第二十二話 こんがり焼けました
十月二十七日午後九時。
俺は自室でストレッチをしていた。
結局あの後は調子の出てきた百瀬先生による稀代のクソ映画三本立てを味わわされた。
休養日だというのに、いつも以上に疲れた気がする。
だがまぁ、あいつらと過ごすのは悪くはない時間だった。
……いや、ちょっと待て。
俺は今悪くないと思ったのか?
俺としたことが、あいつらに気を許し始めているのだろうか。しかし、あいつらが存外に使えるのも事実だ。
あの調子で働いてくれるなら、その功績を認めて『ひきこもり王国』の臣下にしてやってもいいかもしれない。
そうだ、近隣のゾンビの数も減ってきたことだし、外の通路を塞いで領土を拡大するというのはどうだ?
もちろん手広くやれば危険は増えるが、それぞれが家を持てば俺の精神的疲労だって軽減されるだろう。やってみる価値はあるかもしれない。
しかし、そんな俺のささやかな希望はすぐに打ち崩されることになった。
日常が崩壊する足音はすぐ目の前にまで迫っていたのだ。
その日の夜に俺は悪夢を見た。
殺したはずのシンヤ君に殴り殺される夢だ。
半グレ集団『アンビシャス』を率いるシンヤ君の体格は一回り大きくなっていた。
加虐的なシンヤ君は俺を執拗に殴りつけている。
なぜか百瀬先生とサキが近くにいて俺の名を呼んでいた。俺も力の限り抵抗したのだが、結局最後はやられてしまった。
十月二十七日午後十一時三十分。
(最悪の目覚めだな……)
俺は喉の乾きを覚えながら起き上がった。
こんな夢を見るとは相当疲れが溜まっていたのかもしれない。寝汗もびっしょりだ。気のせいか周囲から熱気まで感じる。
秋も深まってきたというのに、どういうことなのだろうか。よほど夢の戦いが白熱していたのかもしれない。
「黒沢ァァァァァアア! 火事だああああああ!」
程なくして、血相を変えた浜崎が俺の部屋に飛び込んできた。
「夢の続きか……」
俺は布団を被って寝直そうとした。
何で夢の中まで浜崎の馬鹿面を見なければならないのだ。
「寝るな! 外を見ろ外を!」
浜崎に促されて俺は窓から外を見た。
「……嘘だろ、おい」
俺は目の前のあまりにも現実味のない光景が信じられなかった。
庭が燃えている。
いや、庭だけではない。
倉庫も既に燃え盛る炎に包まれていた。
「もう一階もやべえ! 早く逃げっぞ!」
浜崎に言われて考えるよりも先に身体が動いた。
せめてこれだけは……。
俺は緊急用の物資が詰まったリュックサックと、武器用の鉈を持って部屋を飛び出した。
「黒沢くん! 何が起きたの!?」
廊下には皆が集まっていた。
「火事だということ以外は分からん! とにかく今は煙で動けなくなる前に脱出するぞ!」
俺たちは煙が昇ってくる前に屋上へ辿り着き、急いで扉を閉めた。
これでしばらく持つだろうと思いきや、既に庭が派手に燃えていたこともあってか建物の周囲には煙が立ち込めていた。
(これはモタモタしている余裕はないな……)
落ち着け。一人で何度もやった避難訓練を思い出せ。
俺は屋上に備えて付けてあったハシゴを外の壁に向かって設置した。
「浜崎! 川中! 先に行け! 視界が悪くても慎重にハシゴを降りれば壁の上に辿り着く。外に飛び降りる時に有刺鉄線には気をつけろよ!」
「わ、分かった!」
ハシゴの強度と安全面を考慮すれば同時に移動できるのはせいぜい二人が限度だろう。
浜崎と川中は慎重にハシゴを降りて行った。良いペースだ。この調子なら……よし、壁に到達して外の地面へ飛び降りる音が聞こえてきた。
