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だから彼は修羅場になった





紫緒に告白されてから、俺の人生は順風満帆だった。

中学の頃、つまりは馬鹿な彼女が俺の事を恋愛対象外だと思い込んでいた頃は、主に俺から紫緒に手を伸ばす事が多かったが、改めて所謂男女交際と呼ばれるものを始めて以来、彼女の方から俺にじゃれ付く事が多くなった。


突然背後から抱きついてきたり、テレビを見ていれば隣に座ってすり寄って来たり、紫緒は俺によく甘えてくれるようになった。キスをすれば恥ずかしそうに頬を染めるものの、幸せそうにはにかんで俺の事を好きだと告げた。何故か、手を繋ぐ事だけは手汗を理由に嫌がったが、それにも徐々に慣れていったようだ。俺からすれば、何故平然と自らキスが出来て、手を繋ぐ事を嫌がるのか甚だ疑問なのだが。


俺は紫緒との関係を急いでいた。紫緒は早すぎると顔を真っ赤にして拒否していたが、俺からすればむしろ遅すぎるくらいだ。一体何年待ったと思っている。紫緒と一生を共にする事を願って十年、性というものを意識し始めて約三年。俺はむしろ気が長い方だと思う。俺の気持ちに欠片も気付かなかった馬鹿な紫緒が悪いのだ。


紫緒は昔から俺のもので、紫緒もそのつもりで俺のそばにいる事だろう。けれど、高校の入学式で彼女のその気持ちが恋情では無かったのだと知ったとき、その前提は一度崩れた。だからこそ、俺は早く紫緒の全てを手に入れたかった。彼女の何もかもが自分のものでなければ我慢ならなかった。気を抜けばあっさりこの手をすり抜けて行ってしまうのではないか、と思うと気が気ではなかった。


「本当に仲が良いよね」


そんな中、感心したように呟いたのは桜井愛花だった。紫緒の発案で、裏庭で昼食をとろうとしたときの事だ。彼女はどこか羨望の籠った眼差しで、水筒を忘れたと慌てて教室に取りに戻る紫緒を見送った。

怪訝な目を向ける俺に彼女はにっこりとした、素直な笑顔を見せる。


「紫緒ちゃんと、篠宮君。仲が良くて羨ましいな」


彼女のその、何気ない発言が少しだけ気に障った。もちろん俺の勝手な八つ当たりだった。俺の方が、桜井の事を羨ましく思っていたからだ。出逢ってまだ半年ほどしか経っていないのに、紫緒は桜井をとても大切にしている。時には、十年も一緒にいる俺よりも優先するくらい。ただの嫉妬だった。


「どうだか」


押し倒しても全力で拒否される事に、多少なりとも不満を感じていた俺は投げやりに答えた。すると桜井は、楽しそうにそうだよ、と告げる。


「だって紫緒ちゃん、私といるといつも篠宮君の話ばかりだもん。篠宮君が何した、何を言った、とか。紫緒ちゃんと話してると篠宮君を好きなんだなーって事がすごく伝わってきて、羨ましくなっちゃう」


それは、俺の知らない紫緒の一面だった。思えば、紫緒が友人とどんな会話をして、どんな一面を見せているのか俺は知らない。まさか桜井に、そんなに俺の話をしていたとは。

自分でも馬鹿みたいに単純だとは思うが、それを聞いて俺の機嫌は大いに上昇した。高校生の女の子一人にこうも振り回される事を、世間では、少なくとも俺の両親は情けなく思うだろうが、もう十年も紫緒の事だけを想って生きて来たのだから今更だ。しかし、そうか。そんなに俺が好きか。


そう思うと、事を急いだ自分を少しばかり恥じた。紫緒はそんなに俺の事を想ってくれているのに、俺は自分の我儘を押し付けるばかりだった。関係を進めるにしても女性の方が肉体的にも精神的にも負担が掛かるだろう。紫緒の心の準備が整うまで、彼女のペースに合わせて待つべきだった。せっかく、他の誰よりも大切な彼女が、俺の事を好きだと言ってくれているのだから。


正直、惜しい気持ちはあるが、俺は紫緒を押し倒すような事ももうやめよう、と心に誓い、彼女にもそう伝えた。だからと言って、すぐに修行僧のように煩悩を振り払える訳ではない。しばらくは、手を繋ぐ以外の接触は避けるべきだろう。


それなのに、隙あらば抱きつこうとしてきたり、悪戯のようにキスしようとしてくる紫緒には俺の気も知らずに、と少しだけ腹が立った。俺がどれだけ必死に我慢していると思っているのだか。男子高校生の性欲を舐めるな。


