確信は荷が重い
恋というものに憧れがあるかといえば、正直めちゃくちゃある。
ただし、二次元に限る。私の知る恋と言えば、少女漫画や乙女ゲームばかりで、実際に誰かに恋焦がれるような経験は無かった。それはおそらく前世でも。
そんな私にとって、恋というものは次元の違うものだ。紙面の上、あるいは画面の中で繰り広げられる、時に切なさを孕みながらも魅力的で甘い世界。けして手が届く世界ではないと理解しているが故に、現実でもそれがひどく遠い存在のように感じて、次々に恋人を作っていく周囲に付いていけなかった。前世でも、友人に『まだ子どもなのね』とよくからかわれたものだ。まあ、現実としては単純に、オタクをこじらせただけなのだが。
だからこそ、分からなかった。頭が処理能力の限界を迎えた。全てにおいて理解不能。まさか自分が色恋沙汰の渦中に立っていたなんて………いや、まだ堂本浩太に聞いただけなので、もしかしたら彼の勘違い、という可能性も残っているのだが………。
堂本浩太曰く、どうも斎様が私を好っ………いやいやいや、そんな訳ないとは信じているけども!でも何だか、堂本浩太曰く………ごにょごにょごにょ!
「紫緒ちゃん、どうしたの?百面相してるけど」
悪い方向に活性化する脳細胞と戦っていれば、愛花ちゃんが覗き込むように私の様子を窺う。この天然で自然に出来る上目遣い。愛花ちゃん……恐ろしい子!
「う、うー、恋とは何たるかをちょっと…」
もごもごと口ごもりながら正直に答える。今日は愛花ちゃんと二人で花壇に腰掛け、裏庭でお弁当を食べていた。嬉し恥ずかしガールズトークには打ってつけの場所である。
ちなみに、斎様とは教室で別れた。斎様は今頃兄と昼食を取っているはずである。堂本浩太に衝撃の可能性をもたらされて以来、まともに斎様のご尊顔を見られなくなってしまった。その為に、少し距離を置こう、と斎様と兄のお弁当を重箱に詰め、私は一人用のお弁当箱で愛花ちゃんとランチという訳だ。
今日、登校前にその事をきちんと斎様に伝えたのだが、まともに顔を見られなかったので斎様の様子をよく窺えなかった。長い沈黙の後、分かった、と答えて下さったのだが、不信感など持たれなかっただろうか。もしも、堂本浩太の説が全くの見当違いであった場合、それを本気にしている私を悟られるとかなり恥ずかしい。どんな自惚れ屋かと。
「恋かぁ。やっぱり切ないけど、すごく温かいものだよね」
愛花ちゃんがしんみりと呟く。その視線は花壇で元気に咲き誇る花々へ向けられていた。その目に何が映っているのか、私にとって認めたくない現実の予感がヒシヒシとする。
私が知らないとでも思ったか!買い出しとの名目で兄と花壇の肥料を買いに行った事を!学校用具の買い出しも、本人達の気の持ちようによってはデートである!
「でも、どうしてそんな事思うの?恋なら、紫緒ちゃんの方が先輩だよね」
「どどどどこが!?バッリバリの初心者ですよ!」
「え?だって紫緒ちゃんには、篠宮君っていう彼氏がいるじゃない」
「げっほ!ごほ!ぐふ!」
あまりにも確定的な愛花ちゃんの言葉に思わず盛大に噎せた。何故!一度もそれを肯定した事なんてないのに!むしろいつも頑張って否定していたのに!
