第9話 同棲初夜 その3
「…………行ったか?」
「…………ええ、大丈夫みたい」
毛布の端っこをちょっとだけ持ち上げて、院長先生の持つ手燭の灯りがすでに遠いのを確認した。消灯時間はとうに過ぎている。
「ふうっ、焦ったぁ。リリィったら急に変な声出すんだもん」
毛布を被り直すとローザが耳元で囁く。
「ローザが変なとこ触るから」
「えー、変なとこってどこだぁ? ここかな?」
「もうっ、駄目だったらぁっ。脇ぃ、脇腹はやめてぇ」
声が漏れてしまわぬように、枕に顔を突っ伏してリリアーヌは耐える。そうすると必然無防備になる脇腹にローザの指が這う。しばし黙って耐えていると――
「…………」
「……あの、リリィ、もしかして怒った?」
再び耳元でローザが囁いてくる。顔を上げると――それでも真夜中に毛布にくるまっているのだから視界は真っ暗だが――不安げな顔をしているのは見えなくたって分かる。
「はぁ、そんな顔するくらいなら最初っからこんなことしないの」
「うぅ~、ごめんなさい」
「ほら、きて。……大好きよ、ローザ」
「うん、あたしも好きぃ」
抱き寄せると、鼻先に触れたローザの頭からは自分と同じ石鹸とお日様の香り、それにほんの少しだけ汗の匂いがした。
ちょっとした悪戯を繰り返して院長先生や年嵩の兄弟達を困らせるのは、ここでの暮らしにある程度馴染んだ子供達がやりがちな行為だ。きっとそうやって確かめたいのだろう、ここにいる家族は自分を捨てることは無いと。
そんな考察をしてしまえるリリアーヌ自身は試される対象にはなっても試す側に回ったことはない。きっと物心つく前からずっと一緒で一番の大親友からの愛情に疑う余地が欠片も無いからだ。そう思うと、ローザから一方的に愛情を疑われているようで少々業腹なのだが――
「大好きぃ、リリィ」
胸元に顔をうずめてうわ言のように愛を囁く彼女を見ていると、文句を言う気も失せるのだった。
そのまま片方の手で髪を撫で、もう一方で背中をぽんぽんと叩いていると、いつしか胸の中からは寝息が聞こえてきた。
「……もうっ、もっとおしゃべりを楽しみたかったのにぃ」
何やらずいぶんと緊張した様子のローザだったが、灯りを消すとすぐに寝息を立て始めた。
「そういえば昔も、いっつも先に寝ちゃってたっけ。朝まで寝かせない、なんて口では勇ましいこと言うくせに。あーあ、久しぶりにローザと一緒って喜んだ私が馬鹿みたいじゃない」
アサとハルも抜きの二人きりとなると孤児院時代までさかのぼり、実に二十年ぶりだろうか。
「うう~ん」
今からでも起きないかと軽くローザの頬をつつくも、寝息を立てたままぺしっと払い落とされた。さらにそのままくるっと九十度寝返りを打ってこちらに背を向けてしまう。
「むぅ、手強い」
仕方なく見慣れた天井に目を向けるが、眠気はなかなか襲って来ない。久々のローザとの“ピロートーク”に気が高ぶっていたようだ。
――今日はちょっとみっともない態度を取っちゃったな。
手持無沙汰に思考を漂わせていると、自然と昼間の醜態が思い起こされた。
ローザがギルドで慕われていて、背中を預けることが出来る後輩がいるのはずっと単独で活動しているよりも良いことだ。いまさらローザが不覚を取るなんて万に一つもあり得ないとは思うが、毎日冒険に出ていればいつかはハズレを引く可能性もある。そんな時に仲間の一人もいて救護院までローザを連れ帰ってくれるなら、瀕死の重態だって自分が必ず治す。ううん、仮にすでに命を手放していたとしても、もう一度蘇生の奇跡を発現してみせる。
だから後輩の彼女達はむしろ歓迎すべき存在だというのに、つい大人げない態度を取ってしまった。“ローザと同じ勇者パーティの一員”だとか“ローザと同じA級冒険者”だとか、“ローザと同じ”を妙に強調してみたり。あげくに彼女達が知り得ない孤児院時代や勇者パーティでのローザの話をベラベラと。
「……駄目ね。ローザのことになるとつい自分が一番だって張り合っちゃって」
「………………んぅ、リリィ」
「……ん? あら、ローザ、目が覚めたの?」
自分の名前に反応したのか、小さく呼び返された。しばし再度の反応を待つが、聞こえてくるのは寝息だけだった。
「なんだ、寝言か。私の夢でも見ているのかしら?」
リリアーヌの夢にもローザの登場率は高い。ほぼ皆勤賞と言って良いだろう。起きてる時にずっとそばにいてそれがあまりにも当たり前の状態だから、夢の中でだっていない道理が無い。
