第20話 Gランクミッションその1 『荷物配達』
『あぁ、スピードを出しても軋んだりガタつかないというのは、なんと快適なのでしょう!』
感極まった女性の声がコクピット内のスピーカーから聞こえてくる。
なお、このセリフは出発してからもう5回目だ。
それだけ嬉しいのであろう。普段は理知的な彼女が、今は喜色満面といった様子で存分にはしゃいでいる。
『反応がスムーズなのも素晴らしいです。機体を傾ければ素直に曲がってくれることが、こんなにも感動することだったとは! シド、ちょっとマニューバ(戦闘機動)を試してみましょう! インメルマンターンとかどうですか?』
ワクワクといった擬音が聞こえてきそうなテンションで、普段のロナからは想像もできないような浮かれきった提案があった。
因みにここはコロニーと宇宙ステーションを結ぶ主要航路である。広大な宇宙とはいえ、付近には他の宇宙船の姿もある。
ここでいきなりインメルマンターンーー簡単に言えば縦方向のUターン、などすれば、周りの船から「アイツこんな所で何やってんだ?」と物笑いの種になるであろう。
目の前のバイクがいきなりウィリー走行を始めるようなものだ。奇異の目で見られて当然である。
狭いコクピットの中、シドは慌てて「やめてくれ」と言って彼女のおふざけを止めた。
「他の人に迷惑だろ! つーか、俺がおかしな奴だと思われるわっ!」
『わかってますよ。ただの冗談です。本気でする筈ないじゃないですか』
「…………」
『そんな疑り深い目で見ないでください』
シドは疑わしげな視線を右の手のバングル、正確にはその裏にいるロナ本体に向ける。
彼女は出発からずっとこの調子なので、まだコロニーを出て1時間も経っていないというのに既に疲労が蓄積されている。
「はぁ……こんなんで無事に『三本角イルカ座ステーション』に着けんのかな?」
シドとロナは現在、傭兵ギルドに加入したGランク戦闘機乗り全員に課せられる最初の仕事である『荷物配達』を遂行中である。
ギルドから説明されたミッション内容は単純。早朝、ギルドに指示された人物から小包を受け取り、宇宙ステーション『三本角イルカ座ステーション』に届けることである。
あらかじめギルドから詳細を受け取っていたシドは、今朝早くに指定の場所である『まちのベーカリー パン・ド・ミー』に行き、店主夫婦から荷物を受け取った。
今話題のシド・クラフトが運び手だとは夢にも思わなかった店主夫婦がビックリ仰天し、一騒ぎのあと店に飾るサインを書かされたのはご愛嬌だ。特に大した問題ではない。
ただ一つだけギルドの説明と違うことと言えば、
「“小包”じゃないよな、この量」
運ぶ荷物がいささか多かったぐらいである。
現在、コクピットシートに座るシドの膝の上には、各種パンがぎっちり詰められたビニール袋が二袋のっかっている。
片方が今回運ぶ荷物で、ステーションで働く店主夫婦の息子さんへの差し入れだ。普通は傭兵に頼むようなことではないが、Gランクの新入りの審査のためギルドがこのような失敗しても(最悪盗まれても)問題ない荷運びを格安で請け負っているのだ。
そしてもう一袋が、時の人に会えてテンションが上がった店主夫婦に貰ったシドへの差し入れである。
結構な量なので一度自宅へと置きに帰ろうかとも考えたが出発時刻が迫っていたので諦め、ご厚意なので突き返すこともできず、こうして狭いコクピットをさらに圧迫しながら運んでいるという訳だ。
『せっかくのパンを潰さないでくださいね』
「わかってるよ。ちゃんと気をつけてるから大丈夫だ。てか、インメルマンターンしようとしてたヤツに言われたくねえ」
『だからあれは冗談だと言っているでしょう』
シドは操縦桿にもスロットルにも触れず、パンの袋を崩れないよう押さえている。機体を動かしているのは、右手のバングルの裏からメタモルシェルを伸ばして機体に接続しているロナだ。
先端を長くしたダイヤ凧のようなシルエットに、光沢のある銀白色の機体。それがシドとロナの新しい乗機『エールダイヤ』である。
