乙女ゲーム的な素晴らしいシーンで、鼻血という醜態は絶対に晒せない!私は鼻血を流さないよう、必死に気合を入れた。


「紫緒を好きだから、紫緒のペースに合わせて我慢だってしよう、って思ったんだから」


そう言って私を思いやってくれる斎様は堪らなく格好良い。今しかない。いつしか拒否をし過ぎて完璧にタイミングを失っていたけれど、それを撤回するには今しかない。そう思って、恥ずかしい気持ちを抑え込み、勇気を出した。


「あの、えっと……嫌じゃないです」

「え?」

「だからその………我慢して下さらなくても、もう大丈夫です」


内心羞恥心に見悶えながら俯いてそう言えば、しばらくして斎様も何を言いたいのか理解して下さったのだろう。私の手を包む手のひらに少し力が入った。


「本当に?」


確認なんてしないで欲しい。泣き出してしまいたいほどの羞恥に、いっそ何も言わずに奪って欲しいと思う。いや、でもここで黙り込む訳にはいかない。ここで曖昧にしてしまっては、きっとまたこの事で壁にぶつかってしまうに違いない。

私は勇気を振り絞って、斎様の手をぎゅっと握った。


「その代わり、沢山『好き』って言って下さいね」


私の羞恥心的な問題で、その後の展開を簡単に説明しよう。私はどうやらその一言で、斎様の押してはならないスイッチを押してしまったようである。主に貞操的な意味で。









雨のように降り注ぐ『好き』の言葉に、眩暈がする。身体が熱くて、心は温かくて、幸せな夢の中を漂っているような。

降り注ぐ言葉以上に、私の中で『好き』が溢れて来た。彼の優しい指が好きだ、真剣な目が好きだ、気遣うような声が好きだ。どうしよう。こんなに幸せで、どうしたら良いのか分からない。


「大好きです、斎様」


そう囁けば、彼は嬉しそうに笑って私に口付けてくれた。心の底から満たされるようだった。

そんな、心からの幸せに浸っているときだった。私の身体が違和感に悲鳴を上げたのは。


「いたぁああああ!!」


それは初体験特有の嬉し恥ずかしな痛みではない。絶対にない。残念な事に確実にない。何故なら、痛みを訴えた個所が私の首筋だったからである。

咄嗟に痛みの走った場所を手で押さえる。ひい!ぬるっとしてる!確認したくないけれど、おそらく血でぬるっとしてる!


「な、何をなさるんですか、斎様………」


完全な涙目で見上げた斎様の目から、先程までの優しさは無くなっている。むしろ少なからず忌々しそうなのは何故?私は何か粗相をしたというのか。


「……………何故、ここに至るまでにこれほどの苦労をしないといけないのか、と思うと段々イライラして来て」

「だからってこのタイミングで噛みつきますか!?」


ムードも何もあったものではない!少なからず夢見がちな憧れを抱いていた私の初体験へのイメージは脆くも崩れ去った!

こうして、私の初体験は身体の痛みよりも心の方が酷く痛むという、哀しい結果に終わったのである。


最終的にはすっごく優しかったから良いんですけどね!ぐすん!









読んで頂きありがとうございます。

爛れた関係が好きだ。それならさらさら楽しんで書けます。しかし、今回のこの、嬉し恥ずかし初体験には悶え苦しみました。真面目に初体験とか、初めて書きましたよ…なんだろうこれ。私ドMなのか、と真剣に自問自答するくらいの羞恥プレイでした。ふひぃぃ。


次、エピローグで完結します。

最後までお付き合い頂けると幸いです。


お兄ちゃんから一言

『今日は帰らない』





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