そうして、なるべく紫緒を思いやって、改めて彼女を大切にしようと意識して生活するようになり、一ヶ月が経った頃、紫緒に不審な行動が目立つようになってきた。十月になって衣替えも済み、薄着をする事も無くなり少し安堵していた頃だった。紫緒が何やら不安そうな顔でじっとこちらを見上げたり、かと思えば突然抱きつこうと飛び付いてきたりするようになった。ある日なんて、ソファで寝ている俺にキスをしようとしてきたかと思えば、突然涙ぐんだ。


何かあったのだろうか。彼女を不安にさせるような何かが。紫緒はいつも俺の事を気に掛けてくれる癖に、自分の不安は何も言ってくれない。夕暮れの町を歩きながら、心細そうにどこか遠くを見つめていた幼い頃さえ『紫緒は、斎様がいてくれるから大丈夫なんです』と言うばかりで、その胸の内を語る事はなかった。


俺はその度に、不安になる。いつもそばにいてくれる紫緒が、そのときばかりは何故かひどく遠い存在に見えて、この手をすり抜けて行ってしまいそうで、妙な焦燥に駆られた。

桜井と女の子の話をしたいから、と二人で昼休みを過ごすと言って紫緒が弁当だけを俺に渡し、早々に教室を飛び出したときも、正直あまり行かせたくはなかった。すぐに食事をする気にもなれなくて、窓際の席でぼうと窓の外を眺めていれば、非常に見たくないものを見付け、すぐに立ち上がって教室を出た。


桜井と過ごすと嘘を付いて、どうして堂本浩太の手を引いているんだ。









ああ、イライラする。イライラする。

苛立ちで頭がどうにかなってしまいそうで、その一方で頭の奥は妙に冷静だった。紫緒が俺を見て、困惑気味に怯えている。そんなに俺は怖い顔をしているだろうか。そんな態度を取る紫緒も初めてであれば、彼女を憎らしく思ったのも初めてだった。


「ど、どうして、斎様。そんなに怒ってらっしゃるんですか…?」


震える声で問いかける紫緒にさえ、腹が立った。誰のせいだと思っているんだ。


「桜井と昼を食べるって言ってただろ」

「あ、愛花ちゃんは、クラスの子と食べてたから……」

「じゃあ、教室に戻ってくればいい。何で堂本といるんだ」

「そ、それは………」


それ以上、言葉を紡ぐ事なく、紫緒は俯いた。言えないような事でもあるのかと胸倉を掴んで問いただしてやりたい。感情が激流のように押し寄せて制御が効かない。


「………相談に乗って欲しい事が、あって」

「それなら俺に言えば良いだろ」

「斎様には……」


暗に俺には相談出来ないと言われて、今度こそ衝動的に彼女のワイシャツの胸元をリボンごと掴む。紫緒は短い悲鳴を上げて、更に顔を青褪めさせた。

昔から分かっていた。仕方のない事だと諦めて、それでも紫緒を好きだから受け入れていた。


俺にとって紫緒は全てだけれど、紫緒にとって俺は全てではない。

そんなこれまで当たり前だった事が、今に限ってどうしても許せなかった。


「い、つき、さま…?」


紫緒が苦しげに俺の名前を呼ぶ。このまま引き倒して、彼女の全てを奪ってしまったとしたら、紫緒は完璧に俺のものになるのだろうか。そんな暴力的な衝動が芽生える。

実行に移すイメージが脳裏に浮かんで、逡巡する。―――――しかし、俺はそれを実行に移す事はなく、突き飛ばすように彼女から手を離した。

怯えたように、困惑した瞳をこちらに向ける紫緒から目を逸らして、出来るだけ苛立ちを抑え、冷静に口にする。


「……………しばらく、顔も見たくない」


顔を見れば、きっと紫緒を傷付ける事しか考えられない。世界で一番大切な彼女が、今は世界で一番憎らしくて仕方なかった。

頭では分かっている。俺はただ不安なだけなのだ。紫緒は絶対に俺を裏切らない。十年彼女を見て来たのだから、そのくらい分かる。ただ、俺が、勝手に不安になっているだけで。いつか彼女が、俺のこの手をすり抜けて行ってしまったら、と思うと恐ろしくて堪らないのだ。


それを怒りという形でしか紫緒にぶつけられない自分がまた、情けなくて。俺は紫緒を置いて、足早にその場を去った。










書きながら思った事。

徹底的に言葉の足りない二人だなあ!


読んで頂きありがとうございます。

この夜から、お兄ちゃんは胃が痛い思いをしながら自宅で過ごす事でしょう。



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