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直人と会った二日後、おれは彼の娘について調べ始めた。最初に訪れたのは、彼女が通っていた高校だ。私立星野高校。全国でもトップクラスの進学校で、現在国を動かしている多くの人物がこの高校出身だ。校舎は真っ白でピカピカ。ホワイトハウス並みだ。おれは直人から父兄用のIDカードを貸してもらっていたから入れたが、普通の人間なら校門をくぐることすらできない。良いところの坊ちゃんやお嬢様が通う学校だから、セキュリティもバッチリで、IDカードを機械に通さなければ入れない。いわゆる要塞だ。どこからそんな金が出てくるかって? そりゃ、おれたちから搾り取ってる税金を湯水のごとくつぎ込みまくってるわけだから、こんなのを設置するのもワケないさ。
幸い、私服で登校する学校だから、おれもさほど目立ってはいないようだ。じろじろみられることもなく校舎の中に入っていく。まだ高校生にみえないこともないらしい。
校舎の中も外観同様真っ白で、壁から廊下からほとんどすべて白で統一されていて、おれはかなり落ち着かない。床にはホコリ一つおちちゃいないし、壁にラクガキなんかもみられない。ここの生徒は意味のないことはしないらしい。イライラして壁を蹴ったりすることもないのだろう。だが、人生なんて意味のないものだらけで構成されている。それでどう遊ぶかに頭を悩ませるのが楽しいと思うんだけど、価値観の違いってモノだろうか。金持ちの心理はよく分からない。
直人の娘、美和が通っていたクラスは三ーC。おれはそこを目指してずんずんと進んでいく。
すれ違う奴らをみていて、おれはどこか違和感を感じていた。うまく言えないけど、彼らの表情は、面白くない。人間味がないと言った方が正しいかもしれない。みな同級生らしき者と親しげに笑いながら話しているが、おれは彼らの顔に人間らしさをみることはできなかった。別におれが貧乏だったから卑屈になっているわけじゃない。まあ、その可能性がまったくないわけでもないが、街を歩いていて見かける人たちにみられる『光』のようなものが、彼らからは感じられなかった。他の人に興味がないような、そんな姿だったのが、ただただ印象に残る。生き方の違いだろうか。
やっと三ーCの教室の前にたどり着き、おれは教室のドアを開けて中に入る。
中には静寂がいた。
ほとんどの生徒は自分の席に着席し、異民族であるはずのおれには眼もくれずに、教科書のようなものか何かをみながらノートにカリカリとかき込んでいる。
その中で一番手前にいた男に、おれは話しかける。
「なあ、安斉ヒカリって子はどの子?」
そいつは面倒くさそうにおれをみた後、一人の少女を指差した。
おれはその子につかつかと歩み寄ると、話しかけた。
「なあ、あんたが安斉ヒカリさん? ちょっと話があるんだけど……」
その子は少し不思議そうな表情を浮かべた後、口を開いた。
「えっと、あなた……だれ?」
いちいち自己紹介なんかをするのも面倒だったので、おれはこの言葉だけを耳元でささやいた。
「この前自殺した武田美和って子について聞きたい」
その子はハッとした表情を浮かべると、いきなり席を立って教室を出て行った。おれもそれについていく。
ついて行った先は、この学校の屋上だった。校舎の中は気持ちが悪いが、吹く風はやはり気持ちいい。
「それで、あんたは誰で、何を訊きたいっていうの?」
ヒカリは茶色の長髪を風にすべらせながら、おれに尋ねた。
「おれは久里ワタル。あの子の親父さんに頼まれて、美和の自殺の動機について調べてる。あんたが一番あの子と仲が良かったんだろ? 何か知っていることがあるなら教えてくれないか?」
ヒカリは大きくため息をつくと、やれやれといった様子で人形のように笑った。
「私があの子と? まあそれなりに話していたから、悪いわけじゃないけど、特別仲が良かったとも言えないわ。そもそもね、この学校で友達を作る子なんてほとんどいない。皆この学校に無理矢理入れられて、『エラく』なるために必死に勉強させられる。ここはそういう場所なのよ。オトモダチなんて作ってる暇はないの。あるとすれば、そうね……、もうすでに決められたレールを走っている人だけよ」
