第9話: 『反撃の狼煙』
王国の非難声明という卑劣な一撃に、書庫の穏やかな空気は一瞬で凍りついた。カイゼル様の瞳に、これまで見たこともないほどの激しい怒りの炎が燃え盛る。
「……許せん。あの国は、どこまで私とエリアーナを愚弄すれば気が済むのだ!」
玉座を揺るがすほどの怒気。だが、その隣で、私はもうただ震えているだけの令嬢ではなかった。不思議なほど頭は冷静で、この絶望的な状況を打開するための道筋を探していた。
「カイゼル様、お待ちください。これは罠です」
私が静かに告げると、カイゼル様はハッとしたように私を見た。
「彼らの狙いは、私を精神的に孤立させ、カイゼル様と帝国を国際的な悪者に仕立て上げること。ここで感情的になっては、相手の思う壺です」
私の冷静な言葉に、カイゼル様は深く息を吐き、燃え盛る怒りを理性で押さえ込んでいく。彼は私の手を強く握りしめ、皇帝の顔に戻った。
「……その通りだ。お前は、私が思うよりもずっと、強く、賢いな」
カイゼル様は直ちに宰相や大臣たちを招集し、緊急の御前会議を開いた。そして、その場には当然のように、彼の婚約者として私の席も用意されていた。
「断固として抗議声明を出すべきです!」
「いや、下手に反応せず、今は無視を貫くのが得策かと……」
廷臣たちの意見が割れる中、私は静かに挙手し、発言の許可を求めた。カイゼル様が頷くのを確認し、私は立ち上がって、はっきりと提案する。
「皆様のご懸念、よく分かります。ですが、沈黙も抗議も、噂をさらに加速させるだけでしょう。でしたら――私自身の口から、全世界へ向けて真実を発信してはいかがでしょうか?」
その場にいた全員が、息をのんだ。
「私が自らの意志でここにいること。そして、偽りの聖女などではなく、この帝国の未来の皇后として、国民に愛されているという事実を、証明するのです」
「しかし、未来の皇后陛下をそのような危険に晒すなど……!」
「危険ではありません。これは、戦いです」
私の言葉に、カイゼル様が力強く続けた。
「エリアーナの覚悟は、私の覚悟だ。これ以上の反論は許さん。彼女は、我が帝国が誇る未来の国母なのだ。直ちに、魔法通信の準備を進めよ!」
皇帝の鶴の一声に、もはや異を唱える者はいなかった。廷臣たちは、ただ庇護されるだけの存在だと思っていた聖女が、国を導く確かな意志と知性を持っていることを知り、畏敬の念を込めて私に頭を垂れたのだった。
その頃、王国では、帝国の反応を今か今かと待ち構えていた。
「帝国は沈黙を守るか、あるいは怒りに任せて恫喝してくるか。どちらにせよ、国際社会での立場は悪くなる一方よ」
偽聖女リナが、扇子で口元を隠しながら嘲笑う。アルフォンス殿下も、これで汚名を返上できるとばかりに、いやらしい笑みを浮かべていた。
彼らは誰も、私が自ら公の場に姿を現すことなど、夢にも思っていなかった。あの気弱で、言いなりだった令嬢が、世界を相手に声を上げるはずがない、と。
そして、運命の日。
発表の場に選ばれたのは、私の力で色とりどりの花が咲き誇る、離宮の美しい庭園だった。背景には、呪いから解放され、活気を取り戻しつつある帝都の姿が広がる。
私の身を包むのは、帝国の威光を示す深い藍色のドレス。胸には、婚約者である証として、カイゼル様の瞳の色を宿したサファイアのブローチが輝いていた。
やがて、古代魔法によって作られた『遠見の水鏡』が起動し、その映像が近隣諸国の宮廷に設置された受信盤へと送られ始める。
ざわめく諸国の王侯貴族たち。彼らが見つめる水鏡の中央に、私は皇帝カイゼル様と並んで、ゆっくりと歩み出た。
深呼吸を一つ。もう、恐怖はない。私の隣には、誰よりも信頼できる人がいる。そして私の背後には、私が愛し、私を愛してくれる、この国の民がいる。
私は水鏡を、その向こうで見つめる全世界を、まっすぐに見据えた。そして、凛とした声で、高らかに宣言する。
「私の名は、エリアーナ・フォン・クライネル。かつて王国に追放され、今は皇帝カイゼル陛下の婚約者として、この帝国の未来の皇后となる者です」
王国の仕掛けた卑劣な陰謀に対する、堂々とした反撃の狼煙が、今、高々と上がった。




