桜は出逢いを彩る
私が生まれ変わった乙女ゲームの世界についてご説明しよう。
舞台は郊外にある私立高校。主人公は昔この土地に住んでいたが幼い頃に引っ越し、十年ぶりに戻ってくるという設定だ。主人公には幼馴染がおり、引っ越しの際に『君に幸福が訪れますように』と桜をモチーフにした栞をプレゼントされている。何故そこは四つ葉のクローバーでは無いのかと、ファンの間で議論が沸き起こっていた。
主人公はそれを十年間大切に持っており、その栞が彼女と運命の男の子を繋ぐのである。つまりは幸福=運命の出逢い、という訳だ。その運命の相手と高校生活の3年間を掛けて愛を育むのである。
ちなみに、その栞をプレゼントしたキャラは幼馴染キャラと決まっているのだが、他の男の子を攻略していると出逢い以降、その栞の思い出には恐ろしく触れられなくなる。女は現金な生き物である、という事を体現しているようだった。
そんな風に迫りくる運命の瞬間の為に改めて設定を見直していると、壁際に追い詰められた。ここは裏庭、背中には校舎の壁、顔の横には繊細でありながら男性的な骨っぽさのある腕。所謂壁ドン、壁ドンである。乙女ゲームや少女漫画でありがちな、男の子に追い詰められる理想的なシチュエーションである。
「スカートが短い」
地の底から響くような低く短い言葉だった。ついでに目が坐っている。
その声の主は、クールビューティーである我が主、麗しの斎様である。少し高い位置にある彼の目を見ると何故か言いようのない寒気がした。
おかしい、リアル斎様はゲームと違って何気に優しさや思いやりも持っているはずなのに!目の前の彼は完全な暴君である。威圧感が尋常じゃない。
反抗期?これが反抗期というものなのか。それなら、私は人生の先輩としてそれをどっしりと受け止めるべき?いや、当然それが斎様ならどんな貴方でも受け止めますが。それでこそ信者!
「ちゅ、中学生の頃と変わりませんよ?むしろ気持ち長めですよ?」
二度目の生でスカートとソックス、この場合はハイソックスと二ーハイソックスの両パターンでの黄金比率を見極めた。その結果、中学の制服はセーラー服だったので、春夏秋は膝上くらいでも良いが、冬場はセーターとソックスの兼ね合いも考えて少々短めのスカートの方がバランスを取れると判明した。
ブレザーでも短い方が可愛いと思うのだが、しかし、女子の目は恐ろしい。新入生のスカートが短すぎるのは要らぬ諍いを起こす可能性がないとは言い切れないので、一旦少し長めに用意してみた。女社会というものは、こうした些細な気遣いが重要なのである。
「中学の頃は何もおっしゃらなかったじゃないですか」
私が控え目に抗議すれば、斎様は壁ドン状態のまま、私を見下ろす。ちなみに、斎様の身長は168.7cm。この三年間で更に10cm近く伸びる予定だ。背が高く精悍な斎様も素敵だが、ほどほどの身長で幼さの残る斎様も堪らん。
斎様はすっと目を逸らすと、途端に忌々しげに顔を顰めた。正直に言おう!恐ろしい形相である。
「自分の物だと思っていた内は『精々眺めろ、羨め、妬め、嫉め』と思っていたが、そうじゃないなら惜しくなった」
そして、斎様は私の様子をちらりと伺う。私は、信者として長年おそばでお仕えしてきた勘から、その仕草が私に察する事を求めているのだと知る。という訳で、従順なる私は考えた。そして、速攻で答えは出た。
なるほど、斎様は足フェチなのである!
