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ゾンビvs.ひきこもり  作者: 春雨 蛙
第三章 ひきこもり王国の異変
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第二十話 断水と悲報

 十月二十六日午後三時。


 外の死体をようやく片付けた俺たちはリビングで休憩していた。

 浜崎は作業中にまたしても嘔吐を繰り返し、今はソファでぐったりしている。軟弱なやつだ。

 見かねた三崎がお茶を淹れてくれようとしたのだが、ここで異変が起きた。


「あ、あの、黒沢君。お水が止まっちゃった」


 三崎がおずおずと伝えてきた。

 水道局から水の供給がストップしたということだろうか。


 そろそろ来る頃だろうとは思っていた。想定内のことだ。


「大丈夫。水なら売るほどあるからな」


「あの、お手洗いとかどうすれば……」


 なるほど、そこまでは俺も考えていなかった。

 まったく何も考えていなかったわけではないが、それは俺が一人に限った場合の話だ。


 どうするつもりなのかというと、バケツにでも投下した後で全部貴重な有機肥料として菜園に撒く気でいた。そして不測の事態でいよいよ家から出られなくなるまで追い詰められた際には、食糞飲尿のめくるめく永久機関を立ち上げることまで考えていた。


 そのことをこいつらに話そうかとも思ったが、これまでの経験からどんな反応が返ってくるのか大体予想ができたので押し黙ることにした。おそらく、これが空気を読むということなのだろう。


「じゃあ袋にして外に投げればいいんじゃねぇか?」と、浜崎が言った。


 ここは中世ヨーロッパか。


「外に投げるということは、それだけ生存の痕跡を残すということになる。敵意のある生存者に悟られた場合、襲撃される可能性も高まるぞ」


 俺が指摘すると、なるほどなぁ、と浜崎は呆けたような顔で頷いた。

 こいつも頭の程度は不登校の俺とそう変わらないらしい。


「この家には災害用の携帯トイレがあっただろう。しばらくはそれで持つはずだ」


 今まで黙って話を聞いていた百瀬先生が口を開いた。

 何で百瀬先生は俺の家の備品に詳しいのだろうか。本職は空き巣か何かですか。


 確かに俺のゾンビに向ける情熱ほどではないにしろ、家族の防災意識は高く、倉庫にはそういったグッズが大量に眠っている。ついに有効活用できる日が来たわけだ。


「なるほど。さすがは年の功ですな」


 思わず口が滑った俺の頭を百瀬先生が無言で殴りつけた。

 倫理の教師が生徒に手を上げていいのか、おい。


「みんな聞いてくれ。悲しい報せだ」


 俺を殴りつけた百瀬先生の手が微かに震えていた。俺の石頭で痛めたわけではないのは確かだ。

 断水以上の悲報があるというのか。

 その場にいた者たちに緊張が走った。


「避難所の宝田デパートが壊滅した」


「え……。確かなんですか?」


 俺は思わず訊き返した。


「ああ。ラジオの放送でそう聞いたよ。避難している知人に何度か連絡を取ろうとしたが、繋がらなかった」


「そ、そんな……」


 半泣きになった三崎が項垂れた。

 先生やクラスメイトの希望が断たれたのだ。


 壁の修繕と死体処理を終え、川中も快方に向かって明日には避難所に出立できるだろうというタイミングでの絶望の報せだった。


 十月二十六日午後九時。


「先生。今よろしいですか?」


 俺は百瀬先生の寝室をノックした。


「黒沢か。入っていいぞ」


「失礼します」


 先生はベッドに腰掛けて酒を飲んでいた。

 あまり強くないのだから程々にしておいた方がいいだろうに。


「今度はちゃんとノックできたような」


 一度うっかり着替え姿を覗いてしまった時のことを言っているのだろう。

 あれは本当に不慮の事故だった。あの刺激的な光景は今でも必死に心のフィルムに焼き付けているが。


「あの時は誰もいないと思ってましたんで……」


「そうだったな。それで、何の用だ?」


「今後の方針などを改めて打ち合わせしておこうかと……」


 というのは建前で、本音は百瀬先生の様子が変だったから見にきたのだ。

 あまり表情には出ない人だが、最近少しずつ分かるようになってきた。


「そうか。夜這いにでも来たのかと思ったぞ」


「ご冗談を」


「私も女だ。冗談で片付けられると傷ついてしまうな」


「あの、もしかして泣いてました?」


 今気づいたが、目が赤くなっていた。

 酒の飲みすぎというよりは、泣いていたと捉える方が自然かもしれない。


「不躾だな。お前には遠慮というものがないのか。だが……そうだな、泣いていたよ」


「先生でも泣くことがあるんですね」


 世界最後の日でも無表情で運命を受け入れそうなイメージだったので驚いた。


「こう見えて繊細なんだ。一昨日襲撃してきた人間を殺し、真島を亡くした時も一晩中眠れなかったよ」


 それも意外だった。あまりにも淡々と手際良く殺していたので、小遣い稼ぎの副業で殺し屋でもやっていたのかと思っていたからだ。


「そういえば避難所にお知り合いがいらっしゃったんですよね。どんな方だったんですか?」


「ああ。……妹だ」


「え!? それって家族じゃないですか! 何で知人なんて言ったんスか?」


 家族愛など皆無に近い俺が言うのもなんだが、身内を知人扱いするのはいけないと思う。


「お前以外の者に打ち明ければ余計な気を揉ませてしまうと思ってな」


「先生は俺をどんだけ無神経な人間だと思ってんスか」


「すまない。他意はないんだ」


「謝られましてもね……。妹さんとは仲良かったんですか?」


 あの百瀬先生は泣くほどだ。

 さぞかし溺愛していたのかもしれない。


「いや、どちらかと言えばかなり悪かったな」


「え……?」


「私は自分で言うのもなんだが、昔から何でも器用にこなせる方でな。そのことで妹は常に両親から比較されて面白くなかったらしい。性格も正反対だからお互いほとんど口も利かなかったよ。両親を事故で亡くしてからもその関係は変わらなかったな」


