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5 レモンイエローとアイリス


「もうあいつを怒らせるのはやめよう」


 幼馴染(オリバー)のチクチク口撃に辟易して倫敦(ロンドン)へ逃げ出して来たものの、今すぐ彼の元へ飛んで帰りたかった。

 公爵領からたかだか六十マイルの倫敦に建てられたタウンハウスが、予想以上に居心地悪かったのだ。


「ハァァ……」


 大きな溜息を吐きながら花市場へ向かうイーライを、すれ違う街人が振り返っていく。

 暗い顔なのはただの二日酔いのせいだが、目下の悩みは母親への言い訳だ。

 案の定、手ぐすね引いて待っていた母親に付き纏われ、躱すネタもとうとう底を尽いてしまった。明日からは何かしら捻り出さなければならない。


『今度という今度は逃しませんよ』

  

 母の声とともに釣書きの山が頭をよぎり、さらに顔を顰めた。

 

(それもこれも女王陛下が余計なパーティを開くせいだ…………やめよう。今はカーネーションを捜すことに専念しなければ)


 あの巫山戯た妖精は隠し場所を言わずに消えたまま、いくら呼んでも現れなくなった。

 仕方なく使用人にめぼしいところを当たらせているが、今のところ収穫はない。

 イーライ自身も、手掛かりを探して連日花市へ通いつめているが、噂の一つも手に入れられず毎回無駄骨に終わっていた。


(しかし不気味だな。未だに新種だとお披露目されていないのは有り難いがどういうつもりだ? ……何にせよ、いつまでも領地を放っておくわけにはいかない)


 パーティが終わり次第、すぐに公爵領へ帰るつもりでいたが、何の手掛かりも見つからないまま戻ることになりそうなのが癪だった。


(事を大きくするわけにもいかないのが忌々しい。全く面倒な盗人どもめ)


 盗ったのは妖精でも、イーライからすれば受け取った相手も盗人でしかない。それでも警察へ通報せずに水面下で探しているのは、その相手が十中八九、貴族だからだ。


(平民や商人なら、貴族へ売って儲けようとするに違いない。貴族だったとしても出処が怪しい物だから、騒ぎになればなるほど返還しないだろう。返還すれば盗んだと認めたも同じだからな)

 

 名誉を傷つけられた貴族は、自分こそが持ち主だと主張してくる可能性が高い。そうなれば返還どころか、名誉毀損で訴えられかねない。だから密かに交渉するのが互いの為なのだ。

 

(とにかく、俺に見つけろというからには精霊界ではないはずだ。国外の線も薄いだろう。そうなると他領よりも王都が濃厚だと思ったのだが違ったか?)


「おや若旦那、今日は遅かったですね。目当ての花が見つかったのかと思ったら寝坊ですかい? もうだいぶ掃けちまってますよ」


 二日酔いで痛む頭を擦っていると、花市の帰りらしい顔なじみの仲買人親子が寄ってきた。

 くだけた格好をしていたうえに爵位を名乗らずにいたせいで、コレクションに夢中な下級貴族の令息(ぼんぼん)だと思われている。イーライも都合がよいので敢えてそのままにしていた。

 

「ああ、いろいろあってな。それより珍しい花はあったか?」

「いいえ、今日もこれといってなかったですな。ジャンお前は見たか?」

「しっかりしなよ父さん。珍しい花がきてただろ、ほらレモンイエローの」

「ヘ? あ、ああ!」

「レモンイエロー? 珍しいな、何の花だい?」

「行ってからのお楽しみ。オイラに言わせりゃ若旦那にお似合いの花ってとこですよ」


 冗談なのか、親子はニヤニヤしながら手を振って去っていった。

 珍しい花が白ではなかったことに気落ちしながら市場に着いてみると、親子の言った通り花はだいぶ売れてしまっていて客足も殆どなく、市場の者達も既に帰り支度を始めていた。

 昨夜遅くまで父親の酒に付き合ったせいで、昼過ぎになってしまったのが痛い。


「完全に徒労になったな。仕方ない、今日はチェックだけにして帰ろう────ん? 何だ、そういうことか」


 いつも通りカーネーションのエリアへ足を向けると、物々しい騎士の集団が目についた。隙間からチラチラ覗くドレスがレモンイエローだから、護衛対象は若い令嬢なのだろう。


「……まさか、また母上が行き先を洩らしたんじゃないだろうな」


 行く先々に現れる令嬢達を思い出し、さり気なく柱の陰に廻り込んだ。


(しかし尋常じゃない護衛の数だな。上級貴族のご令嬢が花市場(こんなところ)に足を運ぶわけはないと思うが。さては偶然を装うつもりか?)


