第8話: 『未来を紡ぐパートナー』
アルフォンス殿下が去った謁見の間には、しばしの沈黙が流れた。私の手はまだ微かに震えていたが、心は不思議なほど凪いでいた。過去と対峙し、私は確かに一歩、前に進むことができたのだ。
「……見事だった、エリアーナ」
カイゼル様が、私の震える手を両手で優しく包み込む。彼の瞳には、私への深い愛おしさと、誇らしさが溢れていた。
「お前は、私の、帝国の、誇りだ」
その言葉だけで、私の心は満たされた。もう、何も怖くはない。
この一件は、すぐに帝国の貴族たちの間にも伝わった。私が隣国で不当に追放された令嬢であること、しかしその身には国を救うほどの聖なる力が宿っていること、そして何より、冷徹なる皇帝陛下がその聖女様を深く寵愛し、未来の皇后として迎えるご決心であること。
最初は私の出自を訝しんでいた貴族たちも、国の目覚ましい復興と、カイゼル様の揺るぎない態度を目の当たりにして、急速に私を未来の国母として受け入れる空気を醸成していった。
守られてばかりの日々は、もう終わり。私は、この国で私にできる、もっと多くのことを見つけたいと願うようになった。
ある日、私はカイゼル様の執務室を訪れ、決意を告げた。
「カイゼル様。私は、自分のこの力について、もっと詳しく知りたいのです。そして、この力をより効率的に、帝国の復興に役立てる方法を、あなたと一緒に考えたいのです」
私の申し出に、カイゼル様は驚いたように目を瞬かせ、すぐに深い喜びに満ちた笑みを浮かべた。
「もちろん、もちろんだ、エリアーナ。お前の望みとあらば」
彼はその日のうちに、皇族しか入ることを許されない古文書の書庫を、私のためだけに解放してくれた。埃っぽい書庫の中で、私たちは並んで古代の文献を紐解き始めた。それは、国の未来を共に築く、パートナーとしての第一歩だった。
そして、私たちは驚くべき発見をする。
古い羊皮紙に記されていたのは、古代の聖女にまつわる記述。それによると、聖女の力はただそこにいるだけでなく、聖女自身の「意思」や「祈り」の強さによって、特定の対象へと癒やしの力を集中させることができる、とあったのだ。
「つまり、私の祈り次第で、例えば北方の痩せた土地や、西方の病に苦しむ村を、集中的に癒すことができるかもしれない……?」
「その可能性は高い。そして、これを見ろ」
カイゼル様が指さした別の文献には、聖なる力を増幅させる「触媒」の存在が記されていた。月光を浴びて輝くという『月光石』、生命力の源となる『世界樹の若芽』……。それらが帝国のどこかに眠っているかもしれないという記述に、私たちは顔を見合わせ、興奮を隠せなかった。
希望。それは、ただ漠然と国が癒えるのを待つのではなく、自らの手で未来を掴み取るための、確かな光だった。
だが、光が強まれば、影もまた濃くなる。
屈辱と手酷い失敗を胸に王国へ帰ったアルフォンスは、王や大臣たちから激しく叱責され、完全にその威信を失墜させた。
正攻法ではエリアーナを取り戻せないと悟った王国の貴族たちは、より卑劣で、狡猾な手段へと舵を切る。
「エリアーナ嬢が自らの意志で戻らぬのなら、帝国が『我が国の聖女を不当に拘束し、洗脳している』という醜聞を流すのだ」
「そうだ。近隣諸国に、帝国がいかに野蛮で、非道な国であるかを訴え、国際的な圧力をもって聖女様の『返還』を要求する!」
もはや国の復興ではなく、帝国の評判を貶め、エリアーナを力ずくで「奪還」するという陰謀。その計画の実行役として、王国の諜報機関を束ねる、蛇のように冷酷な目が光る男が静かに動き始めていた。
帝国の書庫に、穏やかな光が差し込む。私とカイゼル様は、見つけたばかりの希望について、熱心に語らっていた。恋人として、そして国の未来を担う同志として、私たちの絆はかつてなく強固なものになっていた。
その、満ち足りた静寂を破ったのは、またしても側近の慌ただしい足音だった。彼は血相を変え、息を切らしながら報告する。
「陛下、一大事にございます!」
「今度は何だ」
「王国が……! 王国が、『我が国の聖女を、帝国が不当に略取・監禁している』として、近隣諸国へ向けた非難声明を発表! エリアーナ様の即時『返還』を要求しております!」
カイゼル様の顔から、穏やかな表情が消えた。
王国が仕掛けてきた次の一手。それは、私個人の問題から、帝国そのものの存亡を揺るがしかねない、国際的な政争の始まりを告げるものだった。
私の平穏は、またしても、容赦なく脅かされようとしていた。