 おそらく俺と姉の関係みたいなものなのだろう。それならそこまで悲しむ必要はないのではなかろうか。少なくとも俺なら祝杯を挙げるとまではいかなくても、気合を入れて万歳三唱ぐらいはするかもしれない。


「しかし、今回の騒動が起きて真っ先に考えたのは妹のことだ。それは向こうも同じだったらしい。すぐに妹から連絡がきたんだ。……嬉しかったよ」


「そうだったんですか……」


「妹に会うまでは何としてでも生き延びようと思っていた。……だが、間に合わなかった」


 百瀬先生は拳に力を入れ、悔しそうに俯いて続けた。


「私のせいだ。私がもっと早く避難所に向かっていれば妹は今頃……。生き延びるために多くを犠牲にしたというのに、私は……私は!」


 珍しく百瀬先生が語気を荒げた。


「何で先生のせいになるんですか。前から思ってたんですけど、先生は自罰的というか、ちょっと思い上がってるところがありますよね」


「何だと?」


 百瀬先生が顔を上げて俺を見た。これは怒らせてしまったかもしれない。

 俺は軽く息を吸うと、慎重に言葉を選んだ。


「こんな世界規模で起きた不可抗力の大災害を相手に、一個人の力でどうにかしようだなんて思い上がりですよ、思い上がり。その点俺は、どうしようもないことはどうしようもないと割り切ってますからね。大抵のことは人のせいにして生きてますし、俺は悪くねえの精神を地でいってますからね。少しは見習うべきです」


 言葉を選んでこれなのだが、少しは心に訴えるものがあったらしい。

 程なくして貴重な百瀬先生の笑顔が見られた。


「……ふふっ。何だその滅茶苦茶な主張は」


「お、やっと笑ってくださいましたね」


「お前がおかしなことを言うからだ。不思議なものだな……全く見習うべき要素はないはずなのに、お前が言うと妙な説得力がある」


「褒め言葉と受け取っておきます。先生は多くを犠牲にしたと仰いましたが、ちゃんと守れたものもあるじゃないですか。あいつらも先生に感謝してましたよ」


「黒沢……」


「妹さん、連絡が取れないだけでまだ死んだと決まったわけじゃないんでしょ? 逃げてる途中で携帯を落としたのかもしれませんし、生きてるといいですね」


 正直こんなに恐ろしい人がこの世に二人もいたらたまらないのだが、正反対の性格というからには容姿もあまり似ていないのかもしれない。


「ああ。お前のご家族もな」


「死んでると思いますけどねえ……」


 言われるまでこの部屋が元は両親の寝室であることすら忘れていた。

 今頃は家族仲良くゾンビの胃袋の中に収まっているだろう。


「……また滞在を長引かせることになってすまないな」


 しばらくお互い無言でベッドに腰掛けていると、百瀬先生がぽつりと言った。


「まったくですよ。まぁ、もう諦めました。今まで通り働いてくれるならそれでいいです」


 延長に次ぐ延長。

 ウンザリを通り越して俺はもう諦めの境地に達していた。

 最近は一周回って俺の愛想まで良くなってきたほどだ。


「そうか。明日からは何をするんだ?」


 百瀬先生に言われて、そういえば打ち合わせという名目でここに来たのだということを思い出した。


「そうですねえ、最近働き詰めでしたので明日はのんびり過ごしましょう。おかげさまで壁も直りましたし、当面の脅威は去りましたからね。今後は農作業を中心に家のことをやっていけたらと思ってます」


「承知した。宿泊代……今のうちに身体で払っておこうか?」


「そうですね。宿泊代は身体で……え!?」


 思考がフリーズしてしまった。

 今この人は何と言ったのだろうか。


「ふふっ。冗談だ」


「珍しいですね。心臓に悪すぎますよ」


 というか百瀬先生の冗談なんて初めて聞いたかもしれない。

 冗談は言わない人じゃなかったのか。


「……慣れないことを言うものではないな」


 百瀬先生が恥ずかしそうに再び俯いた。

 なんだろう。今夜の百瀬先生はやけに色っぽいというか、見ていると頭がクラクラする。酒で身体が火照っているのか、艶めかしい雰囲気を纏っているのだ。


「先生……?」


 百瀬先生が突然こてん、と身体を俺に預けてきた。

 艷やかな髪から良い香りが漂ってきて理性がやられてしまいそうだった。


 柔らかい……。


 落ち着け。

 確かこういう時は羊の数を数えればいいんだったかな。羊が一匹、羊が二匹……って、それは眠れない時だ。


「ちょっ、これは不味いですって! 先生! せん……あれ?」


 寝てる……。

 自由すぎるだろ。


 強くないのに飲みすぎるからこうなるのだ。しかし、このまま放置するわけにもいかない。俺は意を決して百瀬先生の身体をベッドに横たえた。


 やはり柔らかい……。

 寝ているのだから少しぐらい触ってもバレないのではないか?


 いや、ダメだ。

 面倒なことになっては困る。


 俺は自分の頭を殴りつけると、毛布を被せてその場を後にした。


 寝室のドアを閉める際に、さすがに手は出してこないか、という百瀬先生の声が微かに聞こえてきたような気がした。


 まさか狸寝入りしていたのか……。

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