第10.5話 閑話休題 アサとハル その1
「ほらっ、ハル起きて。はやく着替えなさい」
「うー、もうちょっとだけ~」
「駄目よ、商隊の皆さんにご迷惑でしょ」
「う~、アサ着替えさせてぇ」
「もうっ、仕方ないわね。ほら、両手あげてっ」
昨夜はアサよりよっぽど早くベッドに潜り込んだハルだったが、興奮してなかなか寝付けなかったらしい。
寝間着をすぽっと引き抜くと、昨日のうちに“アサが”用意しておいたハルの洋服に着せ替えていく。
「…………」
十二歳という年齢からしても少々凹凸に欠ける胸からお腹のラインを、上からなぞるように順繰りにボタンを留めていく。
抜群の身体能力を誇るハルだが見た目はぷにぷにっとして筋肉の存在を感じさせない。本人的にはローザの割れた腹筋を目指しているらしいが、それだけは何としても阻止せねば。
「ほらっ、ズボンはかせるから、足上げて。……はい、最後は腰浮かせて」
「んぅ~~」
寝ぼけ眼で自分の言いなりになるハルを見ていると悪戯心がうずくが、先はまだ長い。旅路も、そこから先の王都での寮暮らしも。今は逸る気持ちを抑えて着せ替えを済ませた。
「おはようございます、アサ様、ハル様」
「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
ブルームから一緒に来た行商人とはこの町でお別れで、手筈通り別の商人達と門前で落ち合う。大型の幌馬車五台を引き連れた商隊で、積まれているのは町で仕入れた魔物の素材のようだ。
「よろしく~っ。魔物が出たらボクらに任せてくれて良いからねっ!」
ハルが元気に言う。宿からここまで手を引いて歩かせているうちに眠気は覚めたようだ。北辺のブルームから馬車で一日南下したが、町や村はともかく街道沿いはそれなりに魔物もうろついている。
「ははっ、勇者様と聖女様のご息女様に守って頂けるなら、何が来ても安心ですね」
「それだけじゃなくっ、ししょーはローザ・エヴァ―グリーンだからねっ!」
「……ああ、あの戦鬼ローザ様がお師匠様なのですね」
「そうだよっ、だからボクらに任せてっ」
「ははっ、その時はぜひお願いします。――さっ、お乗りください」
荷台の一角へ乗り込んだ。
前日に乗った馬車もそうだが、商隊の移動のついでと言うには数人が横になれるくらいの空間が確保され、尻が痛くならないように毛布が何重にも折り重ねて敷かれている。
母が知人に手配をお願いしたらしいが聖女の威光がかなり効いていそうだ。まあ子供の頃から特別扱いには慣れているし、有難く甘受させてもらう。
「……むぅ」
馬車に揺られながらハルがちょっと不満そうにしているのは、父と母と比べてローザへの商人の食い付きが悪かったからだろう。
商人の反応は勇者と聖女の娘であるアサとハルへの忖度もあるだろうが――それでハルの心象を悪くしていては本末転倒だが――、単純に人気の差もあるのだろう。
もちろんローザも勇者パーティの一員であり、言うまでもなく王国民の誰もが知る稀代の英雄だ。ただ勇者その人やその勇者との恋物語で知られる母リリアーヌと比べると控え目な印象にならざるを得ない。辺境暮らしのアサとハルは目にしたことが無いが王都では父と母の悲恋は舞台の定番なのだとか。
それでも辺境で活動する商人なら今なお前線で戦うローザに敬意と感謝の念を抱いているものだが、どうもこの商隊は王都近辺に本拠を置いて辺境には仕入れに顔を出すだけのようだ。ローザのすごさも、自分達の仕入れた希少な魔物素材の多くがそのローザによってもたらされたことも知る由も無いのだろう。
「ほぉら、いつまでもぶすったれてないの。かわ――憎ったらしい顔がもっとぶっさいくになってるわよ。しかたないでしょう、お母さんとお父さんと比べたら、ローザさんはどうしたって地味なんだから」
「地味って。……うー、アサって前からししょーに対してちょっとしんらつだよね」
「そ、そうかしら?」
「そうだよっ。自分だってししょーから剣や冒険者のこころえを教わったくせに、ししょーのこと師匠って呼ばないし」
「それは、……だって私は、戦士志望じゃないもの。ローザさんを師匠だなんて呼んだら、周りから勘違いされちゃうかもしれないでしょう?」
