第十四話 ゾンビの大群
「少しでも動いたらこの女を撃ち殺すぞ!」
男は必死だ。二つの意味で。
「く、黒沢君。たすけ、たすけて……」
目に涙を浮かべた三崎が震えながら懇願している。
「ご愁傷様です」
俺は天を仰いだ。天にまします我らの父よ、迷える三崎の心にトドメを刺し、願わくばサキ諸共葬り去ってください。オーメン。いや、アーメンだったか。
それにしても数ある人質候補の中で三崎を選んで連れてくるとは……。いや、確かに見た目は最も人質に向いていると言えるな。
壁を破壊した憎い敵とはいえ、今回ばかりはこの男に同情した。この調子だと三崎からサキになるのも時間の問題だろう。
「おい! こいつがどうなってもいいのか?」
どうなってもいいんだよ。
いや、やっぱりサキにだけはなってくれるな。
「黒沢君……たすけ……」
馬鹿野郎が早く撃て。間に合わなくなるぞ。
ここで突然ふと、三崎の震えが止まった。遅かったか……。
「汚い手でアタシに触るな」
出やがった。サキのお出ましだ。
「え……?」
男が不思議そうな顔で自分の腕を見つめている。
手首から先が消えてなくなっていた。
直後に銃を握ったままの右手がボトンと地面に落ちた。
「なっぁあぁぁあああああ! 手ぇええ! 手ぇええ! 俺の手があああああああああ!」
いやいや、ちょっと待て。どんな膂力だ。どうやったら包丁で人間の手首を瞬時に切断できるんだよ。
俺にはサキが包丁を取り出した瞬間さえ見えなかった。目にも留まらぬ早業とはこのことだ。
「うるさいな。自分の手で死ねよ」
サキは手首ごと銃を拾い上げると、激痛で蹲っている男の後頭部に突きつけた。
「おいよせ! そいつは生け捕りにして情報を!
俺の声を無視したサキが男の指で引き金を引くと、パァンという乾いた銃声がした。
銃弾を撃ち込まれた男はそのままスローモーションのように倒れて動かなくなった。こいつに良心の呵責というものは一切ないのだろうか。眉一つ動かさずに人を殺しやがった。
この俺でさえ、人を殺すのには抵抗があったというのに。いや、嘘じゃない。本当だ。俺だって元を正せば輝く目をした純朴な心を持つ少年だったのだ。あのゾンビ映画で人生が変わっていなければ、俺も人並の男子高校生として青春を謳歌していたかもしれない。
だからこそ殺さなければ殺されると自分に言い聞かせ、家の壁を破壊した奴らに対する怒りの炎で身を焦がすことで修羅と化すことができた。だが、こいつは違う。本当に何とも思っていないのだ。
耳元でうるさい蚊が飛んでいたから潰した。その程度の感覚なのかもしれない。
化け物だ……。
俺は改めてサキに恐怖した。
いや、違う。ビビってるわけじゃない。だが、極力こいつを刺激するのだけはよそうと思った。
「やっと静かになったか」
サキは呟くと、今朝のようにその場に崩れ落ちた。そしてすぐに三崎の人格に戻ったらしい。
「ひぃぃ!? 人が、人が死んでる!?」
驚いた三崎が目を見開いた。
いや、お前の仕業なんだけどな。
他人事みたいに言うのは良くないと思います。
「三崎。もう大丈夫だ」
死体を見て震える三崎をすかさず百瀬先生が介抱した。
こういうところは教師だなと俺は呑気に思った。
「黒沢くん! 今の音は!?」
程なくして川中、浜崎、真島の三人が玄関から出てきた。
「ああ。何でもない」
「何でもないって……人が死んでるじゃない。黒沢君が殺したの?」
川中が非難がましい目を向けてきた。
浜崎は死体を見るなり吐いたようだ。
「俺じゃねえ! いや俺も殺ったけどこいつは違うというか……まぁそんなことはいい。お前ら何してたんだ?」
