第十話 乱痴気騒ぎ
十月二十三日午後六時。
夕飯が出来上がると俺たちはリビングに集まった。入浴を済ませた者たちは俺が貸し与えた家族の服を着ている。さすがにスーツや制服姿のままでは寝辛いだろうと思ったからだ。
寝床としては百瀬先生が俺の両親の部屋。浜崎と真島が二階の空き部屋。川中と三崎が俺の姉の部屋だ。
これまで必要に迫られなかったから触れなかったが、俺には二つ上の姉がいる。いや、いたというべきか。というのも、ここ数年は一切の会話をしていない上にお互いの存在を無視していたからだ。それはもう存在していないものと認識してもいいだろう。
「皆、食事しながら聞いてほしい」
俺の母親のTシャツを着た百瀬先生が言った。どうも胸の辺りが窮屈そうで目のやり場に困ったが、本人は意に介していない様子だった。
「酒が入る前に今日知り得た情報を話しておく」
ちょっと待て。酒が入るとどうなるんだ。急に暴れ出したりしないだろうな。
俺の不安をよそに百瀬先生は続けた。
「まず目新しい情報だが、感染者に噛まれずに死亡した場合は蘇らないことが判明した」
「マジっすか……?」
浜崎が呆けたような顔で聞き返した。
俺も似たような顔をしていたと思う。
「ああ。避難所で出た病死者や自殺者で確認されたとのことだ」
死んだ奴らには悪いが、それは朗報だ。これでいちいち死体を気に掛ける必要はなくなった。同時に死んだ人間は神の裁きとやらで必ずゾンビになるというスピリチュアル的な発生原因の線は消えたわけだ。
しかし仮に今回のパンデミックが生物兵器を用いた細菌テロだとしても、世界同時多発なんて大掛かりなことが可能なのだろうか。まぁ、再三に渡って申し上げているが、俺は発生原因なんてどうだっていい。肝心なのはこの世界で自分が如何にして生き延びるかだ。
「そして感染者は常に生きた新鮮な血肉を求める習性を持つが故に、死肉を貪ることはない」
「何で分かるんスかね……?」
俺は素朴な疑問をぶつけてみた。
「政府が死体を用いて実験したそうだ。平時ならば非人道的で許されざる所業だが、状況が状況だからな」
避難所開設の経緯もそうだが、日本のお偉方は存外やってくれる。これは少し見くびっていたかもしれないな。俺はなぜか先を越されたような悔しさを感じた。
「次に悪い報せだが、感染者による咬傷だけでなく引っ掻き傷からも感染することがほぼ明らかになった。症例も多く確認されている」
なかなかシビアな感染判定だが、充分に考えられる話ではある。噛まれて感染するのに引っ掻かれて感染しない道理はないからだ。
愚鈍なゾンビ共の動きの割に感染が爆発的に広がったのには、そういう背景もあったというわけか。
これはますます肌の露出は避けて厚手の服装をする必要があるな。
「また、避難所に属さない半グレ集団を中心に暴徒化した連中が各地で暴れ回っているとのことだ」
「火事場泥棒というやつですかね?」
真島が質問した。
そのニュースなら俺もテレビの報道で見た記憶がある。
「金銭を奪われるだけならまだいいが、実際は感染者だろうが人間だろうが構わずに殺して回っているそうだ。男は凄惨に殺され、女は陵辱の限りを尽くして殺されている。恐怖で気が触れたのか理性の箍が外れたのかは知らんが、傍迷惑で危険極まりない連中だよ」
苦々しげに百瀬先生が呟いた。
倫理の教師としては特にこういう低俗な輩は許せないのかもしれない。
「そんなことまでテレビで報道してたんですか?」
不安そうに真島が尋ねた。俺も真島の疑問通り、テレビがそこまで詳しく報道するとは思えなかった。規制が緩くなってるとはいえ、国民の不安を煽ることになるからだ。
「いや、詳細はネットで調べた。いくつか実際の映像も見たよ。都内での事件も確認されているから用心するに越したことはない」
さすがだ。百瀬先生はそういうところまでしっかり調べてくれているようで安心した。
「次に携帯各社の回線の混雑状況だが、緩和されつつあるそうだ。各自、携帯の充電は怠らないように」
騒動の初期段階ならともかく、国民の大半がゾンビと化した今なら繋がりやすくなって当然だろう。
後は携帯会社がいつまで頑張ってくれるかといったところか。
それにしても携帯……。そうか、世の中にはそんな便利な物があったんだったな。
当然ながら俺は携帯電話を所持していない。友人ゼロ。ひきこもり。どこの誰に連絡する必要があるんだ?
