(3)
時折口ごもりながら、直人は自分が見た光景を話しきった。おれはその間何も質問を挟まずに静かに聞いていた。頷くこともしなかった。してはならない気がした。
おれが聞いた話、それはおそらく彼の懺悔に近かった。少し手を伸ばせば救えたかもしれない命に、気づくことすらできなかった自分を、ひたすら責めているようにみえた。おれはこんな人にかけるべき言葉を知らない。二十年生きてきても社会は教えてくれなかったし、そもそも知ろうすら考えたことがなかった。
話し終えて疲れたのか、直人は大きなため息をついた。勢いよく飛びだしてきた吐息の粒たちは、突然行き場を失ったかのように、ふわふわと舞いながら消えていった。
おれ少し頭をかくと、声をかける。
「一番重要なことを訊いておきたい」
直人は虚ろな眼をおれに向ける。
「例えば、娘さんが誰かのせいで、理不尽に自殺に追い込まれたとして、さらにおれがその犯人を捕まえたとする。その犯人を、あんたはどうするつもりなんだ?」
おれがそういった瞬間、直人の瞳の奥には何かが宿った。それは怒りとか憎しみとか、そんなチャチな感情ではなかった。負、その言葉がその字のまま当てはまる。おれは指の先からジーンとしびれが走ってくるのを感じた。そのまま総毛立ち、慌てて視線をよそへと逃がしてやった。もう少し目を合わせ続けていたら、おれが殺されるような気がしたから。
直人は脚の間で手を組むと首を傾け、再びささやくように話し始めた。
「……わたしはもともと、罪というものはある程度寛大に受け入れられるものだと思っていた。テレビでたまに報道されている、殺人などといった凶悪な犯罪は、テレビの中の――自分が住んでいる世界とは違う場所で起こっているのだと思っていたからだ。だが現実に死というものを目の前にすればどうだ? ……娘を死に追い込んだ者はわたしと同じ空気を吸いながらのうのうと生きているのかもしれない……。もしそうだとしたら、わたしはそれを、決して許すつもりはない……。そいつが目の前にいたのなら、どんなことがあったとしても、そいつを……」
おれは彼の横顔しか見えなかったが、その言葉が本気だというのが充分過ぎるほど、体で理解できた。その辺のチンピラやヤンキーが大安売りしている『殺す』なんかとは重みがまったく違う。コトが起きるまでしか考えていない、覚悟がある言葉だった。
「もしあんたがそういう気なら、おれはあんたの依頼を受けることはできない。あんたを殺人者にするわけにはいかないからな」
「ならどうすればいいんだ?」
「もし犯人がいたら、おれはそいつを必ずあんたの前に突き出してやる。だが、そいつの処分はおれに任せてくれないか? おそらくあんた一人じゃこの事件は追えないし、犯人を捕まえることもできない。おれならある程度裏の知り合いもいるし、もし娘さんが何か事件に関わっていたとしても、おれなら追えるはずだ」
「……娘は決して自殺を考えるような子じゃなかった。……あの子は、いつも笑っていた。あの日も、笑って出て行ったんだ。いつもの制服、いつもの時間、いつもの笑顔で……」
直人はポケットに手を差し込んだ。
「娘の遺書は、携帯のメールに打ち込んであった。『もう生きていけない。お父さん、お母さん、ごめんなさい。』そう書かれていた。冷たかったよ……」
直人の眼は再び潤んできた。
「その携帯、まだ持ってるかい?」
「……ああもちろん。だが一回画面を閉じてしまって、メールの画面は開けなくなってしまったんだ。暗証番号が必要みたいで……。だから何もみることはできない。それに……」
「それに?」
「なんだか、みたくないんだ。みてはいけないような気がする。娘に、もういないはずの娘に責められてしまうような気がしてね……」
「まあそこまでしてるってことは何かみられたくなかったものがあったのかもしれないな……。もし捜査に行き詰まったらその携帯を貸してくれないか?」
直人はおれを一瞥すると、ゆっくりと頷いた。
「さて……と、じゃあ明後日からとりかかることにするよ」
その後少し直人と話してから、おれたちは別れた。
彼の小さな背中を見送った後も、おれはベンチに座り続けていた。
腕を組んだまま眼を閉じて、ゆっくりと昔を思い出していたんだ。
少しだけ、昔の話をしよう。
おれには五つ年上のアニキがいた。もちろん、おれは孤児院育ちなわけだから、本当に血がつながっている兄弟なんかじゃない。だから兄貴じゃなくて、アニキ。まあ古い言い方をすれば兄貴分てわけだ。
アニキは一言で言えば、凄かった。頭がよくて、ケンカも強い、言ってみれば無敵だった。アニキは自分で企業を始めて、順調に軌道にのっていた。おれはアニキのことが好きだった。困っているときにはいつも助けてくれたし、今の状態に落ち着いているのも、すべてアニキのおかげだ。そして決定的なことに、おれはアニキに命を救われた。これは比喩なんかじゃない。マジだ。そしてそのせいでアニキは、死んだ。いまではもう、おれの方が年上になろうとしている。明日はアニキの命日だ。
さっきも言ったがおれはアニキのおかげで今ここで生きている。おれはアニキの命を喰った。だからおれはどんなことがあっても死にたいなんて思わないし、死んでもいいなんてコンマ一秒すら考えない。最近の教育で教えてるかどうか知らないが、命ってのは当然一つしかない。おれの睾丸よりも少ないことになる。そんな大切なものをみすみす捨てる奴、命を粗末にする奴をおれは軽蔑する。
おれは、アニキが死んだ日を思い出しながら、しだいに暗くなっていく街を見つめていた。
身震いするほど風が冷たかったのは、雪がちらついていたからだろうか。