三人もいながら三崎が連れ去られるのをただ黙って見ていただけだというのか。
「ごめん。銃で脅されて動けなかった」
真島が申し訳無さそうに肩を落とした。
「屋上にいたなら侵入するところも見えてただろ。何で知らせなかった?」
「戦ってるとこを邪魔したら迷惑かなと思って……」
「そうか。まぁいい」
何はともあれ侵入者たちの脅威は去ったのだから良しとしよう。次は感染者たちの問題が差し迫っている。こればかりは総出で対処しないと全滅しかねない。
「黒沢ァ。すまねえ。オレがついていながら……」
嘔吐した口元を拭いながら浜崎が謝ってきた。
「気にするな。最初からお前には何も期待していない」
俺は必要以上に落ち込んでいる浜崎の士気を高めようとして言った。
「気にするわ! おめぇ何だよその言い方は!?」
突っかかってくる浜崎を無視して俺は続けた。
「すぐにゾンビ共が来るはずだ。とりあえず壁の穴を何とかするぞ」
あの爆発音で今まで集まって来なかったのは奇跡と言っていい。それとも周囲の感染者は意外と少ないのだろうか。だったら良いのだが。
しかし、そんな俺の希望的観測は間もなく打ち消されることとなった。
「ぉぉぉぉ……」「ぉぉぉぉ……」「ぉぉぉぉ……」
壁の向こうから低い唸り声が聞こえてくる。一つや二つじゃないぞこれは。
俺はすぐに状況を確かめるべく壁の上に登った。
おや、これはこれは……。
ご町内の皆様お集まりですか。俺は笑い声を上げた。
穴の空いた壁がある方向にゾンビ共が群れを成して行進している。
何匹いやがる。十、二十、三十からは数えるのを止めた。
「やべえ! こいつはやべえ!」
俺は壁の上から庭に舞い戻ると、高揚するあまり小さな子どものようにぴょんぴょんと跳躍を繰り返した。
「黒沢ァ。おめぇ何でそんなにテンション上がってんだよ……」
引き攣った顔で浜崎が言った。浜崎に言われて初めて自覚したが、確かに俺は今浮かれている。
なぜだろうか。絶体絶命のピンチだというのに、ワクワクが止まらない。
ひきこもり王国の平和を守りたいという気持ちとは裏腹に、まるでこの時を待ち望んでいたかのような……。こんなに興奮したのはいつ以来だろうか。
「大量に来てる! やっべ! マジやっべ! 百瀬先生! バイク動かせます!?」
「ああ」
「ひとまず壁の内側に横付けして塞ぎましょう!」
この程度は気休めにしかならない。すぐに数の力で押し倒されてしまうだろう。
だが、何もないよりはマシだ。バイクを何台か横付けして簡易的なバリケードにしよう。
俺たちは手早く瓦礫をどかしてバイクを移動させた。
そして猛ダッシュで倉庫に向かうと、俺は各自に道具を手渡した。
「総力戦だ。百瀬先生はピッチフォークでバリケード越しに奴らを突き刺してください。真島は壁の上に登ってクロスボウで手当たり次第に射ち殺せ。川中は支援係だ。真島の矢の予備や使えそうな武器を俺の部屋から取ってきてくれ。三崎は……その辺で震えてろ」
「黒沢ァ。俺は?」
先程の失態を挽回したいのだろう。
浜崎は自分にできることはないかと指示を仰いできた。
「お前にはとっておきの得物を渡してやる」
「うげ! なんだこれ!?」
俺が用意した物を見て浜崎はたじろいだ。
「芝刈り機だ。浜崎、俺は正直お前が羨ましい。この夢の道具を俺より先に使えるんだからな」
「いやいやいや! やべぇだろコレ!?」
俺がセルを回してエンジンを始動させると、ビィィィィンという心地の良い音が鳴り響いた。
芝刈り機に多いカートを押して進むタイプではなく、どちらかと言えば草刈り機に近い形状だ。