彼らが乗るエールダイヤは通常の巡航速度でのんびりと、そして順調に目的地のステーションへと向かっていた。
◇◇◇
途中途中にある小型宇宙ステーションで休憩を挟みながら飛ぶことおよそ8時間。シドとロナは無事に目的の三本角イルカ座ステーションに到着した。
大都市にある巨大ターミナル駅をそのまま宇宙に浮かべたような外見で、プラットホームに該当する宇宙港にはたくさんの宇宙船が出入りしている。
その上には駅ビルと呼ぶべき建物が乗っかっていて、そこが商業施設や宿泊施設が入っている場所だ。
なお、このステーションの名前の由来は、とある惑星に本当に生息する三本角イルカと呼ばれる生き物に見える気がする星座がここの展望室から観測できるからだ。子爵領のちょっとした観光スポットの一つである。
「ようやく着いた。長かったな」
『今日はここで一泊ですか』
「その前に受取人を探さないとな。確か宇宙港で働いているんだっけか?」
『ええ、パン屋のご夫妻もそう言ってましたね。連絡先も聞いていることですし、すぐ見つかるでしょう』
「だといいな」
喋りながらエールダイヤを入港する船の列の最後尾につける。
ステーションの管制官の指示に従い機体を駐機させる。
機体から降りたシドとロナはパンが詰まった二つの袋をぶら下げながら配達相手であるパン屋夫婦の息子に連絡をする。
幸い、向こうもシドのことを待っていたらしく、すぐに電話が繋がった。
二人は駐機場すぐ近くの廊下で落ち合うことにする。
「いや〜、わざわざすいません。ありがとうございます」
パン屋の息子はこの宇宙港で整備員として働いているらしい。作業の途中で中抜けしてきてくれたようで、作業着姿での登場だ。
実直そうな見た目の通り、シドに丁寧なお礼を言ってきた。
「にしても、あのシド・クラフトさんに実家のパンを届けていただけるとは恐縮です。あー……ウチの両親大騒ぎだったんじゃないですか? サインなんかねだったりして、ご迷惑おかけしてませんか?」
実の息子だけあって両親の性格はよくわかるらしい。サインを書いて欲しいと言ってきたのを当ててきた。
シドは「ハハハ……」と愛想笑いをして肯定する。
しかし、持っていた袋を持ち上げて、むしろ沢山パンを貰ってこちらこそ申し訳ないと言った。
「いやまあ、確かにサインは書きました。でも、ご両親からこんなに頂戴してしまいまして」
それを見て男性は困ったように頭をかく。
「あはは……ウチの両親はいつもそうでして……。味は結構評判がいいので、ご迷惑でなければ食べてやってください」
「いやいやいや、迷惑だなんてとんでもない。ありがたくいただきます」
一通りの挨拶が済んだところで、ようやく荷物の受け渡しが始まる。
シドは片方のパン袋を渡して、証明のサインを書いてもらおうとした。それでミッションは完了である。
「えーっと、では確かにお渡しいたしましたので、受け取りのサインを――」
男性がシドの持つパン袋を受け取ろうと手を伸ばしたその瞬間、通路の奥からステーション職員の怒鳴り声と女性の甲高い悲鳴、そして複数人がドタバタと走る音が聞こえてきた。
「おいっ、お前ら待てぇ! そこを動くなっ!」
「バレた! 逃げるぞ!」
「チクショウ、もう手配されてんのか!」
驚いたシドたちが声のした方を向くと、向こうから軍服姿の男が4人走ってきた。軍人であるはずなのに制服をだらしなく着崩しており、髭も伸びていてどこか薄汚い印象だ。
全員若い男だ。シドとそう年齢は変わらないだろう。
顔には焦りが浮かんでいて、手に持ったポケットナイフを振り回して周りの通行客を威嚇して散らしながら、後ろから追いかけてくる警備員から必死に逃げていた。
通路に悲鳴がこだまする中、天井のスピーカーから緊急の構内放送が流れた。
『お客様にお知らせいたします! ただいま、他領の軍から逃亡してきた4名の脱走兵が当ステーションに侵入していたことが発覚いたしました! 犯人たちは現在も逃亡中。凶器を所持しておりますので、決して近寄らず、職員の指示に従って避難してください!』