「例えば、イジメなんてことはないのか?」
ヒカリは高く笑った後、ひきつった笑顔のままおれを見据える。
「あなた何も分かってないのね。ここは『エラく』なるためのステップにしか過ぎないの。他の人に興味がある人なんていない。イジメなんて無駄なことは誰もしないのよ。つまり、美和の自殺の真相は、家族にさえ分からないなら誰もわからない。これが答えよ。わかった? 分かったならさっさと帰って。私も暇じゃないの。勉強してTO大やKYO大に入らなければ勘当されちゃうから……」
おれは二、三秒ほど考えた後、再び口を開く。
「じゃあ質問を変えるよ。あんたからみて、美和はどんな子だったんだ? その……」
「自殺しそうだったかってこと?」
おれは首を縦に振る。
「少なくとも、この学校においては異質な子だったわ。よく笑う子だった……。将来のビジョンがしっかりあって、そうそう、確か医者になりたいって言ってた。親がフツウの家庭なのも、この学校では変わってるわね。わたしのクラスはあの子以外の親は、ほとんどが医者、弁護士、政治家……そういった勝ち組だから……」
「あんたのところも?」
ヒカリはフン、と鼻をならした。
「お金もうけにしか興味がない、腐った政治屋よ……。わたしに後を継がせたくてしょうがないみたいね……。まあオモテ上は、わたしが一人娘みたいだから助かったけど、ヘタをすれば寝技に使われてたかもね……」
そういってうつむくヒカリをみていたら、おれの口から勝手に言葉が飛び出していった。
「この学校のやつはよ、眼が死んでるよ、あんたもな……。こんなこと言う資格がおれにあるかはわからないけど、言わせてもらう」
ヒカリは睨みつけるようにおれに視線を刺してくる。
「あんた、それでいいのか? まだ十七、八でよ……。これでいいのか、って思ったこと、あるのか?」
「あんたに何がわかんのよ! なんの苦労もしたことないような顔して! ヘラヘラ笑っていられるようなあんたとは、わたしは違うのよ!」
その激しい剣幕と声に、やっとおれは彼女の本音がみえた気がした。
「たしかにおれとは違うな。あんたは……窮屈そうにしてる」
ヘラヘラ笑ってる、それはそうかもしれない。なぜおれが笑っていられるか。ヘラヘラだろうがなんだろうが、笑っていられるのにはワケがある。おれが自由だからだ。だが、この目の前の少女は違う。生まれた時から……いや、ヘタをすれば生まれる前からがんじがらめになっているのだ。みえない鎖に。
「ま、おれには関係ないからどうでもいいけどよ……。そんで、話を戻させてもらう。美和のこと、もっと教えてくれ?」
目の前の少女はおれを睨みつけながら黙り続けていた。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。まあ、それも仕方ないかもしれない。おれは口からポンポンと思ったことがでてしまうようだから。
「あんた、なんかやりたいこととか、欲しいものとか、ないのか? おれがその願いを叶えることができたら、あの子のことを話してくれるってのは、どうだ?」
ヒカリはふっと口元をゆるめる。
「アンタ、わたしを口説いてるの? しかも、このタイミングで?」
おれも口に出して少し戸惑ってしまった。頭のどこかがむずがゆくなる。
「やっぱりそう聞こえる? ま、そうじゃないわけでもないかな……。で、どう? ……でも、あんたくらいの人ができないことや手に入らないものなんて、ないかもしれないけどな」
返ってきた答えは、意外なものだった。
「じゃ、今日一日、わたしのお願いきいてくれる?」
初めてみた彼女が魅せた笑顔は、これまでとは違う、『光り』に満ちた顔だった。おれはその顔を心底、美しいと思った。雑誌なんかに載ってるグラビアなんかの、つくりものの笑顔なんてメじゃない。
「おーし、では最初の願いはなんでございましょう?」
腕を組んで考えるポーズをとったあと、ヒカリはいった。
「じゃあ……、アンタ、じゃなくて、ヒカリって呼んでくださる……?」
そういってヒカリは眼を細めて小さく笑った。
彼女の瞳が潤んでいたようにみえたのは、おれの見間違いじゃなかったはずだ。




