第10話 一夜明けて
「リリィ」
「……あら、ローザ。朝の礼拝? 珍しいわね」
教会の祭壇を向いて跪き頭を垂れていたリリアーヌが顔を上げた。
「いや、部屋にいないみたいだったから、探しに来た。リリィこそ、こんな朝早くから神様に願い事か?」
「もうっ、礼拝は神様へ日々の感謝を捧げるものであって、お願いを聞いてもらうためにするものでは無いのよ」
「ああ、そうだったな。……それじゃあリリィは、神様に何か特別な感謝でも?」
元より形ばかりの自分と違い敬虔な聖心教の信徒であるリリアーヌだが、それでも早朝から孤児院を抜け出して熱心に祈り込むほど自身の生活を捧げているわけではない。
「……そうね、ここに来るとつい礼拝をしてしまうけれど、そういう意味では今の私がしていたのはお祈りではないわね。神様にただお話しを聞いてもらっていた、そんなところかしら」
「それってここのところちょっと元気がないのと、何か関係がある?」
「それは……」
「あの日、いったいここで何があったんだ? 何かリリィを困らせるようなことがあったんなら、あたしがどんな手を使ってでも何とかしてやるっ。悪いのは兵士達か? それとも教会の連中か?」
「や、やめて、ローザ。そうじゃない、そうじゃないの……」
あの日――兵士達の手で怪我人が教会に運び込まれた日、今まで見たことがない大きな神聖魔法の光がこの聖堂から発された。建物の外にいても目がくらみ、同時に温かさにほっと息を吐くほどの。
何かとんでもないことが起こったとローザなどは意味もなく心が躍ったものだが、それ以来リリアーヌが思い詰めたような表情をするようになった。これまでは年に数回しか訪れることのなかった聖心教本部の人間が頻繁に孤児院を訪れるようになったのもそれからだ。
「……あたしには言えないこと?」
「ローザに言えないことなんて、あるわけないじゃないっ」
言いつつ、リリアーヌはそこでぐっと言葉を呑んだ。ローザは黙って再び口が開かれるのを待つ。
「……どうしよう、ローザ。私、聖心教の聖女様になるんだって。そして、いずれは勇者様と一緒に魔王討伐の旅に出るんだって」
「聖女? 魔王討伐? いったいどういうことだ?」
「それは――」
想像していたより遥かに壮大な話が打ち明けられた。
聖心教において聖女、もしくは聖人とは神聖魔法では本来実現不可能とされる奇跡を体現した者に与えられる称号のようなものだ。例えば未来視であったり、植物の生成であったり、“蘇生”である。
あの日、教会に運び込まれたのは初陣にて重傷を負ったこの国の第二王子だったと言う。集められた神官達によって数多の回復魔法が施されるも魂はすでに失われており、王子は帰らぬ人となるはずだった。
その時、リリアーヌはというと未だ回復魔法の呪文を諳んじることが出来ず、その場に呼ばれはしたものの何の力になることもかなわず。自分より年少に見える王子のために、せめて祈りを捧げていたのだと言う。その時ばかりはリリアーヌも感謝ではなく、神へ慈悲を乞うた――
「その祈りが、“蘇生”の奇跡を発現させたってのか?」
「私にもよく分からないのだけど、神官の先輩達が言うにはそうみたいなの。急に私から強い光が放たれて、それが収まったと思ったら王子様が息を吹き返してたって」
「あのすげえ光、リリィがやったのか。あー、でも何となく納得かも。温かくて、優しくって、何だかリリィっぽい光だったもん」
「ふふっ、なによ、私っぽい光って」
リリアーヌが久しぶりに作り笑いでない笑顔を見せた。それだけで自分がここへ来た意味もあると言うものだ。
「とにかく、そういうわけでね、私は蘇生の奇跡を体現した聖女様に認定されるんだって。そしてこれからは今までよりももっと厳しく神聖魔法の修行に励んでもらうんだって」