つまり、こちらに向かってくる4人組はその脱走兵だということだ。
他領とアナウンスされていたが、もしかしたら伯爵家の侵略が関係しているのであろうか。
シャモニー子爵家以外も、近隣の貴族は軒並み伯爵家から攻撃を受けている。その内の何処かの戦場から逃げてきたという可能性は十二分にありうる。
ただまあ今はそんな事情などどうでもいい。重要なのは血相を変えた犯罪者たちがこっちに走ってくるという事だけである。
『シド、見たところあの兵士たちは一目散に駐機場に向かっています。おそらく乗ってきた機体で逃走する気でしょう。人質を取る気配もありません。壁際に寄ってやり過ごしましょう』
「わかった!」
状況を見てロナが素早く指示を出す。脱走兵たちは周囲の人間など目向きもせずに逃げている。だから下手に背中を向けず通り抜けさせてしまえばいいという判断だ。
シドもそれが一番だと考え、パン屋の息子の手を引っ張り壁際に寄って道を開けた。
だが、仲間内で怒鳴り合う脱走兵の会話が耳に入った時、その判断が失敗だったことをシドたちは悟った。
「急げ、捕まるぞ!」
「久しぶりにシャワーを浴びれると思ったのに!」
「それより食いもんがねえ! どこかで調達しないとヤベェぞ!」
「後にしろ! 今は逃げるのが先決――あっ、パン!」
「「「えっ!?」」」
脱走兵の一人の視線がシドが持つパンの袋を捉えた。
シドがマズイと思った時にはもう遅く、その脱走兵がものすごい形相で詰め寄ってきた。
「おいっ、それを寄越せ! ぶっ殺すぞ!」
「うわっ!?」
シドの返事を待たず、脅すと同時に袋を二つとも乱暴にひったくってくる。
強引に荷物をもぎ取られたシドはその場に転ばされた。
『シド、大丈夫ですか!?』
「クラフトさん!」
ロナとパン屋の息子の心配する声が聞こえる。
シドが痛む身体をさすりながら起きた時には脱走兵たちはもう駐機場に入っていた。
身体の方は問題なさそうだ。あとでアザになる程度であろう。
「イテテ……」
「クラフトさん、お怪我は?」
「大したことはなさそうです。でもパンが……」
「パンなんて今は……」
「しかしアレが無いと配達失敗になってしまいます」
「それは……」
シドの言う通り、まだ受け渡しは完了しておらず、サインも貰っていない。
このままではミッションは失敗になってしまう。
どうしようと焦るシド。そこに聞こえてきたのは、怒りで震えるロナの声だ。
『本当に身体は平気ですか、シド? 支障が無いようでしたら奴らを追ってください』
「お、おう……」
思わずビビってしまうほどの怒気がイヤホンから伝わってくる。心なしか右手のバングルも少しキツくなっている気がしてきた。
『戦場から逃げ出すような腰抜け兵士の分際でシドに怪我をさせ、あまつさえこの私の仕事の邪魔をするとは万死に値します』
ロナの声はどんどん冷たいものになっていく。
生まれながらの軍人である彼女にとって、命令に背き、仲間を見捨てて逃げだした輩など下の下の存在であろう。それに配達物を奪われたのだ。彼女が感じている屈辱はいかばかりであろうか。
これは急がないとまずそうだ。
シドはパン屋の息子に「大丈夫です」と言って脱走兵を追いかける。
駐機場の中に入ると、ちょうど4機の戦闘機が外に出ようとしているところだった。
駐機場と宇宙空間はエアロックという二重扉で仕切られている。これは宇宙と駅構内の気圧が異なるからだが、それを操作するには管制官の許可が必要だ。
おそらくは「ここでミサイルをぶっ放すぞ」とでも言って脅したのであろう。脱走兵が乗る4機の戦闘機はパン袋と共に宇宙へと逃げていった。
『ステーションから出たなら好都合です。シド、私たちもエールダイヤで出撃ましょう』
「わかった」
『決して逃しはしません。落とし前は宇宙でつけます』
耳元から聞こえるロナの怨念のこもった声に震えながら、シドはジンジンと痛む身体に鞭打ってエールダイヤの所へと走るのであった。




