第1話 ある春の日の朝
「リリィ、あなたのことはあたしが命に代えても守るから」
少女のか細い肩にそっと手を乗せると、そこはわずかに震えていた。
愛しい愛しいあたしのリリィ。その身にのし掛かる大き過ぎる使命を、ほんの少しでも代わりに引き受けられますように。
青い瞳に映り込んだ自分自身にあたしは誓いを立てた。襲い来る千の敵を、万の牙を、決して彼女の身に届かせはしないと。自分こそが彼女を守る盾となり、彼女の道を斬り開く剣となろうと。
「…………くあっ、んん~ぅ、朝か。何だか懐かしい夢を見た気がするな」
知らぬ間に掛けられていた毛布を除け、ソファーから身を起こす。
「リリィ達は、……外か」
聞こえてくる喧騒に導かれて、ローザは屋外へと足を向けた。
「ねえ、二人とも本当に王都まで付き添いはいらないの? お母さん、教会には何日かお休みするって伝えてあるんだけどな」
「ボクはママとししょーが一緒に来てくれるならすっごい嬉しいけど……」
「必要ないわ。他の子達だってきっと付き添いなんて無しで一人でやって来るんでしょうから。ただでさえ注目を集めることになる私たちがお母さんやローザさんと一緒になんて行ったら……。保護者同伴なんて恥よ、恥」
「もうっ、アサったらお年頃なんだからぁっ」
「くっ、うっさいわよ、ハル。あなたも同い年でしょうがっ。そういうの気にしない方がどうかしてるのよっ」
「う~ん、ボクは一周回ってそういうのもう気にならないかなぁ」
「なぁにが“一周回って”よ。羞恥心なんて高度な概念理解したことないでしょ、あなたはっ」
「ひっど~い! ボクにだってしゅーちしんくらい分かるよっ」
「嘘おっしゃい!」
心配する母親をそっちのけで娘二人がギャーギャーと言い争いを始めている。
これから三年間、親元を離れ子供達だけで生活すると言うのにいつも通りのこの様子、頼もしいと思うべきだろうか。母親と並べて“保護者”で一括りにされた師匠としては薄情を嘆くべきか。
「あら、ようやく起きたのね、ローザ。おはよう」
娘達の前でおろおろしていた母親――リリアーヌが玄関先へ出たローザの姿に気付いた。
「おう、おはよう、リリィ。朝っぱらからずいぶんと騒がしいな」
「ししょーっ、遅いよっ! ボクらもう出発するとこなんだけどっ」
「おお、もうそんな時間か」
「ローザさんが言ったんじゃないですか。なるべく朝早く出る馬車に乗せてもらって、今日中に大きな町まで着いた方が良いって」
「ああ、そうだったな。悪かったな、ハル、アサも」
「わふっ」
「ああもうっ、せっかく髪整えたのに」
ずんずんと歩み寄りちょっと腰をかがめて視線を合わせると、ローザは乱暴に少女達の頭を撫で回す。
母親譲りの金髪を腰の高さまで伸ばしたハルは嬉しそうにそれを受け入れ、アサはちょっと迷惑そうに短く切り揃えた父親譲りの黒髪を抑える。
「ししょー、ボクらがいなくなってもお酒の飲み過ぎには注意してねっ。昨日だってボクらの壮行会だなんて言って、けっきょく一人でガバガバ飲んでるんだもんっ」
「それにソファーで雑魚寝も良くないわ。ローザさんも自分で思っているほどもう若くはないんだから、ちょっとは身体を労わらないと」
「あーあー、わかったわかった」
幾度となくオムツを替え、夜泣きにも悩まされた子供達からの至極真っ当な指摘にローザは辟易する。
「それじゃあ、ししょーにもあいさつ出来たし。そろそろ行こっか、アサ」
「そうね、ハル。――お母さん、ローザさん、いってまいります」
「ママっ、ししょーっ、いってきま~すっ!」
「あっ、ちょっと、引っ張らないっ」
姉のアサの手を取って妹のハルが駆け出していく。
行く先には街道を王都へと向かう行商の馬車。――いくぶん距離を取って家族の会話が終わるのを待っていてくれたようだ。軽く頭を下げておく。
「いってらっしゃい、二人ともっ。アサは本を読んで夜更かしし過ぎないようにっ。ハルは知らない人に付いて行かないようにっ。甘いものやお肉ばっかりじゃなく野菜もちゃんと食べてっ。怪我をしたり体調を崩したら、どんなに小さなものでもちゃんと大人に見てもらうようにっ。お友達とは仲良くして――」
「ダリアのやつによろしくなぁ~っ」
――ある春の日の朝、辺境の村から二人の少女が旅立った。
魔王を討ち果たした勇者の忘れ形見。はからずも勇者の故国の言葉で“春”と“朝”を意味する名前を持つ、今年で十三歳になる双子の姉妹。
旅立つ先は王都の“学園”。魔王討伐後、勇者パーティの大魔導師ダリアの働きかけで設立された次代の英雄養成機関だ。
少女二人を送り出すのは彼女達の母親にして元勇者パーティの神官、“聖女”の称号を持つリリアーヌ。そしてリリアーヌの幼馴染にして元勇者パーティの女戦士、“戦鬼”の異名を取るローザ。
「……ところでローザ、またそんな恰好で外へ出てっ。もうっ、他の人の目もあるんだからもう少しちゃんとしないと駄目じゃないの」
二人を乗せた馬車が視界の果てへ消えると、リリアーヌがさっそくローザに苦言を呈する。どうやら別れの場でお小言もないと今まで我慢していたらしい。
「あー、そうは言っても露出具合はいつものあたしの格好と大差ないだろう?」
「それはそうだけど」
丈の短いシャツはおへそが丸見え。下衣に至っては丈が短いというかほぼ存在せず、下着こそ隠れているが太腿は完全にむき出しだ。
高位の神官で夏場であってもほとんど肌を露出しないリリアーヌと比べれば確かにあられもない恰好と言えよう。しかし常日頃から“ビキニアーマー”と呼ばれる珍妙な鎧姿で戦場に立つローザであるから、違いは金属が布に代わった程度。むしろ今の方が露出はいくぶん控えめなくらいである。
「それに、別に見られて恥ずかしいような身体してねぇしな」
「それは、……まあ、確かに。相変わらず引き締まった綺麗なお腹」
大酒を飲んでは雑魚寝をしてと不摂生極まりない生活をしているローザだが、腰回りには余ったお肉の一つもない。未だ魔王軍の残党が度々出没する辺境の第一線で戦う冒険者であるから、余分なものを貯め込む余裕などないのだ。
「ふふっ、そう言うリリィは冒険も戦闘も最近はすっかりご無沙汰で、ちょこっとお肉が付いて来たんじゃないかぁ? こことかそことか、おっ、こっちもか」
「ひゃっ。もうっ、そんなとこつっつかないでっ、ローザぁっ」
「へへ~ん、運動音痴で運動不足のリリィにあたしが止められるかなぁ」
「きゃっ、やんっ」
澄んだ朝の空気に包まれた辺境の村に、娘達が旅立つや早速乳繰り合いを始める女二人の姿があった。
これから紡がれるのは飛翔の時を迎えた次代の英雄達の冒険譚、――ではなく、残された二児の母とその幼馴染女性のじれったい恋物語である。




