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だからお兄ちゃんは恋を知らない




異性にはとんと縁がなかった。

何しろ、我ながら鬼のようなこの容姿である。自ら近付こうとする女性は当然の如く皆無であり、仮に俺の方から歩み寄っても怯えられるのが常だった。


『お兄ちゃんって中身は普通の、むしろ小市民寄りなのにね』


俺からすればある意味大物にも見える妹からは、そう微妙に失礼な評価を頂いていた。そう言う妹も、四歳の頃までは俺や父の顔を見ては怯えて泣き声を上げていたのだが、生憎と本人は記憶にないらしい。

厄介事は苦手だ。どうすれば良いのか分からなくなる。揉め事には関わりたくない。だからこそ、恐れられて面倒な事になるのが分かり切っているのに、自ら女性に近付こうなどと思うはずも無かった。


『貴方のそれは逃げですよ、泰成』


母は、どこまでも優しい口調で、俺の生き方をそう評した。確か、いい女性はいないのか、と聞かれたときの事だ。そんな物好きな女性はいないだろう、と答えた俺を母が戒めたのだ。

けれど、それが現実だった。俺に近付きたがる女性はいない。母のように、俺と同じような容姿の父へ臆面なく向きあえる女性の方が希少なのだ。幸いな事に、それに孤独感や切なさを覚えるほど繊細な神経は持ち合わせていなかったので、特に気にする事なく平穏に暮らせているのだが。


ただ、将来宮下家を継ぐ人間は俺しかおらず、代々篠宮家にお仕えしている宮下家の特性上、いずれは嫁を貰って跡継ぎを作る必要はある。もっとも、その為には俺の顔を受け入れられる奇特な女性が存在するか、という大きな問題があるのだが。

どうにかしなければ、と思いつつもまだまだ先の話だと目を逸らし続けていた。








そんな俺が、生まれて初めて告白をされた。好きだと言われた。

おまけに相手は、現在勤めている私立高校の一年生であり、八歳も年下の小柄な少女。妹の友人であり、その妹よりも一段と華奢な女の子だった。


その少女、桜井愛花は出逢った当初から不思議な子だった。俺の顔を見て、始めにわずかに目を見開いただけで、以降は屈託のない笑顔で笑いかける。何の気負いもなく俺に挨拶をし、花壇の手入れをしていればいつの間にか近くに寄って来て、気付けば共に花壇の手入れをするのが日課になっていた。

手が泥まみれになっている事を指摘すれば、年頃の女の子らしく嫌がる事もなく、


『あ、先生もです!おそろいですね』


と楽しそうに声を立てて笑った。勘違いが行き過ぎていた妹が、斎様のお相手に、と目を掛けていただけあり、その笑顔は可憐で裏表がなく、綺麗なものだった。


もしや桜井は目が悪く、俺の顔もよく見えていないのではないのか、と思っていた事もあるのだが、確認してみた所、どうもそうではないらしい。きちんと、桜井の目にも俺の顔は恐ろしく映っているようだ。

それならば何故、そう気負いなく見返す事が出来るのか。そう問えば桜井は当然の事のように口にした。


『だって、先生は優しい人です。それが分かっているから、怖くないです』


そう言って、桜井はどこまでも真っ直ぐな笑顔を見せた。透き通るように純粋なその笑顔は、正直な彼女の心を物語るようで、俺も釣られるように笑みが浮かんだ。

この顔で避けられて、今更傷付くような繊細さは持ち合わせていないけれど、それでもこんな風に真っ直ぐな笑顔を向けられて、嬉しくないはずがなかった。








その桜井に、泣きながら好きだと言われた。彼女は嘘や冗談であんな事を言う子ではない。毎日会っていれば、そのくらいの事はよく分かった。

つまり、あの言葉は、あの切なげな表情は、桜井の曇りない本心なのだ。


それを察して、俺の胸に一番に沸き起こったのは、喜びでも何でもなく、困惑である。彼女は高校生であり、俺は養護教諭だ。その時点で恋愛対象外であるべきだ。加えて年の差は八つあり、威圧感満点と評される大柄な俺と小柄な桜井では、端から見れば俺が取って食いそうに見える事だろう。その自覚はある。


ただし、桜井の人間性については非常に好感を持っていた。真面目で、ひた向きで明るく、若いのに気遣いが出来る。桜井の不注意で俺にじょうろの水が掛かった後日、お詫びだと言ってお菓子をくれときは、よく気の利く子だと感心した。俺とは違い社交的で、年下とはいえ人間として尊敬出来る点は多々あった。

しかし、だからと言って恋愛対象として見られるか、と言えば話は別である。俺の倫理観は未だ健在であるし、何よりあっさり折れてしまいそうなほど華奢な桜井には、俺のように武骨な男は近付く事さえ躊躇われる。


だからこそ、俺の中に渦巻くのは戸惑いばかりだ。おまけに、桜井はまだ返事をしないで欲しい、と言っていた。消化不良の戸惑いが俺の中に根を張り、桜井が立ち去ったその場でしばらく動けなくなっていた。炎天下の中で思考は纏まらず、熱さの為か何なのか、異様に重く感じるその体を引きずるように残りの水やりを終えた。夏場の日暮れはまだ遠く、思考が回り出すのにも時間が掛かりそうだった。









