第6話 同棲開始
「リリィお姉ちゃん、おやすみなさいのちゅ~」
「こらこら、お前らもう子供じゃねえんだから、そういうのはやめとけ」
「ローザ姉ちゃん、僕らまだ子供だよ」
「うっせえ、そんなにちゅーがしたけりゃ、あたしがしてやるっ。おらっ、ほっぺ出してそこに並びなっ!」
「えー、そんなふぜーが無い」
「リリィ姉ちゃんが良いっ」
「ああんっ、あたしじゃ不満だってのか? こらっ」
凄んで見せると半数は蜘蛛の子を散らすように自分の寝台に逃げ込んで、半数はローザのキスを受け入れた。
「ローザお姉ちゃん、リリィお姉ちゃん、おやすみなさ~い」
頬やら額やらに口付けして全員を寝かしつけた。
「ふふっ、お疲れ様、ローザ」
「まったく、リリィが甘い顔するからあいつら我がまま言うんだぞ」
「あら、別にほっぺにちゅーくらい可愛いものじゃない。お父さんやお母さんがいたら、きっと普通にしていることよ」
「そんなに可愛いもんじゃねえ、あいつら下心がありやがるっ。特に男子っ」
「下心って。もうっ、小さい子達相手に考え過ぎよ、ローザ」
「いーや、間違いないね。あたしから逃げやがったのが何よりの証拠だ」
「下心があるならそれこそローザから逃げるはずがないじゃない。ローザ、綺麗だしかっこう良いんだから」
「おっ、おう。――じゃ、なくてだなぁっ。とにかくっ、リリィの唇はそんなに安くねえんだ。大盤振る舞いもたいがいにしとけよ」
「あら、それじゃあ代わりに振る舞われたローザの唇は安いってことになっちゃうじゃないの」
「そりゃまあ、リリィのと比べりゃずいぶんと安くもなるだろうよ」
「そんなことないと思うけど。……それにそれじゃあ、毎晩私は差額分だけ損してるってことになっちゃうじゃない」
「それはっ、その……」
「ほぉら、今日もするんでしょう?」
「あ、ああ」
夜闇にあってなお光を帯びる黄金の前髪がかき分けられ、形の良い額が突き出された。
「――おっ、おやすみっ」
軽く口付け、今度は目を瞑って待っているとやがて額に柔らかなものが押し当てられた。
「おやすみなさい。ふふっ、もう、あの子達には甘い顔するななんて言っておいて自分は甘えたなんだから、ローザったら」
「――っ」
それがただの甘えではなく男子連中に指摘した通り下心ありなのは、口が裂けても言えない秘密だった。
「はあ~っ、……色々とあったなぁ」
湯船に浸かっていると、思わずそんな言葉が漏れた。
あの後、ギルドに部屋を借りている他の連中も起き出して来てローザとの別れを惜しんでごねたり、それを見てリリアーヌがさらに不機嫌になったりといくつかの面倒なやり取りがありつつ、何とか一日で掃除と引っ越し作業を終えた。
冒険者稼業と比べれば肉体的にはさしたる疲労はないが、精神的に妙に疲れた。少し温めのお湯に溜まった疲れが溶け出していくようだ。
温めなのはリリアーヌが先に使ったからだが、さすがに今さらそんなことでドキドキしたりはしない。孤児院で共同生活を送っていた頃はそれが当たり前だったし、この家でだって何度も風呂を借りているし。あれ、でも孤児院の兄妹達もアサとハルも抜きの純粋なリリアーヌだけの残り湯ってもしかして初めてか。いや、これからは毎日のことなんだから、変に意識するのは止めようじゃないか。
「…………そろそろ上がるか」
何の気なしにローザは両手で湯をすくい上げ、パシャっと顔に浴びせかけてから湯船を後にした。
「……風呂あがったぞぉ」
寝間着に着替えてリビングへ出る。
「珍しく長かったのね」
台所から声だけ返ってきた。
「あ、ああ、ちょっと疲れてたからな。一人でゆっくり風呂に入るのも久しぶりだったし」
個人宅に風呂と言うのはこの辺境ではかなり珍しく、たぶんこの家くらいだろう。右の蛇口を捻れば水が、左の蛇口を捻ればお湯の出る魔導具のお陰である。勇者から聞いた話を魔法で強引に実現させたもので、大魔導士ダリアが新築祝いを兼ねて設置していった。王都では今はかなり普及しているとか。勇者の残した諸々の中で唯一――は言い過ぎかもしれないが――手放しで称賛せざるを得ないものだ。
「あ、良かった。ちゃんと着てくれたのね」
台所から出て来たリリアーヌがローザの頭の天辺から足の爪先まで見て言う。
「どの口が言うか。さすがにすっぽんぽんで出てくるわけにもいかねえからな」
「えへへ。だって、お腹冷やすのは良くないと思って」
