井戸の声
アルベルト直轄領での魔物憑きもひと段落し、王都に帰還しようとする中、エリナとルークは「村人が次々と井戸に消える」という奇妙な噂を耳にした。
「気になるか?」
「魔物憑きが別の形で表れているのかもしれないわ。行きましょう」
2人が件の噂の村に着くと、村の長が震える声で訴える。
「助けてくれ。井戸の底から声がするんだ。」
村は不気味な静けさに包まれていた。昼間だというのに人通りはなく、家々の扉は固く閉ざされている。かつては子供たちの声で賑わっていたという広場も、今はただ冷たい風が吹くだけだった。
「随分と気味悪いな。」
ルークが井戸を見下ろしてぼそりと呟く。
「ただの事故とは思えないわね。」
エリナも井戸の縁に手をかけて覗き込んだ。井戸の底は暗く、まるで深淵が口を開けているかのようだった。
エリナたちは原因を探るべく、村長に聞き込みをする。
「何人が消えたの?」
「三人だ。いずれも夜中に井戸の様子を見に行ったきり戻ってこない。」
「井戸の水に異常は?」
「いや、変わらず澄んでいる。」
エリナは井戸の底に魔力を送り、探るように目を細めた。魔物や呪いであれば、魔力の揺らぎが現れるはずだったが——
「……反応がないわ。」
「魔物の類じゃねぇってことか?」
ルークが腕を組む。
「ええ。でも何かがいるのは間違いない。」
エリナは村の長に目を向けた。
「消えた村人の身辺に変わったことはなかった?」
「それが……消える前に皆、同じことを言っていた。」
「同じこと?」
「『井戸の底から、子供の声がする』と。」
◆
「聞こえるか?」
夜、井戸の前で待機していたルークが耳を澄ませる。
「何も……」
エリナが答えようとした時——
「……お母さん……寒いよ……」
「……!」
かすかな声が井戸の底から響いた。
「子供の声?」
エリナが井戸を覗き込むが、相変わらず真っ暗だ。
「確かに聞こえたな。」
ルークは剣に手をかけ、井戸の中に気配を探るように目を細めた。
「ルーク、ロープを持ってきて。」
「待て。」
ルークは腕を伸ばしてエリナを制した。
「俺が行く。」
「え?」
「お前はここで待ってろ。井戸の底なんざ、貴族が行く場所じゃねぇ。」
ルークの声は静かだったが、拒否する余地を与えない強さがあった。
「でも、もし魔物がいたら——」
「だからだろ。お前に何かあっちゃ困るんだよ。」
エリナはルークの真剣な眼差しに一瞬だけ言葉を詰まらせた。
彼は普段は粗野な言葉遣いをするが、その根底には強い忠誠心と気遣いがある。
「ルーク、でも——」
エリナは目を逸らさずに続けた。
「ここは私が行くわ。魔物じゃないなら、魔法での反応は見つけにくい。それに、もし井戸の底に召喚陣や呪いがあったら、ルークでは解けないでしょう?事件をより確実に解決することを優先したいの」
「……聖女様に言われちゃ敵わないな」
ルークは険しい顔をしたが、すぐにロープを手に取った。
「わかった。お前がそこまで言うなら止めねぇ。ただし、少しでも異変があったらすぐに知らせろ。俺が引き上げる。」
「ええ。頼りにしてるわ。」
◆
井戸の底に降り立ったエリナは、足元に魔力を灯した。水は胸下まであり、ひんやりとした冷たさが肌を刺す。
「これだけ深くても、水面に何も浮かんでいないのね……。」
エリナは井戸の壁に沿ってゆっくりと歩き始めた。
——ジャリッ。
「……石?」
足元で何かを踏んだ感触があった。
「ルーク、何か見つけたわ。」
「何だ?」
「……子供の靴よ。」
水の底に沈んでいたのは、小さな革靴だった。
「おい、冗談だろ。子供が死んで亡くなった呪いなのか?」
ルークの声が硬くなる。子供の方がしていたのも相まって最悪の想像が頭を過ぎる。
「多分だけど、違うわね。」
エリナは靴を拾い上げ、井戸の壁を調べた。
そして——
「これは……」
井戸の壁に、不自然な亀裂が入っていた。亀裂の隙間には微かに魔力の残滓が残されている。
「隠された道がある……。」
エリナは魔力を込め、亀裂に手をかざした。すると、亀裂がゆっくりと広がり、井戸の底に新たな通路が現れた。
「なるほどな。消えた村人は、ここから引きずり込まれたのか。」
「ええ。ルーク、行くわよ。」
「エリナは無茶をしすぎる。」
ルークは剣を抜き、エリナの背後にぴたりと付いた。距離感を保ちながらも、いざという時には彼女を守る。それがルークのやり方だった。
◆
通路の先にあったのは、古びた祭壇だった。そこには、奇妙な魔法陣が刻まれている。
「この魔法陣……禁忌の召喚術ね。」
エリナは冷静に魔法陣を解析し、解呪を始めた。
「ルーク、誰かが来るかもしれないわ。見張っていて。」
「おうよ。」
エリナは魔力を集中し、召喚術を解除した。
——ゴゴゴ……
祭壇が崩れ、井戸の中からかすかな光が差し込む。
「これで村人が消えることはなくなるわ。」
「さすがだな」
だとしたら、子供の靴はなんだったのか、そして祭壇は誰がおいたのか。薄気味悪い感覚は消えないままだが、冷静に原因に対処していくエリナにルークは感心した思いを抱くのだった。




