あなたのためのお雑煮
ある田舎の山小屋に、蘭という女性が1人で住んでいました。
蘭は12月の中旬に、従妹の潤羽に葉書を1枚送りました。内容はこうです。
『潤羽へ
最近はいかがお過ごしでしょうか。突然ですが、来年の正月には1人で我が家へ来てください。見事来られたら、お年玉と共に、欲しかったフィギュアをあげましょう。目印は山茶花の木です。
蘭より』
そして後日、潤羽の家にその葉書が届き、これを読んだ潤羽は、両親に「蘭ちゃん家に1人で行きたい」と手話でお願いしました。
ところが、父と母は難しい顔で、なかなか首を縦に振りません。
ただ、それもそのはず。潤羽は耳が聞こえないのです。
2人としては、「まだ小学5年生でろう者の1人娘を単独で行動させるのは危ない」という考えなのです。
しかし、潤羽の決意は固く、折れる素振りを一片も見せません。
「私も1人旅をしたい」と、熱っぽく手話で訴えかけます。
その熱意に、とうとう2人も折れ、「防犯ブザーを持たせてなら」という条件下で要求を受け入れました。
そして迎えた大晦日、この日は雪が至る所で積もっており、早めの電車に乗るつもりでしたが、積雪でダイヤが遅れ、両手でトランクを抱え、ダッフルコートを着、フードもすっぽり被った潤羽は、夕方まで待つことになりました。
そして、記憶を頼りに、電車の乗り換えに3回とも成功し、いよいよ最後のバスに乗ります。
その途中、窓の景色を眺めていると、雪が激しくなりだしました。
バスを降りた頃には、夜の外は猛吹雪でした。
ちょうど、灯りのついているカフェに立ち寄り、
ホットコーヒーを1杯頼み、1人のウェイトレスの肩を軽く叩いて止め、『私は加舎蘭の従妹の潤羽です。蘭ちゃんの家は知りませんか?できればこれにお願いします。私はろう者です』と書かれたノートのページを見せると、ウェイトレスは一瞬驚いたが、すぐにノートに『店を出たら右手に見える山の中腹にありますよ』と快く書いてくれました。
カフェを出た際も、外は相変わらず叩きつけるような雪が降っています。それでも潤羽の気持ちは揺らぎません。蘭に会うため、雪山に足を踏み入れました。
どのくらい時間が経ったでしょう。潤羽は未だに雪山を登っています。だんだん息が切れ、足取りも重くなってきました。
ですが、気持ちを奮い立たせながら、潤羽は雪山の大地を力強く踏み締めます。
途中、防犯ブザーのピンが低い木の枝に引っかかってブザーが鳴り出しましたが潤羽は気付きませんでした。
しばらく登っていると、葉書に書いてあった目印の山茶花の木が見えて、潤羽は安心しました。それと同時に、意識もそこで途絶えました。
その頃蘭は、カップのたぬきそばを啜っていましたが、外の犬小屋で寝ていたはずの柴犬のポチがうるさいので、何事かと外に出ると向こうに向かって吠えています。これは只事ではないと踏んだ蘭は、リードを外し、駆け出したポチを追いかけます。
ポチは少し走ったところで止まり、積もった雪を掘り始めました。蘭も後に続きます。そして1分程すると、ピイイイイーと、甲高い音が聞こえ、同時に潤羽の後頭部が積雪の中から除き、さらに掘ると、全身とトランクが出てきました。
「潤羽ぁ!」
両肩を掴んで揺らしますが、反応がないので自宅に連れて行くことにしました。
深夜、潤羽が目を覚ますと、蘭は隣で寝転んでいました。
蘭は潤羽に気づくと、にっこり笑いかけました。それから、『体は大丈夫?』と手話で伝えました。
潤羽は『私、どうなってたの?』と手話で質問しました。
『家の近くで雪に埋もれていた。ポチが気づかなかったら危なかった。体を温めるために湯たんぽを何個も使った』と言わずもがな手話で返しました。
それを知った途端、潤羽の心の何かが外れました。
「あ……あ、あ……」
何か言葉になりそうでならない単語のようなものが、口から溢れます。
「ら…らんあん……」
言葉と共に、なぜか目から涙が出てきます。
「あ、あ……あああああー……」
気がつくと、潤羽は蘭の胸の中で泣いていました。それを蘭は、何も言わずに受け止めました。
次の日、落ち着いて寝て、ちゃんと起きた潤羽に、蘭が手話で語りかけます。
『具合はどう?』
『ありがとう、蘭ちゃん。でももう大丈夫。体も軽くなったよ。お雑煮作るから待ってて。材料はここにあるのを使うね』
伝えるや否や、潤羽は台所にすたすたと向かっていきました。
そして水を鍋で沸かし、昆布で出汁をとり、醤油と塩を少々入れ、置いてあった原木エノキタケをを裂き、隣にあった小さな角餅と共に大量に鍋に投入した後は、一煮立ちさせ、原木エノキタケと餅のお雑煮の完成です。
2人で取り分け、まずは蘭が味見します。
(どうかな……?)
ゆっくりと口から椀を外し、蘭は笑顔でサムズアップをしてみせました。
それを見た潤羽も笑いました。
楽しい時はあっという間に過ぎ去り、別れの時間です。
『次は家族3人で春休みに来るね』
名残惜しそうに手話をする潤羽。
『いつでもおいで、待ってるから』
屈託のない笑顔で、しかし少し寂しそうな蘭。
「あ、そうだ。これとこれだね」
蘭は後ろ手を前に戻し、お年玉と、金髪縦ロールに碧眼の、青いボレロとジャンパースカートの女子高生のフィギュアを貰いました。潤羽はもちろん喜びました。
『ありがとう、またね』
潤羽が手話で挨拶して、山を降りて行きました。
「あばな、がんばっぺ!」
蘭は、大声で大手を振りながら見送りました。