確かに、前世の記憶がある為に幼い頃からスキンケア等々の重要性を理解し、しっかりと手入れをしてきたそこそこ自慢の足だが、所詮は私の足である。そんな物にさえ価値を置いて下さるほどのフェチなのだ。
ストイックに見えて、普通の男の子と同じような目線の斎様、萌え。
「大丈夫ですよ、斎様!紫緒はいつだって、これまでもこれからも斎様のものですから!」
もちろん、ヒロインと良い感じになって、彼女がそれに戸惑うようなら遠慮はするが、斎様が大人になり、ヒロインと結ばれて、子どもが生まれて、家庭を大切にし、そうして幸福に年老いていく生涯を陰ながら見守り続けるつもりだ。私は筋金入りの信奉者である。ロマンスグレーな斎様も今から大変楽しみだった。
すると、斎様はうっすらと笑みを浮かべた。唇だけ三日月形に歪めた、うすら寒くなるような笑顔である。
「うぅ!?わうあうあうあ!?」
斎様の右手が私の顔を掴んだ。正確には頬で、鏡が無くとも完璧なひょっとこ顔になっているのが分かる。そして痛い痛い痛い!
「うわぁ、不っ細工…」
仄暗い目で俯き加減に呟かれました。酷過ぎる。そりゃあ、私は大したものではないけれど、不細工度の進行は完全に斎様のせいなのに!
「はぁああ、もう。三日前の俺なら、紫緒のその言葉の真意も知らず有頂天だっただろうにねえ」
言葉と共に私の頬を掴む指に力が籠る。痛い痛い痛い。それに真意とは何事ですか。私には純粋な信仰心しかないのに!
「あひゃひひゃ、ひゃひゃひゃひゅひゅーひょー!」
「あーはいはい。何言ってるか分かんない」
私は斎様のものですよー!噛みつかれようが、ひょっとこにされようが揺るぎないこの信仰心が私の誇りなのに!オタク心が私という人間を形作る最も大切なキーワードである。
一頻り私の頬を掴んでギリギリと締め上げてから、斎様はようやく手を離してくれた。ついでに、壁ドン状態からも解放されて少しばかり距離を取ってくれる。
「うう、ひょっとこ顔が癖になる…」
頬をぐにぐにと揉みほぐす。私は筋金入りのオタクだが、これでも女を捨てている訳ではない。何より見っともない女がいくら従僕と言えど斎様の周りを徘徊する絵面を許せないので、これでも容姿には気を使っているのだ。
「本当にどうしたんですか、斎様。入学式まではあんなに優しかったのに………私の我儘で進学先を変えて下さった事、本当はご不満だったんですか?」
ゲーム本編の斎様は、その幼少期が原因でご実家に並々ならぬ反発心を抱き、それまで通っていたお金持ちの子女令息ばかりが集まる、超が三つ程重なってもまだ足りないようなエスカレーター式セレブ&進学校から、このそこそこの進学校程度の私立高校に入学したのだ。ちなみに、ご実家を離れて側付きの青年との二人暮らしである。もっとも、初めての自由とは言うものの、それも結局は親の援助を受ける事で実現し、享受する自身の『お坊ちゃん育ち』ぶりに自己嫌悪を覚える、というジレンマも抱える事になるのだが。
しかし、現実の斎様はそんなゲームの様子とは違い、それほどご実家の事を負担に思われていなかった。全く気にならないという事はないだろうが、『あの人達はああいう人だから』と割り切っているのである。それでも、頭ではそう理解していたとしても感情は別物だろう、と心配になって様子を窺えば決まって『それに俺には紫緒がいるからね』と淡く微笑んでくれた。そのときの斎様の可愛らしさといったら!鼻血が出そうだった。その代わりに、私はお姉さんとして斎様を抱きしめたのである。
―――――話が逸れた。まあ、そんな斎様なので、中等部の際も特別外部受験を意識される事は無かった。しかし、それでは彼をその愛で救ってくれるヒロインとの出逢いは叶わない。当然、私は必死になって説得した。
あるときは土下座せんばかりの勢いで頼み込み、あるときは視野を広げる為、親元を離れて自立心を育てる為、と適当な理由をでっち上げた。
「高校なんてどこだって良いんだよ。そこに紫緒がいれば。紫緒は?」
「なんて光栄な!もちろん、私も斎様がいらっしゃればそれだけで幸せです」
「そんな紫緒の高校での目的は?」
「斎様に素敵な恋をお届けすぶふっ!」
再び、ひょっとこにされました。もう、私には斎様が分かりません…
「……………まあいい。その事に関してはすぐに後悔させるつもりだから。それで?どうしてこんな所に連れて来た?」
斎様は、今度はあっさり手を離すと、ぐるりとその場を見回した。ここは裏庭の中でも庭園の木々に隠れた少し奥まった場所で、外からだと人がいるのも分かりにくい。ついでに今は授業中。入学三日目にしてサボりである。しかし、そんな事も運命の出逢いを思えば些細な事だ。
そう、入学式から三日。今日この日は斎様とヒロインの記念すべき出逢いの日である!
