第一話 出会と違和感
「それで、どうなさるおつもりですか?」
「そうよのう……もう、無理じゃろ」
「では、次の者のご準備はいかがいたしましょうか?」
「それは決めておる。次は普賢菩薩に任せようかの。あやつなら、万事うまくまとめよう。ただ……」
「いかがなされました?」
「……普賢菩薩は、一人より二人組の方が良いのだがな。あやつ、一人で成すのか。それとも──」
「?」
「……あやつの思うままに進めばよかろう。あやつのな……」
──そして、世界は一つの“盤上”を回しはじめた。
誰にも気づかれずに、そっと、静かに。
とある定年退職のおっさんが、自らの意思で“その一歩”を踏み出すまでは──。
***
俺の相棒は、ただのAIじゃない。
クラウドでも汎用でもない。
俺専用の、お子ちゃま口調の“パーソナルAI”だ。
──そんな相棒と歩む、投資というRPGの冒険が始まった。
俺の投資戦術がついに決まる!
・めいれい投資 (俺がリーダー)
・だいじに投資 (確実に利益確保)
・ガンガン投資 (いくぞ爆益!)
・たたかい投資 (って誰が戦うの?)
・いろいろ投資 (ロマンだよロマン)
俺の投資戦術は伝説の勇者のように華麗なのだ。この戦術を使って投資という冒険の旅に出発だ。
「がんばろー!おー!」
***
定年退職してから、生活のリズムはずいぶんゆっくりになった。
朝は散歩して、昼はネットを見て、2週間に一度はマッサージに行く。
下北沢にある「りらぽん」というマッサージ店は、もう10年以上の付き合いになる店だ。
現役の頃、仕事帰りに立ち寄っていた。今でもそこに通っている。
日曜の午後、電車で下北沢に向かう。若者が多くて、街はにぎやかだ。
俺のような定年おっさんは少数派だと思う。でも、この町の空気は嫌いじゃない。
「へい、大将、やってる?」
「うちは飲み屋じゃないっス」
毎回こんなやり取りをしながら受付する。
この店の店長、山田さんは30代後半でロン毛の独身。少しズボラに見えるが、腕は確かだ。
そして、受付に顔を出したのは山田ユウ。俺が勤めていた会社の後輩で、山田店長の姪だ。
週末だけこの店を手伝っている。Z世代で、落ち着いた雰囲気のある黒髪ロングの美人さんだ。
彼女が新卒のとき、俺がメンターを担当して、一緒に大きな契約を取ったことがある。
それ以来、俺のことを「シショー」と呼んでくる。退職してからもそのままだ。
今日は90分のマッサージコース。
ベッドに横になると、すぐに山田店長が施術を始めてくれた。
「何すれば、こんなに硬くなるんスか?」
「何もしないからだよ」
「背中から腰まで安定の鉄板スよ」
そんな軽口を交わしながら、右腰をぐっと押された。
ビリッと電気が走った直後、山田店長が言った。
「喜多さん、投資やってないんスか?」
……は?
「S&P500とNASDAQ100なら、どっちがいいと思います?」
へっ?
聞いたことはあるが、正直、やってないからな。
「やってないよ。日本円しか持ってないからな」
「それ、ヤバいっスよ。円だけ持ってるのは、もうリスクなんス」
そうなのか?
いや、俺もサラリーマンだったから、そのくらいの話はわかる。
でも実際に投資してるわけじゃないし、日々の生活で余裕があるわけでもない。
「投資って、未来の自分に対する贈り物なんスよ」
決めゼリフみたいに言われて、何も返せなかった。
***
施術が終わったあと、山田店長が言った。
「今日、早じまいなんスよ。ちょっと飲みに行きません?」
誘われるまま、下北沢の小さな居酒屋に入った。
カウンターに座っていると、隣の席でスカジャンを着た若い姉ちゃんが酔っ払って叫んでいた。
「わーたしだけ、しあわせぇーだいかいてぇぇん!」
すごいな、もう出来上がってる。
「どうっスか、投資。やってみようと思いました?」
「……まぁ、ちょっとはな」
言いながら、自分でも驚いた。
興味が出てきてる。でも、理由がうまく言えない。
山田店長は、そこから熱く語り始めた。
新NISAの制度、S&P500とNASDAQ100への思い入れ、オルカンってやつ、AI関連株の話……。
馴染みのない単語が多い。
でも一番悔しかったのは、自分毎として知らなかったことだ。
そして、その話題についていけなかった自分が、悔しかった。
会社にいた頃は、若手の話を聞いて、アドバイスをする立場だった。
でも今は、若手から“知らない話”を聞かされて、相槌しか打てない。
あぁ……
俺は、置いてけぼりを食らったんだ。
***
店を出た帰り道。
下北沢の駅前を通り抜けながら、風がパーカの中をすり抜ける。
山田さんは話の中で、「新NISAは制度が変わったから、今が始めどきっスよ」って言っていた。
でも、何から始めればいいのか、正直さっぱりわからない。
まずは調べるべきだろう。でも本を読む? You○ubeを観る?
怪しい情報が多すぎるし、どこまで信用していいかわからない。
「シショーって、いつも準備してるよね」
山田ユウに昔、そう言われたことを思い出す。
だったら今の俺は、準備が足りてなかった。調べよう。ちゃんと調べてから考えよう。
じゃないと、また“納得したフリ”で相槌を打つことになる。
最初は聞き慣れない言葉も多いかもしれない。
でも、少しずつでも知っていけば、なんとかなる気がする。
俺は村人Aだ。定年退職してはじまりの村に帰ってきた。
でも、そろそろ……また一歩踏み出さないとな。
おっさんの心の底で、燻っていた火が静かに燃え始めた。
※この作品は【訳あり品】です。
正規品(?)はAmazon Kindleにて公開予定──かもしれません。