「さぁ次は三崎と百瀬先生の番です!」
だが、その時、
「うわぁぁぁぁぁああああああああ!」
外から浜崎と川中の悲鳴が聞こえてきた。
「どうした! 何が起きた!?」
返事がない。
ゾンビにやられたのだろうか。
いや、直後に走り去る車の音が聞こえてきた。
ということは人間の仕業か。
すぐに百瀬先生と、サキと化した三崎がハシゴを使わず壁の上に飛び降りた。
アメコミのヒーローか、あんたらは。
だが、そのおかげで最後に残された俺も煙でやられることなく迅速にハシゴを利用することができた。
そして外に飛び降りると、手で自分の頭を押さえた浜崎が地面にしゃがみ込んでいた。
少し血が出ている。
誰かに頭を殴りつけられたのだろうか。
「葉月が! 葉月が攫われちまった!」
「誰にだ?」
「アンビシャスの連中だよ! あいつら他に生き残りがいやがったんだ!」
「アンビシャス……」
ちょうど三日前にここを襲撃してきた半グレ集団だ。
俺もついさっき夢に出てきたばかりだし、ゲームのプレイヤー名にも使用したくらいだから存在を忘れていたわけではない。だが、この数日は修繕作業に注力するあまり警戒を怠っていたのは事実だ。
まさか襲撃から三日も経った今、それも外が危険な夜間に再び襲ってくるなんて予想ができなかった。
「ちくしょう! 葉月を助けにいかねぇと! なぁ黒沢……黒沢?」
だが、俺が機敏に動けたのはここまでだった。
「燃える……。燃える……。俺の城が燃えている……」
俺は燃えゆく城を眺めながら呆然と立ち尽くしていた。
五年もかけて用意した俺の全てが炎に包まれている。
なぜこうなってしまったのだろうか。
一体どこでケチがついた?
シンヤ君たちが襲撃してきたから?
シンヤ君たちを容赦なく殺したから?
それともこいつらを俺の城に引き入れたから?
いや、違う。もっと前だ。
始まりは俺が作業を急くあまり外で迂闊に姿を見られてしまったことに違いない。
あの時に俺を見たオッサンがアンビシャスの連中に捕まって口を割り、生存者を遊び半分で狩っていたシンヤ君たちが襲撃してきた。
そしてシンヤ君たちを返り討ちにしたものだから、それを何らかの方法で知ったアンビシャスの残党が再び襲撃してきて城を燃やされてしまったのだ。
ああ何ということだ。俺は全てを理解した。全ては繋がっている。あなたは一人ではありません。世界は人と人との優しい繋がりの輪でできています……って知るかボケ!
「おい黒沢……?」
「ちくしょう俺の国が! 俺の城がぁああああああああああ!」
俺は地面に崩れ落ちて咽び泣いた。
五年間苦楽を共にした筋トレグッズたち。ごめんなあ。熱かったなあ。
俺に使用してもらいたくてウズウズしていた得物たち。使ってあげられなくてごめんなあ。俺に食べてもらえるのを今か今かと待っていた野菜たち。食べてあげられなくてごめんなあ。
それだけじゃない。
水、食料、備品。
俺が収集してきた物の全てが灼熱の炎にその身を焦がされているのだ。
「ごめんなあ……ごめんなあ」
火災で失われた物たちに対して俺は泣きながら謝罪を繰り返した。
「ダメだ、唯一のアイデンティティを失ってメンタルが崩壊してやがる」
浜崎が冷静な口調で言った。
こいつにしては意外と難しい言葉を知っている。
そして浜崎らしからぬ分析力に少し落ち着きを取り戻した俺が顔を上げると、今度は百瀬先生が俺の肩を掴んだ。
「しっかりしろ黒沢。われわれはまだ生きている」
「確かに生きてますけどぉ! 俺の! 俺の城が」
気軽に言ってくれる。
