7 オシロイバナとタイム
「お父様、お母様、ご機嫌よう。こんなにお早いお帰りはお久しぶりですわね。どうかなさいまして?」
ファリスが入ると、伯爵の書斎でソファにぐったりと背中を預けていた両親が、大義そうに身体を起こした。
部屋中の空気がどんより重たい。
「ファリス。よく聞いて頂戴。今度の女王陛下主催のパーティだけれど、やっぱり無理だったわ。貴女の欠席を認めてもらえなかったの」
手振りで座るよう促し、暫くファリスを見つめていた伯爵夫人が、ようやくといった様子で口にした。
「どうしてですの? 今までは問題ありませんでしたでしょう?」
「それがな、陛下が貴族子女は全員参加だと仰せになったのだ。伏せるような病でもない限り欠席は許されない」
「うふふ。なら今からでも私、寝台に──」
冗談めかして言うと、目を伏せていた両親は足元に落ちてきたオシロイバナからも目を逸らして見えないふりをした。
「……パーティは来週だ、今更仮病など通じん」
「でもお父様、パーティなんて無理です!」
笑わずにいたせいでキャバリエからも嫌がられたデビュタントや、陰口を叩かれるだけのお茶会を思い出しただけでファリスの身体が震えた。
(デイジーだってもういないのに!)
ひとりしかいない友人は既に異国だ。自分独りで立ち向かう勇気なんてない。
「そうは言っても、お前ももう十六だ。慣れていく為にも今回から少しずつ出席するようにしなさい。それにウィリアムから聞いたぞ? 笑わないよう特訓を始めたそうじゃないか」
「そんなあれは……」
「それにな、ウィリアムもそのうち身を固める。そうなればお前も、いつまでも独り身でいるわけにもいくまい」
「あ……」
視線が勝手に床を向く。
確かに妹が居座ったままでは、ウィリアムの縁談にも影響してしまう。笑わない小姑など兄嫁だってもて余すだろう。
「だからね、お父様と考えたの。あなたの結婚相手には子爵以下がいいんじゃないかって」
「そうだ。いいか? 万が一お前のアレがバレてもいいように探すのは格下だ。資産もなくていい、いやない方がいいな。いざとなったら、うちが捻り呟せるくらいの弱小貴族を射止めてくるんだ」
(まさか普通の令嬢と真逆のことを言われるなんて……)
でも痛いほどわかってしまう。愛しているからこそ、なのだ。
両親にそんなことを言わせてしまう自分が哀しかった。
(つい半日前自分で言ったじゃないの。閉じ籠もってちゃ何もならないって。いざとなったら逃げようとするなんて、どこまで情けないのかしら)
俯いていた顔を上げて、ファリスは両親に微笑んでみせた。
「お父様、お母様。わかりました。私、パーティに参ります。すぐにお相手を見つける自信はありませんけれど、頑張ってみますわ」
「うんうん、急がなくていい。ゆっくりでいいんだ、ゆっくりで」
オシロイバナと白いアスターを背負ったファリスに、両親が涙ぐんだ目を拭っていた。
書斎を出て、駆け寄る双子の顔を見た途端、さっきしたばかりの決心が崩れそうになる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「あはは、私、来週のパーティに行くことになったわ」
そう言うと、マリーが何も訊かずに床に積もったオシロイバナを拾ってくれた。
「ご夫妻がそう仰ったのなら、どうしようもなかったのでしょう」
「ええ、そうね……」
ふらつくきながら部屋へと向かうファリスの後ろにも、オシロイバナの軌跡が出来ていく。表情筋が強張ってしまって戻らないせいだ。
「お嬢様お嬢様、ドレスの心配がなくて良かったですね♪」
「各種取り揃え〜よっりどぉりみっどり〜」
殊更明るく振る舞う二人にほんのり胸が温かくなった。
「ふふっ お兄様のお蔭ね」
ろくに出かけもしない妹の為にウィリアムが贈ってくれたドレス達を思い出すと、オシロイバナが白い釣鐘草とスイートピーに変わった。
それを双子が踊り歩きながら、そこら中の花瓶にあっという間に挿していく。何気に活けてあった花とのバランスが絶妙なのは二人が優秀だからだ。
「それはそうとお嬢様〜、本当に特訓が必要になっちゃいましたね〜」
「そうなの。だからお願い、来週のパーティまで私を笑わせて。絶対に我慢してみせるから」
ファリスが精一杯強がって笑って見せると、狐百合と見たことのない花が咲いた。