今日は各クラスで親交を深めるレクリエーションが行われる。ゲームでの人との関わりを煩わしく思っている斎様は校舎裏でサボり、そこに一階の校舎の窓からヒロインが降ってくるという訳だ。レクリエーションで担任から道具を取ってくるように言われて教室を出たヒロインは、廊下を歩きながらこの町に戻って来たんだ、と感慨深くポケットから栞を取り出す。そのときちょうど廊下を駆けていく人物にぶつかられ、その拍子に栞が空いていた窓から外へ飛んで行ってしまう。慌てて手を伸ばし、窓から身を乗り出して降ってくるヒロインを斎様が受け止めてくれるのだ。
何という胸キュンなシチュエーション!、また、驚いた顔の斎様の非常に美麗なイラストがゲットできるので、大好きなイベントなのだ。何としても成功させるしかない。
それなのに!壁ドンの衝撃でうっかりその事が脳から飛んでしまっていた!早く何かしらの理由を付けて斎様をこの場に留まらせ、そして私はその素敵イベントを観賞する為に物陰に隠れねば!
「い、斎様!わたくし、少々お花を摘んできますので、そちらでお待ちいただけますか!?」
「は?それはトイレに行きたいとかそういう事?」
遠回しに言った事をご丁寧にも言い直してくれた斎様に、敬礼してその場から去ろうと距離を取れば、
「あっ!栞が……」
一足遅かった。斎様の真後ろの窓からヒロインらしき女の子が外に向かって手を伸ばしている。その先には、窓から少し距離を取って立つ斎様の近くを舞う栞があり、窓から乗り出した彼女は身体を支えるものがなくなると、そのままがくりと窓の外に落ちそうになる。
よし、よし!私がここに思い切りかち合ってしまった事は大きなミスだが、何とかゲーム本編通りの展開を見せている。後は、驚いて振り返った斎様が彼女を受け止めれば完璧だ。そのはずが、
「何で避け!?」
私の視線で降ってくる彼女に早めに気付いた斎様は、よりによってそれを避けた。危なっ、と呟きながら。いや、危ないし一階の窓から落ちた所でそんな派手な怪我もしないだろうけども、そこで避けちゃだめでしょう!
私は、とにかく彼女に怪我をさせる訳にはいかない、と必死に腕を伸ばした。これでも、宮下家の人間として両親や兄から鍛えられているので、瞬発力には自信がある。
何とか彼女に乗りかかられる形で受け止められたものの、派手に尻餅をついた。うう、情けない。私がイケメンならもう少し華麗に受け止められただろうに。
「きゃああ!ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
彼女は慌てて私の上から避けると、今にも泣きそうな顔でこちらを覗き込む。本気で心配してくれている事が伝わる、真剣な表情だった。
そして可愛い。綺麗というよりも、愛くるしくて守ってあげたくなる感じ!今は少し地味な雰囲気だけど、磨けば光りそう。内巻きのふんわりした髪が肩に掛かっている所といい、思わず守ってあげたくなる可憐な少女。正に斎様の隣に立つに相応しいような………
「何やってんの、馬鹿!」
思わず見惚れていれば、腕を掴まれ怒鳴られた。声の主は斎様である。斎様であるけれど、あれ?斎様ってこんな風に声を荒げる人だったっけ?いやいや、ヒロインが危ない事をして声を荒げるイベントもあったけれど、今はまだそんな段階では無い。
「あの状況で下手に受け止めようとしたら、お互い余計に危なくなる事くらい分かるだろ!」
「いや、でも彼女が怪我をするので…」
「代わりに紫緒が怪我する義理がどこにある!ああ、擦り剥いてるし」
私の肘の擦り傷を見付けて、斎様は眉を顰める。だから彼女を避けたのか、と先程の行動に納得はしたが、それでは乙女ゲームの相手役は張れない。私は、先程の行動で斎様の評価が下がっていないか、と恐る恐る女の子の様子を窺う。目の前の彼女はゲームとは違い、生身の人間であるのだから斎様に対して誤解されると、今後の展開が非常に困難になる。何せ、必ずしも彼女の方から斎様にアタックしてくれるとは限らないのだ。
「あの、本当にごめんなさい!私、何も考えずに乗り出しちゃって」
「全くだ。飛び出したこの子が悪いけど、周囲くらいちゃんと見て行動しなよ」
「斎様!」
ぎゃあ、何でそんなに敵意むき出し!?確かに、オープニング直後は他人を拒絶していて冷酷な印象ばかりだったけれど、それとこの敵意はまた種類が違う!