「なるほど、勇者と一緒に魔王討伐ってのはそこへ繋がるわけだ」
数年後に異世界から召喚される勇者に慣例として三人の仲間が付き従うのは、この国の人間なら誰もが知っている常識だ。
一人は王国が選んだ最強の戦士、一人は魔導協会が選んだ最高の魔法使い、一人は聖心教の選んだ最良の神官である。戦士には何よりも強いことが、魔法使いには豊かな知識と魔法が、神官にはどんな傷をも癒す回復魔法が求められる。
そして蘇生の奇跡は人類未踏の回復魔法の極致であり、その奇跡を成して聖女となったリリアーヌはほぼ間違いなく“最良の神官”に選ばれることになる。
「……ローザ」
リリアーヌが身を震わせる。
ブルームは魔族との戦争の前線に程近い村だから、戦いで大怪我を負った兵士を教会で介抱をすることや、運ばれる戦死者の亡骸を目にする機会も少なくはない。ローザにしてみればとっくにいつもの光景だが、リリアーヌはその度に心を痛めていた。そんな彼女に戦いの最前線なんて耐えられるのか。
「大丈夫。だったらあたしは、――最強の戦士になるっ」
「最強の戦士に?」
「うんっ、そしたら魔王討伐の旅にだって一緒に行けるだろっ」
生まれつき魔力の多い魔導の家系と言うものがあるらしいから、今さら最高の魔法使いになるのは無理だろう。以前に魔力量を調べてもらった時も平均以上ではないと言われたし。
だけど最強の戦士なら、今からだって目指せるかもしれない。昔から喧嘩ではずっと年上の男子にだって負けたことが無いし、剣を教えてくれた兵士からも冗談交じりにもう自分より強いなんて言われたものだ。たぶん自分には戦いの才能がある。それもすごくある。
「リリィ、あなたのことはあたしが命に代えても守るから」
不安げに震える肩に手を置いて、ローザは終生の誓いを口にした。
「ふっ、はっ、たあっ!」
朝方、ローザは起き出すと家の前の開けた空間で剣を振るった。
リリアーヌ邸は――今後はローザも住むのだからエヴァーグリーン邸と言うべきか――、辺境の村ブルームでも外れの方にあるから周囲に他の屋敷はない。周辺は木々が生い茂り裏手には山もある。家から少し離れたところに村を縦断する通りが走っていて、玄関からそこまでの土地だけは樹木は伐採され土は踏み固められ鍛錬にちょうど良い広場のようになっていた。実際、ローザが普段“ししょー”としてハルやアサに稽古を付けていたのもこの場所だ。
「……早いのね、ローザ」
一通り型を終えたところで――と言っても幼少期に兵士から簡単な手解きを受けただけの我流なのでほとんど思い付きで剣を振っているだけだが――、リリアーヌが起き出してきた。
「リリィ、おはよう。どうも昨日はすぐに寝落ちしちゃったみたいだからな」
「……えーそうね、大変よく眠れたみたいで」
「え~と、……リリィ、もしかしてなんか不機嫌?」
「……言ったのに」
「言った? 言ったって、いったい何の話だ?」
「朝起きて目の前にローザがいたら素敵って、言ったのに。ローザったら先にベッドを出ちゃうんだもの、意地悪っ」
「いや、それはだって、……リリィ、全然起きないんだもん」
ローザとしても同じベッドで顔を突き合わせて“おはよう”と言うシチュエーションに憧れないではなく、かなりの時間リリアーヌの寝顔を堪能しながら待った。しかしまるっきり起きる気配が無いまま時間だけが過ぎ、あまりに無防備な姿に“ちょっとくらいなら”などと悪魔が囁くに至っては退散せざるを得なかったのだ。
「もうっ、誰のせいでなかなか寝付けなかったと思ってるのよぉっ」
「誰のせいって。えっ、誰のせいなの?」
「うぅ、もう良いわっ。ローザの意地悪っ」
「え~」
訳も分からぬままリリアーヌの不機嫌に振り回されるローザであった。




