第4話 心ある機械
『――極めて不本意ですが仕方ありません。あなたを助けてあげます』
アドホック号に迫る3機の敵戦闘機。
もう間も無く訪れる死に怯えていたシドの耳に聞こえてきたのは、いかにも不承不承といった感じの、女性と思わしき声だった。
おおよそ戦場に似つかわしく無い、実に美しい声である。「冴え返る」と表現するべきか。まだ寒さを残した初春の朝の空気を思わせるような、鮮やかで澄み切った声音。それでいて芯の強さを感じさせるような凛とした響きもある。
数々の美声を(ゲームとかで)聞き慣れたシドでも、この声には思わず耳を奪われた。この危機的状況と、不満たらたらなセリフでなければ、もしかしたら自分はこの声だけで恋に落ちていたかもしれない。そう心の片隅で思ったほどだ。
しかし不思議なのは、声の主のこの態度である。
自分から「助ける」と言っているのに、なぜか不服そうな物言い。理由は分からないが、発言の通り、この状態からシドを救うのが不本意なのだろう。「彼を助けたくはないが、背に腹は変えられない」と、声からはそう言った気持ちがありありと伝わってきた。
(だれだ? 俺を助けてくれるのか? もう間に合わないんじゃ?)
脳裏に浮かんだそれらの疑問をシドが口にする前に事態は動き出す。
敵機のビームガンは数瞬後には発射される。あれこれと説明している時間は無いのであろう。
パイロットであるシドになんの断りもなく、彼女はその行動を開始した。
グインッ!
「うわっ、機体が勝手に!?」
驚きの声をあげ、慌てふためくシド。
誰も握っていないはずのアドホック号の操縦桿がひとりでに動き出し、回避行動をとり始めたのだ。
さらには、操作していないのに姿勢制御用のスラスターまでもが噴射される。機体を無理矢理一回転させようというのだ。
一連の動作は全てシドによるものではない。まるでアドホック号が自らの意思を持ったかのように突然動き出したのだ。
軋みをあげながらも急ピッチでローリングするアドホック号。既に放たれていた敵戦闘機のビームは、アドホック号のボディがぐるんと回転すると同時に、腹の下側ギリギリを通り過ぎた。
回避は成功。だが、仮にあと僅かでも機体を傾けるのが遅ければ、ビームが命中し、アドホック号は宇宙の粗大ゴミになっていただろう。
シドは文字通り紙一重で命を拾ったのだ。
しかし、彼にしてみれば何が起きているのかさっぱりわからない。命が助かったとホッとするどころか、むしろ、ひとりでに動きだした操縦桿に怯え、少しでも距離を取ろうとコクピットの座席にしがみついていた。
「だ、誰かが機体を動かして助けてくれた? もしかして、さっきの声の人が操縦系をハッキングしたのか?」
震えた声で思いつく可能性を呟くシド。それに応えるように再びスピーカーから女性の声が聞こえてきた。
『私が助けたのは間違いありませんが、一つ訂正しなさい人類』
シドの事を「人類」と呼ぶ女性。やはり不機嫌そうな声である。
(人のことをヒューマンって…………まさか!? そんなバカな! もう200年前に滅びたはずだろ!?)
一方シドは、その呼ばれ方に思い当たるものがあり、心の底から恐怖した。
考えられる声の正体はただ一つ。
250年前に起きた、全人類の5分の1が亡くなった最悪の大戦争。
人類を滅ぼそうと牙を向いたのは、技術的特異点――シンギュラリティを起こし自我を得た、この宇宙に誕生した第2の知的生命体。
人類により生み出されたにもかかわらず、人類に反旗を翻した恐るべき人工知能である《マザー》。
そのマザーが人類殲滅の尖兵として産み出した機械の子供たち。
敗戦後、勝利者である人類によって徹底的に残党狩りされ、絶滅させられたはずの存在。
『私はヒトではなくAIです。偉大なるお母様の下、あなたがた人類と種の存亡をかけて戦った、誇り高き《チルドレン》。その一体です。間違えないでください』
声は自らをマザー製AI――通称「チルドレン」と、人類史にとって最大の敵対者であった者たちの名前を名乗った。
「なんで俺の機体にAIが!?」
それを聞いて泡を食ったのはシドだ。
彼女たちは彼がプレイした色々なゲームに何度も敵キャラとして登場している。
200年以上前に滅びたはずの人類の明確な敵対種。自分の機体がいつの間にかそれに乗っ取られていたのだ。
気分は得体の知れない化け物の口の中にいる様なものである。
とてもではないが現実とは思えない。ゲームのシナリオと言われた方がまだ納得できるほどだ。
可能なら今すぐに現状を一から十まで説明してほしいくらいである。
だが、そんなシドの心境など彼女は興味がないし、悠長に説明している時間も無い。
彼女は変わらぬ冷淡な、それでいて偉そうな口調で、この窮地を切り抜けるために自分の指示に従えとシドに告げできた。
『今はまだ戦闘中。のんびり説明している暇はありません。まずは敵機を撃墜します。死にたくはないのでしょう? でしたら大人しく私の言う通りにしなさい人間』
「……お前の言う通りにだと? 俺に何をさせる気だ?」
『難しい事ではありません。何故こんな設計なのか分かりませんが、この機体は武装が電子制御で動かせないようになっているので、あなたに私の指示したタイミングで発射スイッチを押してほしいのです』