ジェフ爺に見せてもその花はプリムラの仲間ということしかわからず、そのまま小屋預かりとなった。
「一体、どうしてこんなことに……」
翌朝から、リィシャー伯爵家全体が笑いの渦にいた。
ファリスがパーティに出ると聞きつけた使用人達が、すれ違う度に戯けたり変顔をしてくるのだ。なかには面白い小咄を作り勝手に一席やっていく者もいて、いつの間にか誰がファリスを笑わせるか賭けまで始まっていた。
それでも必死に堪らえるファリスの周りでは、流れ弾を喰らった者達が次々に腹筋を痛めて運ばれていった。
「お嬢、様、さすが、です。あれで、笑わない、なんて」
パーティの前日、最も被弾してきたシェリーとマリーが、息も絶えだえに『もう大丈夫』と太鼓判を押した。
「いやまだだ。ファリスこれはどうだい?」
暫く留守にしていたウィリアムが丁度帰って来て、特訓だと聞くと扇子を片手にしゃなりしゃなりと歩いてみせる。
全員が誰の物真似か直ぐにわかってしまうほど癖まで完璧だった。
「おっ! これで笑わないなら完璧だ。あれ、どうしたんだい? みんなは笑っていいんだよ?」
「あら、どうして笑うのかしら?」
伯爵夫人の満面の笑みに固まっていたファリスと使用人達が一斉に散った。
もちろん、後ろを振り向けないウィリアムをひとり残して。
「可哀想なお兄様。きっとこってり搾られてるわ」
「でも良かったですね。顰めっ面しなくても我慢出来るようになって」
「他にもいいことがあったの。我慢する時に力が入るでしょ、お蔭で首とウエストが少し細くなったわ」
「衣装係も痩せたと喜んでて、お嬢様のドレスのお直し張り切ってましたよ」
「そういえば~私達もすっかりスリムに〜」
花が咲かないということは笑わないということ。孤立してまた陰口を言われるかもしれないが、双子もそれに気づかないふりをしてくれた。
「二人とも付き合ってくれてありがとう。みんなにもお礼を言わなくちゃ」
「そんなのはパーティからお帰りになってからで十分ですよぉ〜」
「さぁ明日の為にも早めにお休みください」
「わかったわ。シェリーとマリーもゆっくり休んでね」
笑うのを我慢するのも疲れるのか、ひとりになると直ぐに睡魔が襲ってくる。
(みんなの為にも、明日は俯かないで顔を上げていよう……)
暫くして登った月明かりの中、夢現で笑うファリスの枕元に、ひっそりとタイムが咲いた。
❖
その夜更け。
とある豪奢な寝室に、ふわふわと何処からともなく光が入ってくる。
「おおっ、ハル、ベリー! 久しぶりだな」
気づいた麗人が寝そべっていた体を起こして嬉しそうに手を差し伸べた。
”きた~”
”おじゃま〜”
「してどうした? まだ勝負はついてないはずだが?」
”かったの~”
”ぼくらのかち〜”
「ほう。お前達の仮宿が愛し子を見つけたというのかい?」
“そうなの〜”
“もうみつけた〜”
「おかしいな。あやつからは何の知らせもないが」
“でもみつけたの〜”
“おひっこしはなしなの〜”
「待て待て。ふむ、わかったぞ。仮宿は愛し子だと気づいていないのだろ? どうだちがうか?」
“で、でもみつけたんだもん”
“もうすぐナカヨシだもん”
「こらこら。ルールはルールだ。愛し子を見つけるのが勝負だったはずだろう。ただびととして会っているならば、まだ勝負はついてないではないか」
“まけないもーん”
“うちのこのおヨメさんにするんだもーんっ”
「ははぁなるほど。仮宿は男で、愛し子は若い娘ということか。ありがとう、ベリー」
”べりーのおばか〜!”
”ごめ〜ん”
「ハハ、約束通り、こちらが先に見つけたら諦めよ。よいな?」
※キャバリエ
デビュタントの女性をエスコートする若い男性
次回、やっとこさ二人が言葉を交わします。たぶん……。書いてる方にも長かったです。プロローグつけたほうがよかった気がしてきました。
《今話の花言葉》
オシロイバナ「臆病」「怯え」「不安」
(英名:フォア・オクロック)
白のアスター「私を信じてください」
白いシスイートピー
「優しい思い出」「門出」
白いカンパニュラ(釣鐘草)
「感謝」「想いを告げる」
グロリオサ「勇敢」「栄光」
プリムラ(マラコイデス)
「運命を切り開く」
タイム
「あなたの姿に感動する」
「勇気」「活発」「行動力」