彼女は斎様に怯えたような目を向けると、不安そうに、申し訳なさそうに私を上目遣いで見上げた。
「ごめんなさい。彼氏さんにまで心配させちゃったね………」
彼女は理解不能な単語を出したかと思えば、その視線をゆっくりと私の斜め隣へと向ける。その視線の先にいるのは当然と言うべきか斎様で、私は彼女がとんでもない勘違いをしているのだと気付いた。
「ち、ちっちっちっちが―――う!彼氏じゃない、彼氏じゃないよ!!斎様はそういうんじゃないよ!」
「え、でも、だって………」
きょとんと見上げる彼女、可愛い。じゃなくて!私は誤解を解く為に必死になって首を横に振る。
「違うよ!有り得ない!絶対絶対絶対斎様だけは有り得ないから!」
こんな所で誤解なんぞされて、斎様の恋路を邪魔してなるものか。少々イレギュラーは発生したが、彼女の人となりをちゃんと知れば、必ず斎様は恋に落ちて、そうして救われるのだ。彼の幸せを望む私に、彼の幸せを壊すような真似など出来ない。
すると、私の腕を掴んでいた斎様の手の力が強まった。
「いだだだだだだだ!」
おかしい、この握力おかしい!腕もげそうな痛みなんですが!
「まだ言うか…この馬鹿は」
斎様は再び、入学式のときのような、あの恐ろしく低い声を出す。蘇る痛みの記憶!未だ残る青紫の噛みアザ!迫りくる斎様の手のひらに怯えれば、予想に反し、その手は優しく私の頬を滑った。かと思えば、勢いよく私の顎を掴む。
「紫緒………」
次の瞬間に起こった事を、私は口頭で説明できない。とりあえず、眼前に斎様の美麗なお顔が在る事、その向こうにちらりと見えたヒロインが頬を赤く染めながらもこちらを注視していた事、斎様の恋の成就の為に誤解を解く事が、大変困難になってしまった事だけは、はっきりと理解出来た。
読んでいただきありがとうございます。
ししししかも、何だかすごーく、すごーく沢山の方に読んでいただけているようで、とても嬉しくて仕方がないのですが、同時にこの、二話目がとても、怖いです!
こんな感じで大丈夫かな?取りあえず私が思うベタ、壁ドンを取り入れてみました。あれ、リアルに想像すると圧迫感が半端なさそうですね。
あと、どうせならあり得ない(笑)、と思われるスペックにしようと斎に色々異常なハイスペックを盛り込んでみましたが、乙女ゲームってどちらかと言うと、それぞれの分野で活躍する一芸に秀でたイケメン達、という感じだったのかもしれない。まあ、良いや。うちはあれでいきます。
取りあえずもっとベタなシーンを探して来ます。私が見つけたベタなシーンがことごとくこの二人には当てはまらなくて、もしやこの二人はベタではないのか、とおののいたりしつつ。