婚約破棄とネムの村
「君との婚約は解消する。僕は本当に愛する人を見つけたんだ」
婚約者である王太子アルベルト殿下は、そう言って私の前で侯爵令嬢リリアーナの手を取った。リリアーナは美しい金髪を揺らしながら勝ち誇った笑みを浮かべている。
一方の私は、何が起きたのかを理解する前に、あれよあれよと婚約破棄の書類に署名させられ、数日後には正式に未婚約の身へと戻っていた。
「はは……まあいいか」
確かに婚約はしていたものの、アルベルト殿下に特別な感情を抱いたことはなかった。むしろ、あのわがまま、じゃなかった、自己主張能力の大変強い王太子と結婚したら絶対に苦労するという確信すらあったのだ。
それにしても、政略結婚が主流の今時あんなに堂々と恋を理由に婚約破棄をするなんて。私はちょっぴり王太子を見直した。
貴族の社交界で一連の噂はあっという間に広がり、私は「婚約破棄された可哀想な公爵令嬢」というレッテルを貼られてしまった。
「こうなったら、しばらく田舎にでも行こうかしら」
幸い父も母も「少し気分転換しておいで」と背中を押してくれたので、私は気楽な旅へと出発したのだった。
目立ったお供も連れず、馬車で数日、たどり着いたのは王都から遠く離れた静かな村だった。辺境に近く、観光地というわけでもない。自然豊かで空気が澄んでいて、癒されるにはぴったりの場所だ。
「お嬢さん、旅の方ですか?」
村の入り口で出会った老人が声をかけてきたので、にこやかに頷く。
「ええ、少し休養を兼ねてこの村に立ち寄らせてもらいました」
「おお、それならこのネムの村はちょうどいい場所ですわい。ただ、ネムでは今、病が流行っていてな……村におる薬師もお手上げて神に祈るばかりじゃ」
「まあ……それは大変ですね」
村の広場に案内されると、確かに子供や老人が横になり、苦しそうにしている。私は思わず胸が痛んだ。
「これは何かせねば……」
実は、私は少しだけ回復魔法を使えるのだ。未来の王太子妃としての教育を受けた際に、おまけ程度に学んだものだが、頭痛や風邪を癒す程度なら可能だった。
「すみません、失礼しますね」
私は最も苦しそうな少年にそっと手をかざし、回復魔法を唱えた。白くやわらかな光が少年の体をキラキラと包み込むと、先ほどまでの苦しそうな顔が嘘のように穏やかになった。
「……お嬢さん、これは……」
「ああ、少しだけ回復魔法を使えるんです」
「聖女様じゃ……!」
次の瞬間、村人たちが一斉に私の前にひざまずいた。
「は?」
「まさか、こんな村に聖女様が来てくださるとは……」
「ありがたや、ありがたや……!」
いやいや、私はただの回復魔法を使っただけなのですが。
「えっと、私は聖女ではなくてですね……」
「聖女様、他の者たちもどうかお願いします!」
私の言葉は一切届かず、気づけば村人全員の病を癒すことになっていた。
「やっぱり、すごい人だったんですね」
数日後、村は平和を取り戻し、私もそろそろ出発しようと荷造りをしていた。
「ええと、すごい人ではなくて、ただの通りすがりの貴族令嬢ですよ?」
「いいえ、聖女様です!」
頑なに「聖女様」と呼び続ける村人たちに少し困惑しつつも、私は旅を再開することにした。