 それにしては騎士達の様子がおかしい。

 騎士同士が腕がぶつかるほどくっつき、ぐるりと令嬢を取り囲んでいるのだ。


(あれでは剣を抜くのさえままならないだろうに)

 

 疑問に思っていると、輪が崩れて令嬢が姿を現した。

 大柄の騎士達に囲まれているせいか、その後ろ姿はとても儚く見える。


(クリームブロンドとレモンイエローの組合せが、こんなにも美しいとは気づかなかったな)


 花を見ようと屈んだその背からサラサラと流れ落ちていく髪が、さながら光りの河のようで目が離せない。


(……おっと、見つかって無視したと触れ回られるのも厄介だ。早く帰りたいがさてどうするか……)


 なんといってもイーライは公爵だ。こちらが知らなくても向こうが知らないとは限らない。

 いつの間にか柱の陰から踏み出しかけていたのに気づいて再び身を隠した。


(気づかなかったことにするのも失礼だが、面識もないのにわざわざ挨拶するのは尚更おかしいだろう)


 立場上社交はするが、あくまで最低限しかしたくない。迷っていると、令嬢が顔を上げて連れのメイドを振り返った。


(これは……何と言うか、ずいぶん気難しそうな令嬢だな)


 本来愛らしい顔立ちなのだろうが、眉を顰めたうえ、固く結ばれた真一文字の口が残念としかいいようがない。大抵の男性がお世辞にも声をかけようとは思わないだろう。


 暫く気づかれないよう観察してみたが、令嬢には誰かを待っているような素振りはなかった。


(思い過ごしだったか……ただの花好きな令嬢の可能性も……!?───まさか!!)

  

 令嬢はあちらこちらと花の間をうろうろするものの、必ずカーネーションのところに戻ってきていた。

 そして彼女が見に行くのは白い花ばかりだったのだ。


(気の所為ではない。少なくとも彼女が探しているのは白い花だ)


 白いカーネーションを手に入れて更に欲しくなったか、何処かで見かけて探しに来た可能性もある。


(父上、感謝します。俺は手掛かりを見つけたかもしれません)


 何もない状態から一気に進展しそうな手掛かりに、イーライは珍しく父親に感謝した。


(いずれにせよ、やっと見つけたんだ。話を聞いてみるしかない)


 帰り始めた集団に声をかけようと歩きだして、ふと自分の格好を見下ろす。

 

「──不味いな」


 二日酔いで血色の悪い顔に、タイもせず、髪も乱れたままの怪しげな男。話を利く以前に護衛に阻まれるのがオチだ。

 

「仕方がない。家門だけでも確かめなくては」


「ファリスお嬢様、真っ直ぐ帰りましょう。小伯爵が心配なさいますよ」


 馬車停(ばしゃどめ)の近くに隠れたイーライの耳に、令嬢を宥めるメイドの声が聞こえてきた。


(あの馬車は街乗り用だ。王都に屋敷があるのは間違いないが、あの紋章が何処のものだったか……)


 運良く通りすがった辻馬車に乗り込んで後を追わせながら、イーライは獲物を見つけたような高揚を久しぶりに感じていた。

 程なく令嬢の馬車が潜った門の先にあったのは、呆れるほどの花で溢れかえる庭と、窓辺という窓辺に花が飾られた邸宅だった。


「花狂い(マニア)か。尚更可能性が出てきたぞ──さてと、母上のご機嫌を取る必要が出てきたな」


 市場に戻って、売れ残っていたアイリスをありったけ買って帰ることにした。



 


※アイリス(アヤメ)の花言葉

「よい便り」「メッセージ」「希望」

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