「…………リリィ、すきぃ」
「――っ!? ね、寝言よね?」
「……すきぃ、リリィ」
「も、もうっ、ローザったら、もしかして私のことからかってるんじゃないでしょうね?」
ローザの肩に手を掛け、軽く引いた。するとほとんど何の抵抗も無く、今度は九十度ではなく百八十度寝返りを打った。必然的にローザの顔がリリアーヌの間近に迫る。
「――っ!? …………ほ、ほんとに寝てる、のね」
孤児院時代のように頭から毛布を被っているわけではないから、静かに寝息を立てるローザの表情が見て取れた。不自然なところはない。普段ちょっと険しい表情をしがちな彼女だが、寝顔はどこかあどけなく子供時代を思い起こさせる。
「ふふっ、可愛い」
「んんっ、リリィぃ~」
「あんっ、ちょっと」
つんと頬をつつくと、それに反応するように抱き寄せられた。
抜け出そうと身をよじるも、背中でがっちりと組まれた両腕は大暴れでもしない限り振り解けそうにない。
「んっ、リリィ、……だいすきぃ」
「はいはい、私も好きよ、ローザ。……ふふっ、こんなの久しぶりね」
初めは戸惑ったリリアーヌであったが、昔はローザから“好き”だの“愛してる”だのとよく言われたものだ。孤児院での話をしたから、その頃の夢でも見ているのかもしれない。
――最後にこんな風に言われたのはいつだったかしら?
聖女に認定されて孤児院を出ることになった時は、まだ言われていた。なんせ、大好きなリリィを自分が守るとローザは戦士の道を選んでくれたのだ。
王都の修道院に入って神聖魔法の練習を始めると離れて暮らすようになったが、ほとんど毎日のようにローザは訪ねてきた。駆け出しの冒険者、新米戦士だったローザはよく傷をこさえてやって来ることも多かったが、語られる武勇伝は日に日に大きくなっていった。当時はギルドなんてものはなかったから、冒険者たちは国や貴族に傭兵として雇われたり、倒した魔物の素材を商家に直接売り込みに行っていた。当然冒険者の等級なんてものもなく、どれだけ働いても正当な評価を受けられるとは限らない過酷な仕事だった。しかしローザはそんな状況下でもすぐに頭角を現し、いつしか当人の口以外からもその活躍を耳にするようになった。
あの頃はまだ会う度に好き好き言われていて、“噂の女戦士ローザ・エヴァーグリーンは私の親友で幼馴染で妹なのよ”と密かに優越感を覚えたりもしたものだ。
勇者パーティを組んで一緒に冒険の旅を始めた頃もまだ言われていて、“あたしは大好きなリリィを守るためにメンバーに志願した”と公言するものだから嬉しい反面ちょっと照れ臭かったのを覚えている。
しかし魔王を倒し勇者が故郷へ送還されて、お腹のアサとハルと四人でこのブルームに帰って来た時にはもう好きと言われることも無くなっていた気がする。故郷で子育てをすると決めた自分に付いてきてくれたのも、“あたしにとっても可愛い甥っ子か姪っ子だ”と言うある種リリアーヌに対しては素っ気ない理由だった。
つまり最後に言われた“いつ”は冒険の旅の最中と言うことだ。
魔王を討ち果たし自分を守るという役目から解放された時だろうか。いや、もう少し前だ。明日はついに魔界の最深部に突入という最後の夜、なんだかローザが素っ気なくてちょっぴり不満に思ったのを覚えている。その前後に起ったことと言えば――
「……あ」
――ローザ、私ね、勇者様とお付き合いすることになったの。
勇者との交際をローザに報告したのがちょうどその頃だ。
「……柄にもなく勇者様に遠慮したってことなのかしら?」
女同士だし、幼馴染で姉妹で一番の親友なのは揺らぎようがないのだから気にすることは無いのに、とも思うがローザにはローザなりの理屈があるのだろう。例えば――、
「…………いや、まさかね」
ふとおかしな考えが脳裏を過るも、すぐに頭を振って追い払う。――ローザに限ってそんなこと、あってはならない。
「……リリィ、すきぃ」
その動きに反応してか、ぎゅうっとローザの両腕にさらに力が込められ、ちょっぴり厚めの唇が耳に触れる。
「…………リリィ、……リリィ、すきぃ」
「も、もうっ、ほんとに何の夢を見てるのよぉ、ローザぁっ」
おかしな想像に引っ張られて、もう平静では聞いていられなかった。そのまま夜明け近くまで名前と愛を囁かれ続けることになるリリアーヌだった。