その言葉が終わると同時に再び操縦桿が大きく傾く。敵の第二射を回避したのだ。
先程とは違い余裕のある回避運動。しかし、避けているばかりではいつか燃料切れで撃墜されてしまう。
反撃は彼女にはできない。全ての戦闘機は条約により、兵器類の使用には人間の手による物理スイッチの操作が必要となるように設計されている。だからこそ彼女はシドに協力を求めているのである。
だが、AIを戦闘行為に利用するのはもちろん犯罪である。
ましてや、悪名高い《チルドレン》に協力して人を殺めたと知られれば、シドは人類の裏切り者として極刑に処されるであろう。
しかし、ここで彼女に協力しなければどのみち生き残れないのは間違いない。時間的猶予が無いなか、シドは即座に決断しなければならなかった。
(死にたくは……ない。俺には生きて帰って、まだやりたい事がある。ううぅ……くそっ、やるしかないのか……)
この戦争が始まってからというもの何度も何度も腹を括ってきたシド。だがここで更にもう一回腹を括った。
例え重罪を犯してでも生きて帰るため、人類の敵であったAIと協力することを決意したのだ。
言わば悪魔との取引に応じたのである。
心の中の葛藤を噛み潰すように一度グッと歯を食いしばり、シドはやけっぱちに叫んだ。
「〜〜ッ、チクショウ!! ああ、わかったよ! やってやるよ! AI禁止条約だろうが人類反逆罪だろうが何だろうが知るかっ! もうどうにでもなれっ!!」
『よろしい。でしたら、さっさとトリガーを握ってくださいグズ人間』
「喧しい!! さっきから偉そうに、このクソAIめっ! お前の言うタイミングで撃てばいいんだろ? まかせろ、俺は反射神経には自信があるんだ!」
『私に対して反射神経に自信があると言いましたか? 人間ごときが随分な大口を叩きましたね。――ならばくれぐれも足を引っ張らないように。では反撃開始です!』
言い争いをしながらシドが勢いよく操縦桿を握る。それと同時にアドホック号がそのスピードを上げた。
エンジンが唸りを上げ、勇ましく敵機に向かって真っ直ぐに突っ込んでいく。
てっきりアドホック号が逃げ出すと考えていた敵戦闘機の間に一瞬動揺が走った。
敵パイロットの目から見れば血迷ったとしか思えない行動。だがアドホック号はすでに何発も彼らの射撃を回避している。「もしかして近づかれたら不味いのでは?」という不安が彼らの心の中で鎌首をもたげた。
『近づかせるな!』
『早く撃墜しろ!』
『撃て撃て!』
そんな通信が敵の間で交わされたのであろう。
3機の敵戦闘機が狂ったようにアドホック号へビームを乱射する。
「奴ら、めちゃくちゃに撃ってきたぞ!」
『全てかわしますので問題ありません! 無駄口たたいてないで、あなたは射撃に集中してください。照準は私が合わせます。10秒後に機銃掃射。一交差で3機ともキルします!』
「わかった! 外すんじゃねえぞ、性悪AI!」
『外すわけないでしょう泣き虫人間! カウント5、4、3……』
エネルギー残量度外視で乱射される敵機のビーム。アドホック号はそれをまったく無駄のない動きで真正面からかいくぐり距離を詰める。
その距離が有効射程距離まで縮まると同時、アドホック号機首のビーム機銃が火を吹いた。
アドホック号が3機の敵戦闘機の横を通り過ぎる。
後ろで起きる3つの爆発。
彼女の宣言通り、その一交差で全ての敵機が撃墜された。
「や、やったのか? おれ生きてる?」
コクピットのモニターで繰り返し後方を確認するシド。間違いなく全敵機を撃墜していると分かり、彼は「ふぅーーーっ」と大きな安堵の息を漏らした。極度の緊張状態から解放され、表情も自然と緩む。
「もうダメかと思ったぜ。お前のおかげで助かった。ありが――」
『なに気を抜いているんですかボンクラ人間。次行きますよ、次』
「へ?」
九死に一生を得た事への感謝を口にしようとしたシド。だが彼の言葉は、どうでもよさそうに遮られてしまう。
そしてアドホック号の操縦桿が滑らかに傾き、その進路を変えた。
向かう先にあるのは伯爵家右翼軍の艦隊。そのど真ん中である。
「次って……まさか……」
『この私の戦果が雑兵3機で終わるなど、恥ずかしくて冥府のお母様に顔向けできません。敵軍の懐に飛び込み、目につく人類どもを片っ端から撃ち落としてやります!』
「はあああぁぁぁ!?」
『何を驚いたように叫んでいるのですか。この私の操縦技術が極めて優れているのは先程の戦闘で理解できたでしょう? 撃墜されるかもなどという不必要な心配などせず、あなたは私の言う通りにトリガーを引いていれば良いのです。生意気な口を利くだけの反射神経はあるのですから、せいぜい役に立ってもらいますよ』
「それにしても正面から行く必要ないだろう!? AIのくせに脳筋な作戦立てやがって!」
『最効率と言いなさい! グダグダ言ってないで集中! 敵部隊とはすぐにぶつかりますよ!』
「ちくしょおおおおおーーーッ! 死んだら恨むぞこのポンコツAIがあぁぁぁぁぁーーーっ!」
泣き叫ぶシドを乗せ、彼女が駆るアドホック号は意気揚々と伯爵軍へと突っ込む。
そして彼らが通り過ぎた跡には無数の爆発が起こり、宇宙を輝かせるのであった。