第二十六話 決死の脱出
「がはっ、黒沢ぁ……この卑怯者があ!」
俺が懐に忍ばせていた拳銃を撃つと、コウキが罵倒してきた。
腹に三発も撃ち込んだのに元気なやつだ。ゾンビよりも頑丈なのではないか。
「人質とったやつに言われたくねえよ」
俺はお返しだと言わんばかりに、コウキの顔面に蹴りを入れた。
さすがにこの状態だと楽に当たるな。
コウキの鼻がグニャリと曲がり、おびただしい量の鼻血が出ている。
履いていた安全靴の効果も相まって、われながら想像以上に良い蹴りをお見舞いできた。
「コウキくん!?」
コウキの取り巻きがその光景に気を取られた刹那、サキが動いた。
包丁を投げナイフのように投擲すると、柵に繋がれていたゾンビの額に命中させたのだ。人間業とは思えなかった。
「なっ!?」
取り巻きから驚きの声が上がった時には既に百瀬先生が接近しており、刀で二人を斬り倒して事態は収拾した。まったく頼りになる仲間たちだ。
「形勢逆転だな」
俺は蹴りを食らって仰向けに倒れていたコウキに向かって呟いた。
しかし、コウキは薄ら笑いを浮かべていた。
ショックで頭がおかしくなったのだろうか。
「へへっ、それはどうかな」
そして手にした携帯を操作すると、下から派手な爆発音が聞こえてきた。
「今何をした……?」
「ビルの入口を爆破してやったんだよ! これでてめえらも道連れだ!」
「嘘だろ、おい」
俺は柵から恐る恐る下の様子を窺った。入り口のドアが粉々に吹き飛んでいる……。こいつ爆弾を仕掛けていやがったのか。
「おぉぉぉおおおぉおおおおおお」「おぉぉぉおおおぉおおおおおお」「おぉぉぉおおおぉおおおおおお」「おぉぉぉおおおぉおおおおおお」「おぉぉぉおおおぉおおおおおお」「ぉぉおおおぉおおお」
直後に地鳴りのような唸り声と共に、爆発音を聞いたゾンビ共がビルの中へ大挙してきた。今この瞬間にも遠くから続々と集まってきている。
数十、いや数百。野外ライブかよ。
俺の城を襲ってきた時よりも圧倒的な数だった。
「やべえ! こいつはやべえ!」
興奮した俺は再び小さな子供のように飛び跳ねた。
「ひゃっはっは! せっかくの希望が潰えて残念だったなあ! これでてめえらも終わりだ! ざまあみやがれ!」
コウキが高笑いした。
思い通りに事が運べて愉快でたまらないといった様子だ。
「うるせぇな!」
「ぐっ!?」
俺はコウキの顔に追撃のサッカーボールキックをプレゼントした。
せっかくの高揚感に水を差しやがって。
「すぐ弟に会わせてやるから楽しみにしとけ」
いいかげんウンザリした俺は、倒れているコウキの襟首を掴むと、屋上の柵まで引きずった。
「てめえ何しやがる!? ……まさかッ!?」
「そのまさかのことをやると思う」
さすがに悪党だけあって人の悪意には敏感らしい。
コウキの顔に怯えの色が広がった。
「離せコラァ! くそがっ、なんて馬鹿力だ!?」
「俺はベンチプレスで百四十キロを上げる。百十キロ程度の人間なら楽勝だ」
体格差があっただけに正面からの殴り合いでは分が悪かったが、単純な腕力や握力だけなら引けを取らない自信はある。
そして俺は必死に抵抗するコウキを強引に持ち上げると、下にいるゾンビの大群目掛けて勢いよく投げ落としてやった。
「黒沢ぁあぁぁぁぁあああああ! てんめええええぇぇぇええええええええぇえぇえええええええええええええええええええええええええええええーーーッッッ!」
喚き声が聞こえてきた直後にドスン、と小気味良い音がしてコウキが地面に激突した。
「驚いたな。まだ生きてるじゃないか」
俺は下を覗き込んで感嘆した。
いやはや大したものだ。
さすがに格闘家として鍛えているだけのことはある。
そう。銃弾を三発撃ち込まれ、四階の屋上から下まで落とされてもコウキはまだ生きていた。しかし、ここで死ねなかったのは不幸としか言いようがない。
すぐにゾンビ共がコウキに群がっていった。
「ぐあぁっぁあぁああああああああああああああ! 痛ぇ! 痛え! 痛ぇよ! クソがぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
ゾンビ共が悲鳴を上げるコウキを貪り喰っている。
生きたまま腹を突き破られ、腸を引きずり出されて喰われるのは地獄の苦しみだろう。
「くそがぁぁあああああ黒沢ぁ! 殺してやる! 絶対に殺してやっからなぁ! ぁぁあああああああああああああああああああああああ!」
尚もコウキが喚いている。
この状況でどうやって俺を殺すというのだろうか。
どこぞの山犬みたいに怨念で首だけになって飛んでこない限りは不可能だ。
「すげえ……」
ゾンビ共がコウキの肉を夢中で咀嚼している。
考えてみれば実際に人がゾンビに喰われている姿を見るのはこれが初めてだった。
映画や漫画、ニュースの映像などで見た光景とは迫力も臨場感もまるで違う。
不謹慎な話ではあるが、コウキの肉を喰い散らかしているゾンビ共を見て、俺は今確かにこの終末世界で生きているのだという、生の実感が湧いてきた。
「……もう喰い終わったのかよ」