「ど、どうしたの?大丈夫」
すると、愛花ちゃんは慌てて私の背中をさすってくれる。その姿は正に天使であるが、今は一体どんな発言が飛び出すのか、と思うとうっとりするより少々空恐ろしくさえある。
「つ、付き合ってないよ!斎様はえーと、うーと、あの!……何だろう」
私は斎様の側付きである。代々篠宮家にお仕えしてきた宮下家の人間である。けれど、それなら、斎様は何なのだろうか。斎様は私のご主人様?もしくは少し馴れ馴れしいが幼馴染?前世では乙女ゲームの登場人物とはいえ、憧れの人だった。全てにおいて理想的な。完璧だけれど完璧なだけではなくて、当たり前に弱くて卑怯な、憶病な所があって、そういう不器用な人だから、誰より幸せになって欲しいと思った。
とても一言では語れない思い入れがあった。まあ、それも全てはオタクが故の執念とも言いますが。
「と、とにかく!付き合ってないの!」
とりあえず、否定すべき所だけしっかりと否定すれば、愛花ちゃんが柔らかく微笑んだ。まるで、全てを分かっている、とでも言うように。
「紫緒ちゃんって、意外と意地っ張りだよね。大丈夫だよ、ちゃんと篠宮君にも聞いてるし」
「な、何を…?」
私は恐る恐る尋ねる。非常に嫌な予感がした。具体的に言えば、堂本浩太の妄想レベルの発言に確信を与えるような。出来れば聞きたくない。しかし、聞かないままでいるのもまた、恐ろしいものがあった。
「紫緒ちゃんがボールから私を庇って気絶してたときね、篠宮君、すごく心配してた。すぐ目を覚ますでしょう、って先生が言ってもずっと紫緒ちゃんの様子を見てて。私、思わず呟いちゃったの。本当に紫緒ちゃんの事が好きなんだ…って」
私が目を覚ましたときにはいつも通りの斎様だったけれど、本当はそんなにも心配してくれていたのか、と申し訳ない気持ちが生まれると共に、冷や汗も増す。ふふふ、少女漫画マスターとして、その先の展開が見え過ぎて怖い。
「そうしたらね、篠宮君が『当たり前だ。紫緒より大切なものなんかないんだから』って!」
そうなりますよね!知ってる!それでこそ、乙女ゲームの攻略対象を張れる男!そんな斎様にきゃいきゃい言っていた前世がありますが、それが自身に向けられたとなると猛烈に恥ずかしい。ずっと自身には関わる事の出来ない遠い夢の国の出来事、くらいに思っていた事が自分自身に降り注ぐと、何故だか無性に、恥ずかしい!
「でもね、紫緒ちゃん。いくら好かれてるからって、あんまり好意を出し惜しみしちゃダメだよ。ちゃんと言葉で伝えないと、伝わらない事もあるんだよ」
諭すようにそう言う愛花ちゃんの目は本当に優しくて、とても思いやりを感じる。けれど、そもそも好かれていた覚えがないのです。二人に聞かされたけれど、未だ確信から目をそらそうと頑張っているくらいなのです!
「ね、勇気出そう?」
「わ、わぁい…」
にっこり笑ってくれる愛花ちゃんに、とても事の真実を語れなかった。意地を張らないでと言われ、通じるかどうかも怪しい所である。
私は泣き笑いの表情で曖昧に声を上げる事しか出来なかった。
時刻は午前二時を回っていた。所謂丑三つ時と呼ばれる時間である。
ひっそりとベッドから抜け出し、自室から廊下に出て、すぐ隣の部屋に向かう。室内は真っ暗で、ひんやりとした静寂に包まれている。春になり徐々に気温も上がっているので、その雰囲気も少し心地良く感じられた。
そして、隣の部屋にノックもせずに入り込むと、部屋の隅に置かれているベッドのそばに歩み寄る。ベッドに人型の山を作っている部屋の主は、私に気が付く気配がない。
そっと静かにベッドに乗り上げ、塊に手を掛けて揺り起す。それほど寝起きが悪い方でもない部屋の主は、その刺激に逆らう事なく目を覚ました。
「!………紫緒か。何だ、こんな夜中に」
「お兄ちゃんはもう少し人の気配に敏くなっても良いと思うの」
前世でプレイ中、宮下家は篠宮家に代々お仕えする家系、と知って忍者のような存在を想像してワクワクしたものだが、現実には『今は昔』の話である。実家に道場こそあるものの特別な訓練を受けている訳でもなく、父も篠宮のご当主様の秘書のような仕事をしているくらいだった。まあ、父も中々に強面なので、秘書兼威嚇くらいは出来ているかもしれないが。兄も、顔こそ鬼のような面相だが、実際はどちらかというと気の小さい一般人である。今も少し、私の突然の襲来に戸惑いを隠し切れていない。