「最後にわれわれが目指す予定の宝田デパートだが、今も健在だ。先に避難している知人とも連絡が取れた」
「やったー!」
クラスメイトから歓声が上がった。
ふん、さっさとどこにでも行きやがれ。
こっちもせいせいするというものだ。
「今のところ報告は以上だ」
言い終えると、百瀬先生は缶ビールのプルトップを開けた。
「うぇぇええええええええい!」
直後にチューハイを持った浜崎が百瀬先生に近づいた。乾杯するつもりのようだ。応じた百瀬先生が無言で缶を合わせた。どうやら教師公認ということらしい。
「あたしも飲んじゃおーっと。ねぇ、黒沢くんも飲みなよ!」
「俺はいい。いつ何が起きるか分からないからな」
「そ。あたしは飲んじゃうからねー!」
浜崎に続き川中、そして真島までもが酒を飲み始めた。
アルコールを入れてないのは俺と三崎だけだ。
それにしてもこの状況で飲酒とは……これだからプロ意識のない素人共は困る。
いや、プロ意識って何だ? 危機意識の間違いだろう。
俺も結構疲れているのかもしれない。
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
「黒沢。改めて感謝する。安全な場所で食事が摂れるのはお前のおかげだ」
向き直った百瀬先生が礼を言った。
食事よりも飲酒がメインになっている気がするのは思い過ごしだろうか。
「いえ、お気になさらず」
ゾンビ映画で他人を見捨てた者は喰われる。
俺はその法則に従っただけの話だ。
「皆もここまで良く頑張った。随分と辛い思いをさせてしまったな。これ以上誰も欠けることなく無事に避難所まで辿り着こう」
「先生……」
百瀬先生が教師らしく見えた瞬間だった。
……とまぁ、クラスメイトがしんみりとしたムードになったのはここまでだ。後はもう、どんちゃん騒ぎだった。
「おう黒沢ァ、何か面白いことやれよ!」
三十分もするとすっかり出来上がった浜崎が赤ら顔で俺に無茶振りをしてきた。
アメリカのスクールカーストでいうところのジョックはこれだから困る。
すぐに俺のような自閉的なナードを弄って笑いをとろうとするのだ。
「あぁ? こういうのは言い出したヤツからやれよ」
「ん……ま、それもそうか」
俺が反論すると、意外にも素直に応じた浜崎が前に躍り出た。
何をやらかすつもりなんだ、こいつは。
「きょぇぇぇえええええええええ!」
おそらくテレビに出ている芸人のモノマネか何かなのだろう。奇声を上げた浜崎が白目を剥きながら小刻みに震えて跳びはねた。
冷静に見れば何も面白くはないはずなのだが、そのシュールな光景と勢いに俺は思わず吹き出してしまった。
「お、笑ったな。次はおめぇの番な」
クッ……まさかこんなつまらないことで笑わされるとは。
しかし、笑ってしまったからにはやるしかない。俺は覚悟を決めて立ち上がった。
「ソンビのモノマネやります」
「え……?」
困惑したクラスメイトの声が返ってきた。
「ぁぁぁぅ……」
自分で言うのもなんだが、俺の形態模写は素人の域を超えている。様々な媒体に出てくるゾンビの動きを観察しすぎた結果クオリティは格段に向上した。
ゾンビを題材にした人気海外ドラマのゾンビエキストラに応募しようかと思ったこともあるほどだ。……ひきこもりだから踏み切れなかったが。
「ひっ!?」
怯えた三崎が仰け反った。
よし、標的はこいつだ。
俺は三崎に向かって腕を伸ばしながらゆっくりと歩を進めた。
「ひぃぃぃぃ!?」
「おい黒沢ァ! やめろよ怖がってんじゃねえか!」
浜崎が声を荒げた。
正義漢ぶりやがって何だコイツは。気に入らないな。
俺は止めようとする浜崎を無視して三崎に迫って行った。
「こ、怖い……怖いよ」
恐怖で涙目になった三崎が震え出した。
なるほど。これはなかなか面白い。
調子に乗った俺は更に接近することにした。
「おめぇ殺されてぇのか!? いいかげんにしろコラ!」
すると激昂した浜崎が俺に体当たりした。
多少はよろめいたが、重さは俺に分があるので跳ね返ったのは浜崎の方だった。
「あぁ!? お前が何かやれって言ったんだろうが!」
「確かにそうは言ったけどよ……おめぇゾンビのマネ上手すぎんだよ。怖いわ!」
「あ? ま、まぁ自信はあったかな。ハハッ」
「褒めてねぇんだよ! 頭沸いてんのかおめぇは!」
そうだったのか。知らずに額面通りに受け取ってしまったが、どうやら本気で怒っているらしい。
三崎は……?
「よしよし、和音。もう大丈夫だからね。怖かったねぇ」
「うぅ……葉月ちゃん」
号泣。雑魚すぎる……。
しかし、泣かせてしまったとなると非難轟々だろう。
「黒沢くん。謝りなよ!」
案の定、川中に怒られてしまった。
「ぐすっ……いいの、葉月ちゃん。私が、私が弱いのがいけないの……ごめんなさい」
三崎が泣きながら言った。
そうだ。お前が弱いからいけない。
分かってるじゃねえか。
ところでさっきから無言の百瀬先生は……?
寝てる……。
意外と酒に弱いらしい。