「ゴーグルとマスクにレインコートも支給してやる。扱いにはくれぐれも注意しろよ。しっかり持って刃先を奴らにズラされないようにしろ」
「くそっ、わかったよ! やってやる! うぉぉぉおおおお!」
浜崎は芝刈り機を受け取ると咆哮した。馬鹿なりに覚悟を決めたらしい。
「百瀬先生。ある程度片付いたらここに来るのに乗ってきた車を壁の横につけてください。車で外側から穴を塞いでもらいます!」
「承知した」
ここで先頭集団の姿が見えてきた。
「来たぞ! あの腐った死体共を一匹たりとも敷地内に入れるな!」
「黒沢ァ。お前はどうすんだよ!?」
「俺は壁の上から外に出て挟撃する!」
「とか言って逃げんじゃねえだろうなぁ!?」
「誰が自分の城を置いて逃げるかよ。そら早く行け! 突撃ぃぃぃいいいいいい!」
「ちっくしょおおおおおおおおおお!」
浜崎が半泣きになりながら百瀬先生と共に前線へと向かった。
さっそくバイクの向こうで蠢いているゾンビ共をズタズタに切り裂いて、返り血のシャワーを浴びている。気持ち良さそうで羨ましかった。
「真島も頼んだぞ。悔しいがお前のクロスボウの腕前は目を見張るものがある」
「うん! 黒沢君も気をつけてね!」
真島が壁の上に登ると、俺も速やかに移動を開始した。
右手に手斧。左手に盾。
自分の装備を見て、まるで北欧のバイキングだなと苦笑した。
鉈は昨日のゾンビ戦や先程の戦いにも使用したので、切れ味は万全とは言い難い。今回は断腸の思いで見送ることにした。状況が落ち着いたら研ぎ直す必要があるだろう。
「どうやらここが最後尾のようだな」
俺は壁の上から外へと静かに降り立った。ゾンビの群れは壁の穴に向かって行進しているので、こちらの存在には気づいていない。
なぜこんな危険な真似をしようとしているのか。あいつらと共に庭で防衛しても良かったはずだ。
俺ともあろうものが包丁一本でゾンビを数十体倒したというサキに対抗心を燃やしているのだろうか。まぁ、余計なことをごちゃごちゃと考える必要はない。要するに目の前で動いてる奴らを全てぶっ壊せばいいのだ。
さっきの連中との戦いでようやく少し身体が温まってきたところだ。まだまだ暴れ足りなかった。
「祭りの時間だぁぁぁあああ!」
俺は嬉々として後ろからゾンビの群れに斬りかかっていった。
「ぁッ!?」
「もう一回死んどけ!」
手斧を振り下ろして一匹目の頭をかち割り、背中に蹴りを入れて素早く引き抜く。まずは一つ。この一撃で俺の存在に気づいたゾンビ共が一斉に振り返った。
「キタキタキター!」
二つ! 三つ! 四つ!
俺は立て続けにゾンビの頭をかち割り一旦距離を取った。俺の後方にゾンビ共は来ていないので、場所は贅沢に使える。動きを止めて囲まれるのだけは避けたい。
「ぁぁぁぁ……」
おや、これはこれは。見知った顔がいるぞ。
こいつは近所に住んでるスピーカーババアだ。
人の噂話が三度の飯より好物で、俺が部屋にひきこもるようになってからは散々悪評をバラ撒いてくれたものだ。
昼に窓を開けていると、外の井戸端会議を何度聞かされたか分からない。
『ねえ聞きました? 黒沢さん家の誠也くん、ずっとお部屋から出ていないんですって!』
『んまあ、怖いわねえ。ひきこもりってアレでしょ? 最近ニュースでよくやってる』
『そうそう。何するか分からないのよね!』
『怖いわねえー』
「ババア! おかげで外に出られたぞ!」
俺がフルスイングで手斧をスピーカーババアに叩き込むと、顔面の上半分が分離してしまった。
予想以上に力が入ったかもしれない。七つ! 八つ! 九つ!