玄関の扉を開けて、それはそれはうるさい騒ぎ声が一気に届いた。声の正体なんて考えるまでも無い。少しばかり頭の足りない妹と、少しばかり我儘な主であり、はた迷惑な同居人達だった。


「な、ん、で、服に手を掛けるんですか!?」

「暑いかな、と思って」

「そんな原始的な!エアコンの温度を下げれば良いじゃないですか!」

「この節電の時代になんて事を言うんだ」

「何真っ当な事言ってるんですか!明らかにそれ以外の意図じゃないですか!」

「まあね。とりあえず、このやり取りももう面倒だから、とりあえず脱ごうか」

「ぎゃー!!結婚までは清らかなままでいたい、という気持ちも汲んで下さい!」

「紫緒の気持ちを汲んでいたら割に合わない」

「割!?乙女の貞操を割!?」

「大丈夫、紫緒の貞操がどんなに安くなっても、俺が嫁にもらってあげるから」

「わあい!そこで安心すれば大切な何かを失う!」


とりあえず、もう一人の同居人がいる場所で脱ぐや脱がないや、といった話や行動をするのは止めて欲しいと切に願う。何が哀しくて、俺は出来たてのカップルと共に暮らしているのだろうか。


高校入学と共に一旦破綻した二人の関係こそ収まる所に収まったものの、その接し方などは結局元通りとはならなかった。紫緒の事をひたすら甘やかし、何をしても怒らず、大切な大切な宝物のように扱って来た斎様だが、高校に入学して以来、気付いてしまったようである。紫緒は多少乱暴に扱った所で問題はない、大事に守るような繊細な存在じゃない、というか気を使えば馬鹿を見る。以前ならば紫緒の意思を最優先していた斎様だが、今ではすっかり紫緒に我を押し付け、ぞんざいに扱うようになってしまった。まあ、それも二人の距離が本当に縮まったからと思えば、良い、のか…?


「あ!あ、ほら、斎様、お兄ちゃんが帰って来ましたよ!」


こちらに気付いた紫緒が、ソファーの上で自分の上に圧し掛かっている斎様の肩を叩く。振り返った斎様の睨みから目を逸らすのにも、すっかり慣れてしまった。


「泰成、タイミングが悪い」

「いえ、むしろこれより遅かったら気まずい事この上ないでしょう」


その場合、俺は今晩家に帰らない。学校の保健室に泊まる事を真剣に検討するだろう。いや、いっそ今からその準備をしていても良いのかもしれない。恋は人を盲目にさせ、若さは人から理性を失わせると言うし。


「さささ!夕御飯にしましょう!斎様、離れて離れて」


紫緒はこれ幸いに、と立ち上がろうとして斎様の肩をぐっと押す。圧し掛かる斎様を押しのけようとしたその手は、しかし斎様自身に掴まれてしまう。


「…………紫緒は、そんなに嫌だった?」


そして、斎様は瞳を揺らす切ない表情で紫緒に問いかける。目を逸らす事を許されない、真剣な顔だった。斎様はよく理解しているのである。自身の表情を紫緒がどのように受け止めるのか。


「い、いい嫌な訳ないじゃないですかー!ただちょっと、心の準備があれなだけで!!」


あ、言質取られた、と思った瞬間、案の定手を掴むのとは逆の手で紫緒の頬を摘まみ、ぐいっと捻り上げた。見ているこちらの方が痛くなりそうな容赦の無さである。


「ならさっさと準備と覚悟を決めてくれても良いんじゃないかな?」

「いひゃいいひゃいいひゃいれふ!」


紫緒は必死に成り過ぎている為か、顔を真っ赤にして言葉にならない抗議をする。話の内容は脱ぐや脱がないやといった事であるのに、全くもって色気の無いやり取りだった。というか、俺には子どもの喧嘩にしか見えない。


「………平和だ」


その、俺にとってはあまりに日常的であり、端から見れば冗談のような光景に思わず呟きがもれる。

何と言うか、思い悩むのが馬鹿馬鹿しくなるような光景だった。俺の一番身近にいるバの付くカップルは、本能のみで生きている。しかし、人を好きになるという事は案外そういう事なのかもしれない。頭でいくら考えても、なるようにしかならない。また、常識や倫理観といったものも、好きという感情だけでどうでも良くなってしまうのだろう。


今はまだ、桜井の事をどうしてもただの女子生徒としか思えないが、その事に気負いを感じる必要はないのかもしれない。きっと、恋なんてものは本能による感情論で、必死で考えて出した答えなど、取捨選択の末の紛いものにしかならないのだから。

それならば、まだ返事をしないで欲しい、と言っていた桜井に甘えて流れに身を任すのも良い………けして、答えの出ない疑問に根を上げて投げやりになっているのではない、と思いたい。


「お兄ひゃん、たひゅけて!」


とりあえず今は、手の掛かるカップルの取りなしをする事にして。









読んでいただきありがとうございます。

前回のだからヒロインはハーレムを作らない、の兄編です。兄は優しい、というか事なかれ主義の小市民です。


あと、バのつくカップルは一体いつまであの争いをするのでしょう。一向に決着が見えません………まあ若いですからね!←

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