「んとね、ちょーっとお兄ちゃんに確認したい事があって」
わざわざこんな時間に兄を訪ねたのは、それをけして斎様に悟られる事なく確認する為である。私は誰よりも長く斎様と過ごして来たという自負がある。当然、誰よりも斎様を理解出来ると言いたい所だが、男同士であり、常に一歩引いて私達を見守ってきてくれた兄は、時々悔しくなるくらい斎様を理解しているのだ。
そんな兄だからこそ、確認したい。そして兄にまで肯定されてしまったなら、それはおそらく事実と言えるだろう。そのくらい、兄は周囲をよく見ている。特に、斎様や私の事に関しては。
「あ、あのね、実は最近、ちょーっと変な話を耳に入れておりまして。実はね、えっと………どうも斎様が私の事をすっ……好き…………っとか、ありえな…」
「ようやく分かったのか!」
言い終わる前に兄が起き上がり、私の肩を掴む。真っ暗な部屋の中で、カーテンの隙間からわずかに差し込む光が兄の顔を浮かび上がらせた。その泣きたくなるくらい恐ろしい形相が真剣さを物語る。
「わ、分かったって……」
「斎様のお気持ちに決まっているだろ!小学生の頃からおまえの事しか見えない勢いで、おまえとの結婚を目標に立ち回って来た斎様のお気持ちを!」
私は思わず眩暈がした。いっそこのまま気を失って倒れてしまいたかった。そして、次に目が覚めるときには、コンビニで堂本浩太と話す前まで戻りたいものだ。
「な、何で!どこに斎様が私の事を好きになる要素があったの!?」
自慢じゃないが、こちとらただのオタクである。今は斎様が目の前にいるので落ち着いているが、基本的にイケメンを愛でる事を何よりも好むオタクである。斎様の事も舐めまわすように眺めてきた自信がある!
「そりゃあ、おまえ………あれだけ臆面ない好意を向けられて、揺らぐなと言う方が無理だろう」
「でもでもっ、だって!」
「紫緒……」
私が何とか反論の言葉を探そうとすれば、兄に物凄くなま温かい目で見つめられる。
「斎様は、好きでも無い女の子には話しかけないし、近寄らない。わざわざ車道側も歩かないし、荷物を持ってあげるという発想も無い。そもそも好意が無ければ人から触られるのもお嫌いだし、抱きしめられるなんてもっての外だ。他人が作った料理を口に運ぶ事もまずありえない。何もかも、おまえに好意があるから成しえた事で………」
次々と兄から上げられる根拠に、私は冷や汗がダラダラと流れ始める。言われてみれば確かに!と思う事が多い。ゲーム内の斎様はそういう人だった。他人に興味がないを通り越して嫌悪しているような、特に手作りの食べ物を貰えば容赦なくゴミ箱に投入しそうな。
それが、ヒロインに出逢った事で考え方を変え、それまでの自身を反省し、本来の繊細で優しい彼を取り戻すのだ。その流れにいたく感動したからこそ、私は斎様にここまで入れ込んだ。
ただ、そのヒロインが行うべきポジションに私がいたなどと、一体どうして気付こうか!
「…………っは!もしやおまえ、斎様の事を振るつもりじゃ……」
兄は、とんでもない事に気付いた、とでも言うように表情を固くする。妹の馬鹿さ加減で斎様を振り回していたのだとすれば、申し訳無さも湧いてくるだろう。兄はとんでもなくお人好しなのだ。
更に言えば、宮下家離散の可能性もある。斎様はそんな所で私情を挟むような人では無いと兄も分かっているだろうが、一応今も変わらず父の雇い主は篠宮家である。護衛を果たしていた事こそ過去の話だが、未だに篠宮家のご意向で宮下家を切り捨てる事は容易いだろう。
私は縋りつきたいばかりの気持ちで兄を見上げる。叶うなら泣き出してしまいたいくらいの混乱と、罪悪感を覚えていた。
「わ、分かんない………」
斎様がゲームの登場人物ではなく、現実に存在する異性であると理解したのもついこの間の話なのだ。
私は、斎様の『気持ち』というその重みに、潰れてしまいそうだった。
読んで頂きありがとうございます。
斎未登場ー。頑張れ。
あと三、四話で終わる予定なので、サラサラっと書けるように頑張ります!
ちなみに、乙女ゲームの攻略対象キャラは他にも、先輩と後輩に一人ずついる予定ですが、特に必要性がないので登場はしません。