魔物憑き 後編
アルベルト領に入ってから三週間が経とうとしていた。
「また……ダメだった。」
エリナは患者の寝台の前で膝をついた。魔物憑きに侵された村人が、静かに息を引き取る。
「……申し訳ありません。」
その言葉をどれだけ繰り返しただろう。
「聖女様……これ以上は……。」
村長が申し訳なさそうに声をかける。
「いいえ、まだできることがあるはずです。」
エリナはゆっくりと立ち上がった。
だが、その心の奥底には焦りと恐れが渦巻いていた。
(このままでは、すべての人を救えない……。)
ルークが王都へ報告に行き、不在の間に、次々と患者が運ばれてきては命を落とす日々。
一人で抱えるには、あまりにも荷が重かった。
◆
夜、村の広場に座り込んだエリナは、暗闇を見つめていた。
「どうして……私にはこれしかできないの。」
目を閉じれば、王宮で過ごしていた日々が浮かぶ。
婚約者であるアルベルト王太子にふさわしい妃になれるよう、必死に努力してきた。
「私は……聖女じゃない。」
妃教育の中で気づいた自らの“限界”。
人より努力を重ねても、求めるものには届かないことを痛感していた。
「それでも……諦めるわけにはいかない。」
村を救えなければ、多くの命が失われる。
その時、月明かりの下に立つ一人の少女の姿が目に映った。
「……あなた、魔物に侵されているの?」
少女は静かに頷いた。
「お母さんを助けに来たら、私も病気になっちゃった。」
「なんてこと……。」
エリナは胸が締め付けられるのを感じながら、その子を抱き寄せた。
「助けて……聖女様。」
エリナの腕の中で少女がか細く呟く。
「──ええ、任せて。」
涙を拭い、立ち上がるエリナの瞳に迷いはなかった。
◆
翌朝、村の中央にある泉の前で、エリナは両手を組んだ。
「光よ……すべてを祓いたまえ。」
ゆっくりと魔力を込めると、淡い光が泉に広がっていく。対外と循環させる魔力ではなく、体内にある有限かつ生命とも直結している魔力を使って行使した、禁術とも言えるる手札である。
「この水を村中に届けてください。今までの聖水より効果が高いはずです」
「聖女様……。」
村人たちが感謝の声をあげる。
しかし、その時だった。
「聖女様!村の北に新たな魔物憑きが!」
「また……?」
エリナはすぐに駆けつけた。
寝台に横たわるのは、少女の母親だった。黒い紋様が肌を覆い、息も絶え絶えだ。
「お願いです、母を助けてください……。」
少女の震える声が耳に響く。
(もう誰も失いたくない──!)
「光よ──我が道を照らしたまえ!」
その瞬間、広場全体が金色に輝いた。
「えっ……?」
エリナ自身が驚いた。
眩い光が少女の母親を包み込み、黒い紋様が一気に消えていく。
「母さん!」
少女が母親に駆け寄り、抱きつく。
「エリナ様、なんて……なんてすごい力だ。」
村人たちは驚きと感謝の声をあげた。
しかし、エリナはその場に膝をつき、手を震わせていた。
(なぜ……? ルークがいないのに……。)
「私は……聖女なの?」
その疑問が浮かび上がる。
険しい顔で考え込みながら立ち上がると、少女と母親の笑顔が目に飛び込んできた。
「ありがとう、聖女様。」
その言葉に、エリナはようやく微笑んだ。
「聖女であろうとなかろうと、私は救える人を救うだけ。」
光をまといながら、エリナは静かに呟いた。