百キロ以上ある身体はさぞ食べ応えがあるだろうと思ったが、あっという間にコウキの姿は見えなくなった。
予想以上に不味いな。いや、味の話ではなくて状況がだ。
いくら愚鈍なゾンビ共とはいえ遠からず屋上までやってくる。
避難するために隣の建物に飛び移ろうにも高さ的に無理があるだろう。
かくなる上は……。
「百瀬先生! 急いでここから脱出しましょう! 裏側は手薄なんでこれを使って皆と降りてください!」
俺はリュックサックの中に入れていたロープを取り出すと、柵にふた結びでガッチリと括り付けた。
入り口のドアがある正面側はご覧の通り大盛況だが、裏手ならまだ希望はある。そしてアンビシャスの連中が乗っていた黒のワゴンもそこに停まっているのだ。
コウキの取り巻きの死体を探ると予想通り車のキーがあった。
「お前はどうする気だ?」
「ビルの中で時間を稼ぎます!」
俺はキーを渡しながら宣言した。
命綱なしで一人ずつ壁を伝って下へ降りるには相当な時間がかかるだろう。
百瀬先生やサキならともかく、浜崎と川中には厳しそうだ。
少しでも多くの時間を確保しておきたかった。
「そんな危険なことは容認できない。また私に生徒を見殺しにしろと言うのか?」
「俺は死ぬつもりはありません! 頃合いを見て引き上げますから大丈夫です! 遅かったら先に車で逃げてもらっても結構ですよ! 俺は必ず生き延びますし、後からでも合流できる自信はありますので!」
そう捲し立てると、俺は返事も聞かずに屋上のドアの中へと走り、内側から鍵を閉めた。
こうでもしないと優しいあの人は動いてくれないだろう。
さて、食後のデザートにしては重たすぎる食い物だが、せいぜい堪能させてもらうとしようか。
俺がダッシュで階段を駆け下りていくと、ちょうど先頭集団が二階から三階へ上ってくる姿が見えた。
最悪ここを突破されても屋上へと続く四階だけは何としてでも死守しなければならない。
先頭の一体に蹴りを入れて転倒させると、連鎖的に何体かは階段を転げ落ちていった。
(今のうちに……)
俺はテナントとして入っていた飲食店から長机を持ち運び、急いで階段の上に横倒しで設置した。
そして再び上がってきた連中に椅子を投げつけ、同じ要領で階段から落とした。
(リーチのある武器があれば楽しいことになったんだがな……)
手持ちの鉈ではどうしても接近戦になる。
余裕を持っての戦いというわけにはいかないだろう。
ゾンビ共は落としても落としても上ってくる。何せ数が桁違いなのだ。
いよいよ俺も終わりかもな……。
いくら殺したところで、その屍を乗り越えた奴らがまたやってきてキリがない。
地形的に有利とはいえ、数の力で圧倒されそうになった。
(さすがにこれはヤバいだろ)
(さすがにこれは死んだだろ)
(さすがにこれは確定で死ぬだろ)
後ろ向きな思考ばかりが浮かんでくる。
死ぬつもりはないだなんて、らしくない嘘をついたものだ。
いや、嘘ではないのだが、時間稼ぎを申し出た時点で死ぬ覚悟はしてきた。
この大群を相手にして無事を確信できるほど自惚れてはいないのだ。
まったく、今まで自分のことしか考えて生きてこなかった俺が、誰かのために戦っているだなんて何の冗談だろうか。
誰かのためだなんてお題目は大嫌いだったはずだ。
少し前までの俺が知ったら、ソファで笑い転げていただろう。
結局、あいつらの前ではなかなか素直になれなかったな。
まぁ、最近は多少素直になれた気もするが、本心だけは最後まで打ち明けることができなかった。
あいつらに頼りにされて本当は嬉しかっただなんて言えるかよ。
今まで誰からも必要とされていなかった俺が、存在を認められて嬉しかっただなんて死んでも言えるかよ。
この気持ちだけは墓場まで持って行く。
そして、ここが俺の墓場だ。
「いらっしゃいませぇぇぇぇええええぇえええええええええーーーッッ!」
俺は咆哮すると、鉈でゾンビの頭をかち割った。
余計なことは考えるな。感覚を研ぎ澄まして集中しろ。
今は一分一秒でも多く時間を稼ぐのだ。
しかし、ここで意外な人物がやってきた。
「鍵は閉めたはずだが?」
「百瀬がピッキングしたんだよ」
「空き巣か何かかあの人は」
「かもな。だが、おかげで間に合った」
サキだった。
いつもの包丁を携えたサキが俺に近づいてきた。
「助けなんて頼んだ覚えはないぞ」
この期に及んで俺は強がった。
本音を言えば猫の手も借りたいぐらいだったのだが。
「アタシの勝手でやってることだ。お前には命を救われた借りもあるからな」
「そうか。なら好きにしてくれ」
「ああ、好きにさせてもらうさ」
初対面で近づくなと言っていたサキが自分から近づいてくるのは感慨深いものがあった。
「最初に会った時は『アタシに近づくな』なんて言ってなかったか?」
「アタシから近づいてるんだから問題ないだろ」
「どういう理屈だ」
俺は苦笑しつつ、サキと一緒に並んだ。
眼前には大量のゾンビがひしめき合っている。
絶体絶命の危機と言えるだろう。
「生きよう、誠也」
「おう」
不思議だ……。
こんな絶望的な状況だというのに、負ける気がしなかった。