その後も俺は快調に手斧を叩き込んでいった。鉈も良いが、手斧も捨てたものではないな。さて、あいつらは上手くやっているだろうか。
ゾンビ共の唸り声で聞き取りにくいが、耳を済ませると芝刈り機の音と雄叫びが微かに伝わってくる。元気に頑張っているらしい。こっちも負けていられないな。
十四! 十五! 十六!
囲まれそうになると盾の攻撃や蹴りで距離を取り、一体ずつ正確に潰していく。調子が出てきた。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。
しかし、ここで壁の上から誰かが飛び降りてきた。
「何だ!?」
三崎……いや、サキだった。
手にはシンヤ君の遺品である日本刀を持っている。
「こいつらは全部お前が殺ったのか?」
地面に大量に転がっているゾンビを一瞥しながらサキが意外そうに言った。
「あぁ? 他に誰がいるんだよ」
「……へぇ。このデブなかなか使えるな」
サキが感心したように呟いた。
喜ぶべきなのか嘆くべきなのか迷うところだ。
「何しに来た?」
「暇潰しに加勢に来ただけだが、必要なさそうだな」
そう言うなり、サキは刀身をパチンと鞘に収めて帰り支度を始めた。
「帰ろうとしてんじゃねえよ! せっかくだから遊んでいけや!」
「何?」
平時であればこんな危ない奴とは口も利きたくないのだが、アドレナリンがドバドバと過剰に分泌されているのか、俺はつい軽口を叩いてしまった。
「包丁一本でゾンビを何十体も倒したんだってな? 正確には何体倒したんだ?」
「……そんなもん覚えてねぇよ」
「そうか。俺は今の時点で十六体倒した。このペースでいけばお前の記録なんてあっさり抜けるかもな?」
「いちいち数えてんのかよ。気持ち悪いな」
なかなか傷つくことを言ってくれる。
だが、ハイになっている俺はその程度では退かなかった。
「何体倒せるか勝負しようぜ?」
「馬鹿らしい」
サキが背を向けて帰ろうとした。
「ほぅ、記録を抜かれるのが怖いと見える。サキちゃんビビリ、と」
「おいデブ。それで挑発してるつもりか?」
「分かった。俺が悪かったよ。早くお庭に戻って震えてな」
「……まぁいい。退屈凌ぎに乗ってやるよ」
そう言うと、サキは再び刀を抜いた。シンヤ君とは比較にならないほど堂に入った構えだ。俺はゾクゾクした。お手並み拝見ということではないか。
「なっ!?」
しかし、最初の一太刀を見て俺は勝負を持ちかけたことを後悔した。
一撃で同時に三体のゾンビの首が飛んだのだ。そしてサキは俺が一体ずつゾンビを相手にしているのに対し、一度に複数を相手に圧倒している。ヤバい、このままでは追いつかれてしまう。
二十一! 二十二!
「おい、今何体倒した?」
俺は戦いながらサキに声をかけた。
「十三」
サキがぶっきらぼうに返してきた。
驚異的な追い上げだ。くそが。負けてたまるか!
その後はもう全身全霊で戦った。そして外に出た百瀬先生が車を移動して壁を塞ぎ終えた頃には、現場は死屍累々の地獄と化していた。
「何体倒した?」
ぜえぜえと肩で息をしながら俺は最終結果をサキに尋ねた。
「三十だ」
「やった! 俺は三十一体だ! 俺の勝ちだな!」
「馬鹿かこのデブ。同時にカウントを始めたらお前は十五体だろ」
「同時スタートなんて言ってませーん!」
「このデブ。ここで殺すか?」
しかし、時間切れなのか危機は去ったと感じたのか、サキはその場に崩れ落ちた。
完全勝利だ。いやあ、白熱した勝負だった。
さすがの俺も死闘を演じたライバルを放置するのは忍びなかったので、気絶した三崎を雑に担ぎ上げると、中から正面のシャッターを開けてもらって凱旋した。
さて、本格的な壁の修繕に死体処理。
やることは山ほどある。これから忙しくなるぞ。