「だったら昔みたいに“ローザママ”って呼べば良いじゃない」
「それは、……恥ずかしいじゃないの。ハルと違って私はお母さんのことだってママ呼びは卒業したんだから」
「だからって“ローザさん”はちょっと他人ぎょーぎ過ぎるよっ。……もしかしてアサ、ししょーのこと嫌いなの?」
「そっ、そんなわけないじゃないのっ」
そう、そんなわけはない。
物心付く前からお世話になっている人だ。家族“同然”と表現することにすら違和感を覚えるほどに身近で当たり前過ぎる存在。だらしないところもあるが、尊敬出来るところだってそれ以上にある。だから嫌いなはずは無いのだが――
「――だいたいっ、あなたがローザさんに懐き過ぎなのよっ。いっつも金魚の糞みたいに引っ付いて回って、ししょーししょーって。しまいにはあなた、ししょーのお嫁さんになるだなんて言い出したりっ」
「あー、そんなことも言ったっけなぁ」
「何よ、忘れてたの? あなた、ローザさんに笑って流されたら、そりゃあもうムキになっちゃって酷かったじゃないの」
「いや、もちろん忘れてはないけど。というかアサの方こそ、とーじしゃでも無いのによく覚えてたね。もう何年も前のことなのに」
「あ、あなたがあんまり大騒ぎするものだから、耳に残っちゃってるのよっ」
「ふ~ん。……それにしてもししょーのお嫁さんにって、ボクも若かったなぁ」
ハルは腕を組んで何やら達観した表情でうんうんと何度も頷く。
「若かったって。それじゃあ今は、そんな馬鹿なことは考えてないのね?」
「あったりまえじゃない! ししょーのお嫁さんになるんじゃなくっ、ボクがししょーをお嫁さんにするんだからっ」
「はぁ?」
「あねさん女房ってやつだねっ」
「うっ、くうっ、ローザさんめぇっ」
「……アサ、やっぱりししょーのこと嫌いなの?」
「だからっ、違うわよっ! ほっ、ほらっ、つまらないこと言ってないで、ちょっとは周りを警戒しときなさいっ」
話し込んでいる間に町はすっかり遠ざかり、いくつもの丘が連なる丘陵地帯に出た。見晴らしが効かないし、小型の魔物なら隠れられそうな茂みもちらほらと目に付く。
「――っと、そだねっ。警戒警戒っ!」
これで生真面目なところもあるハルだから、荷台から身を乗り出すようにして周囲に鋭い視線を向け始めた。
そうやって真剣な表情をしている時は、我が妹ながら格好が良い。村の年下の子供達がハルに遊んでもらおうと躍起になるのも頷ける。
「…………」
とはいえそんな顔も長くは続かなかった。しばし気を張っていたハルだがやがてアサの肩に頭を預けてすぴーすぴーと寝息を立て始めた。
「まったくもう、魔物が出たら任せてなんて言っておいて」
この辺りに出るような魔物なら二人掛かりで戦うまでもない。起きていても騒がしいし、黙って眠らせておくことにした。
「むにゃむにゃ、…………ししょー」
「――っ、……夢の中でまでローザさんか。ほんっとこの子、あの人のこと好き過ぎるでしょ」
繰り返しになるが、アサだって好きか嫌いかで言えばローザのことは大好きだ。父親がいればこんなだろうかと、そんな風に感じることもしばしばある。女性だが。
だからといって世の父親が娘から言われるように、ハルから“ししょーのお嫁さんになる”だなんて言われるのはいただけない。
「あまつさえ、“ししょーをお嫁さんにする”だなんて」
羨ましいやら妬ましいやら。
そう、アサ・タカツキ・エヴァーグリーンは実妹ハル・タカツキ・エヴァーグリーンを愛していた。恋愛的な意味で、性愛的な意味で。
「ア、アサ様っ、ハル様っ、あ、あちらの茂みにホーンラビットがっ」
「はいはい。…………“火球”、“火球”、“火球”」
アサが八つ当たりのように放った魔法で魔物の群れはたちまち焼き滅ぼされた。
王都までの道のりはまだまだ遠い。
※「閑話休題」は「余談を終えて本題に戻す」と言う意味ですが、ここでは「“作品世界”の本題、本来の主人公は次世代の英雄アサやハル達」と言う意味合いで使っています。作品自体の本題は変わらずローザとリリアーヌのいちゃラブです。




