残酷な可能性
我が兄の顔は怖い。
目を合わせた子どもは九割の確率で泣く。何もせずとも般若と言うか仁王像顔が無駄にがっしりした体格の上に乗っているのだ。そりゃもう、ときどき大人も泣くレベルである。絶対に乙女ゲームに存在すべき顔ではないが、意外とこういうタイプにはコアなファンがつくものだ。…………愛花ちゃんのような。
同じ顔である父と並ぶと更に圧巻である。鬼のような恐ろしさにうっかり地獄にでも迷い込んだのかと錯覚する。ちなみに、斎様のお父上は斎様とはまた種類の違う美丈夫なのだが、四人で並ぶと同じ人間、同じ日本人でこうも違うものかとこの世の不思議に直面してしまったかのような気持ちになる。
まあ、家族であり父と兄の人柄をよく知る私としては、極々普通の人だと分かるのだが。父などは厳しい顔して、実は母の尻に敷かれる草食系である。
そんな事を、深夜に室内に侵入し、ベッドの上で寝息を立てる兄の寝顔を眺めながら考える。
全く起きる気配が無かった。私でも、ベッドに乗りかかられれば、流石にスプリングの軋みで目が覚めると思う。しかし、兄は変わらず穏やかな寝顔を晒している。
真っ暗な部屋の中でうっすらと差し込む月明かりを頼りに兄の顔を覗き込む。明日も学校であるし、いい加減痺れを切らしたので揺り起す事にした。もちろん、兄も明日出勤するが、可愛い妹が悩み相談に来たのだから快く応じてくれるはず。たぶん。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
呼びかけながら肩を揺さぶる。すると、わずかに身動ぎしたかと思うとすぐに覚醒する。寝起きの悪い斎様ならここから五分、十分平気で掛かる上に、起きたと思ってその場を離れればほぼ確実に二度寝をしているので、兄の寝起きの良さに軽く感動する。
「………っな!し、」
「静かに!斎様が起きちゃうかもしれないでしょ」
たぶん、確実に起きないとは思うが、万全を期するに越した事はない。兄の口を塞いで静かにするように促せば、察しの良い兄はすぐに動揺を収めてくれた。
「何でだろうな。まだ目覚めたばかりなのに嫌な予感しかしないのは」
「それは妹の心配をしてくれているからよね。優しいお兄ちゃんで紫緒、嬉しい!」
ちょっとふざけて喜びを示してみれば、兄から胡乱な眼を向けられた。妹のおちゃめな冗談にも笑ってくれないとは、手厳しい兄である。
「とまあ、冗談はさておき」
わざとらしい咳払いでその空気を誤魔化す。笑ってもらえない冗談ほど恥ずかしいものはないのだ。
「お兄ちゃんに相談があるんだけど」
「それは…もしや斎様についてか?」
身を起こし、私と向き合う兄は神妙な面持ちで問いかける。私もまた、それに合わせ真剣な目で頷いた。
しかし、そこで兄は何故か顔を背ける。
「………あまり聞きたくない」
「何故!妹が真剣に悩んでいるのに」
「おまえが斎様の事で相談するような状況に陥っている場合、かなりの確率で面倒な事になっている」
「分かんないじゃん!」
いや、ちょっと分かるけども!他人の恋路って巻き込まれると高確率で面倒事だよね!
「いやいやいや、篠宮家にお仕えする宮下家にとってもこれは由々しき事態だから!」
だから聞いて、嫌がらないで、ね?ね?と大袈裟に縋りついてがくがくと揺さぶれば兄は月明かりが差し込むだけの暗闇の中でも分かるくらい顔を青くした。こう見えて三半規管が弱いのか、遊園地で絶叫系に全く乗れない兄である。前世の乙女ゲームでは遊園地デートに行くと何に乗るかで好感度が上下するのだが、宮下泰成の場合は観覧車が最も好感度が上がり、ジェットコースターに乗ると最も下がる。
ちなみに、斎様はジェットコースターで好感度が上がり、メリーゴーランドで好感度が下がる。
「わ、分かった、分かったから落ち着いて言え」
私の手を必死で引き剥がした兄は、青い顔のまま私を宥める。ようやく聞く姿勢になった兄に満足し、私は一度深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
そして、意を決して口にする。
「どうしよう、斎様の聞き分けが良くなられ過ぎて怖い…」
私に合わせて真剣な表情をしていた兄は、その言葉を聞いて一気に表情を弛緩させた。というか、表情に呆れが滲んでいるのはこれいかに。
「…………………それは、むしろ良い事じゃないか?それが本当なら」
「いやいやいや、よく無いよ!だって斎様だよ?基本的に我儘が通って当たり前で横暴な斎様ですよ!?」
「おまえ、そんな風に思っていたのか………」
何せ、人から様付けされて当たり前の身分の方ですからね。多少の横暴さはご愛嬌だが事実である。そして、そんな横暴なのに身内には甘く、私には最大限に優しいのだ。テヘペロ!
「だってだってだって!あれだけ無理矢理押し倒してきてたのに、もうそういうのも止めるって!無理に押し進めたりしないって!」
確かに心の準備などは全く出来ていないので正直安堵はしたが、斎様らしくない。多少強引な所も含めて、斎様の魅力であるのに!何より突然の方向転換の理由が分からなくて少々居心地が悪いのだ。スキンシップは拒否されるし。
兄は私の勢いに辟易するように眉を顰めながら、ふと気付いたように何気なく目を大きく開く。
「それ、単に飽きられただけじゃ………」
すぐに、はっと慌てて口を塞ぐ兄だが、時既に遅し、である。私の顔からはさっと血の気が引いた。
「い、いや、今のは単なる一般論で……」
「一般論って事は、斎様だってその枠に入る可能性がもちろんあるよね!?」
え、え、え、ちょっと待ってちょっと待って。飽きられた?私、斎様?え、むやみやたらと拒否し過ぎた?そこそこで受け入れるべきだったの?いやいやいや、だってこちとら前世含めて未経験ですよ!?そう気軽に決断出来ませんからね!あれ?でも、斎様は変わらずお優しい。お優しい、けど………確かに最近では一切のスキンシップを絶たれている。ハグもちゅーも断固拒否である。それは私だって好きなのに!
私もしや、拒否し過ぎて、面倒になられてしまった?
絶望的な可能性に気付き、四つん這いになって悔む。そんな私に、兄の口にする慰めは何一つ届かなかった。
読んで頂き、ありがとうございます。
やはりこのお話は斎の不憫さが醍醐味だとは思うのですが、二部はあまり不憫じゃなさそうです。不憫要素を模索してみましたが、うーん。
そんな二部ですが、最後までお付き合い頂けますと幸いです。