普段は部屋着と別に寝間着など用意はしない。だから脱衣所には今朝方リリアーヌに露出を咎められた例の部屋着と似たようなものを置いておいたのだが、湯船に浸かっている間に置き換わっていた。大きめのボタンにダボっとしたシルエットのまさにパジャマと言った一品に。
「いつの間にこんなの用意したんだよ?」
「もうず~っと前から置いてあったのよ。ほんとは私のと色違いだったんだけど、私のはずいぶん前にボロになって雑巾にしちゃったわ」
「あー、言われてみると何となく見覚えが」
「ローザの分も買ってはみたものの、たぶんアサとハルの前じゃ着てくれないだろうなと思って、出せなかったのよ」
「……よく分かっていらっしゃる」
ちょっと想像してみて、確かにその通りだと肩をすくめた。
「そりゃあね」
得意げに笑うリリアーヌを尻目に、いつしか定位置となっていたソファの一角に腰を下ろした。
「あっ、ローザ、もっとちゃんと髪を拭かないと駄目よ」
「んー、リリィがやってぇ」
少々甘えたように言ってみる。これも子供達がいたら出さない声だ。
「もうっ、しかたがないわね」
「おっ、言ってみるもんだな」
「ほら、タオル貸して」
肩に掛けていたタオルを手渡すと、リリアーヌは背後に回り込んだ。ソファの背もたれ越しに丁寧に髪に残った水分がふき取られていく。
「ついでに櫛も通しちゃうわね」
「ああ」
普段は就寝前に髪をとかしたりはしないのだが、黙って言いなりになる。ゆったりとした時間が流れて行く。
――なんかちょっと、良い雰囲気?
そんな風にローザが思っていると。
「……ふふっ」
「なんだ、リリィ? どうかしたか?」
「ふふっ、なんだかローザ、ハルみたいなんだもん」
「うぐっ。ちょっ、ちょっとあたしもそう思ったけどさぁっ」
「はいはい、大人しくしてて。髪の毛引っ掛かって、いたいいたいしちゃうわよぉ」
「子供扱いしてぇ」
「ごめんごめん。……でも、ハルには毎晩こうしてあげてたから」
「ああ、そうだったな」
「…………」
巣立っていった子供達に思いを馳せているのだろうか。しばし無言で、髪を梳くわずかな音と互いの呼吸音だけが二人の間に流れた。
何か気の利いたことでも言うべきだろうか。“これからはあたしがハルの代わりをするよ”、――これは絶対に違うな。
「……ふふっ」
聞こえてきたのはまた笑い声だった。
「今度はなんだ?」
「いや、ちょっと思い出しちゃって。例の“今すぐししょーと同じ髪型にする”事件を」
「ああ。“ママの魔法でボクの髪伸ばしてぇ”ってな」
「うふふっ」
「ははっ」
双子の妹、ハル。
ボクっ子の元気っ子で良く言えば素直、悪く言うと単純。姉のアサはしっかり者の優等生で、そしてそれを自覚する分だけ意固地なところもある。引き比べるとハルは手こそ掛かるが育てやすい子供なのだが、珍しく盛大に愚図ったのが“今すぐししょーと同じ髪型にする”事件である。
ハルの活発娘らしからぬ腰まで届く長髪は言うまでも無く“ししょー”であるローザの影響大なのだが、今すぐに同じ髪型にするとごねたことがあった。確か六つか七つの頃だ。
「ローザったら、結局自分の方がハルに合わせてばっさり髪を切っちゃうんだもの」
「まあ、別にたいして拘りがあるわけでもないからな。ハルにしては珍しい我がままだったし」
「でもあの子、いきなり剣で自分の髪を斬り落としたローザを見て、自分が我がままを言って怒らせちゃったんだって」
「ああ、あれはちょっと失敗だったな」
「ローザったら、ごめんなさいごめんなさい繰り返すハルの前でオロオロしちゃって」
今では笑い話だがハルにとって、そしてローザにとってもちょっとしたトラウマを残し掛けた事件である。
それから一緒に髪を伸ばして――身長の分だけローザの方が時間が掛かった――、今に至ると言うわけだ。
「ふふふっ。…………よし。はい、お終いっ、んっ」
「――っ。リリィ、今の?」
ぽんと軽く肩を叩かれた後、後頭部に何かがちょんと押し付けられた。次いで吐息が髪に触れる感覚も。
「あ、あら、ごめんなさい、ハルにしてた時の癖で」
「あ、あー、そういえばしてたな、キス。うん、知ってた」
「そうよね、知ってるわよねっ。だったら別に良いわよねっ?」
「えーと、まあそもそも別に嫌じゃないし」
知ってたから良い、と言うリリアーヌの理屈は正直意味不明だが嫌ではまったくない。むしろ――
「うっ、うんっ、それじゃあこの話はお終いっ。さっ、ご飯にしちゃいましょっ。私、スープ温め直してくるわねっ」
リリアーヌは逃げるような足取りで台所へと去って行った。
「……ははは、何年ぶりだろ。いや、十何年ぶりか?」
後頭部がいやに熱く感じられた。