俺がこの理想的な王国を作り上げるまでに、一体どれほどの歳月と労力を費やしたと思っているのだ。五年だぞ、五年。
今日でパンデミックの発生から一週間。
五年もかけて準備した物がたったの一週間で……。
「……まぁ、元気出せよデブ」
尋常ではない雰囲気を察したのか、あのサキまでもが俺を励ました。
こんな状況でさえなければ感動していたところだ。
「黒沢ァ。気持ちはわかるけどよ、今は葉月を助けにいかねぇと……頼むからおめぇも力を貸してくれよ」
「もう無理だ。動けない」
俺は情けなく地面にへたり込んだ。
一歩たりとも動ける気がしないし、動きたくもなかった。
「はぁ!? 無理っておめぇ……」
「ごめんなさい。もうだめなの。放っておいて」
若干オネエ口調になった俺が力なく呟いた。
火災のショックが強すぎたのだろう。
「浜崎、道具を貸せ。このデブ殺す」
イライラしたと見えるサキが浜崎の持っていたバットを強引に奪うと、地面にへたり込んでいる俺を目掛けて振り上げた。
「おう、殺せ殺せ。殺してくれや!」
俺は笑いながら両手を広げて受け入れる姿勢を示した。
もうたくさんだ。終わりにしてもらいたかった。しかし……。
「やめろ! おい黒沢ァ!」
サキを制止した浜崎が今度は俺の胸倉を掴んだ。
「浜崎。お前、泣いてるのか……?」
浜崎は泣いていた。
泣きながら力強く俺の胸倉を掴んでいる。
「うるせぇ! おめぇのせいだろうが! オレは今でもおめぇのこと最低最悪のクズだと思ってっし、はっきり言ってクソ気に食わねえ! けどな! 家が燃えたぐらいで腑抜けてるおめぇの姿なんて見たくねえんだよ! おめぇはもっと偉そうで自分勝手で、ゾンビのことになると活き活きする気持ちの悪い変態だろうが! 何を人間らしく落ち込んでんだよ! なぁ、頼む……。葉月を助けてくれ……」
無茶苦茶な言い分だった。大体、それが人に物を頼む態度なのか。だが、そんな浜崎の飾り気のない言葉は意外なほど強く俺の心に浸透してきた。
親友の真島を失い、その上で彼女の川中まで失ったら浜崎は立ち直れなくなるだろう。
本来ならこいつが廃人になろうと再起不能になろうと知ったことではないのだが、不思議と俺はこれ以上こいつが悲しむ顔を見たくないと思ってしまった。
俺としたことが、こいつらと多少の交流をしたことで情が移ってしまったのだろうか。
「……分かったよ。まったく、うるさいやつだな」
「黒沢……?」
俺も焼きが回ったものだ。
少し前までならそんな頼みなど一蹴していただろうに、すっかり弱くなってしまった。
いや……違うな。最初から俺は弱かった。
ずっと虚勢を張って生きてきたのだ。
弱いから、身体を鍛えて強くなろうとした。
怖いから、情報を集めて対抗しようとした。
不安だから、食料を備蓄して武器も集めた。
臆病だから、外にも心にも壁を作って身を守ろうとした。
卑屈だから、ゲンやジンクスを言い訳にこいつらを受け入れた。
自称最強のひきこもり黒沢誠也は虚飾に彩られた存在だったのだ。
だから身を守ってくれる城が崩れ落ちた俺は今こんなにも脆い……。
しかし、なぜだろうか。
俺は自分の弱さを認めた途端、これまでよりも強くなれた気がした。
「川中を助けに行くぞ」
浜崎、お前の言う通りだ。
この程度で腑抜けるなんて俺らしくない。
今は俺の城を壊しやがった連中を破壊してやりたい気分だ。
これは決して浜崎や川中のためなどではない。ただの私怨だ。
奴らを全身全霊で情け容赦なく徹底的にぶちのめしてやる。




