4 ピンク色のゼラニウム
(私のせいなのに、ジェフ爺にばかり苦労させるなんて。でも私に何が出来るっていうの……)
枕に顔を埋めたまま、そう思うのも何度目だろう。
衝撃のお茶会からずっと、あのカーネーションをバレずに返すを考えているけれど、全く何も浮かんでこなかった。
大体、ほぼ引き込もりのような暮らしなのだから返す以前の問題だ。
「こうしてても何にもならないわ。やっぱり、閉じこもってちゃダメなのよ。見てなさい、お父様達を犯罪者になんかさせないんだから! シェリー、マリー、出かけるわよっ」
「まぁ! お嬢様、今、お出かけとおっしゃいました?」
勢いをつけて跳ね起きたファリスに、双子が窓から空を見上げてみせた。
「洗濯物取り込むよ〜に言わなきゃですかねぇ〜」
「何よ、二人してっ」
てんやわんやのあと、ファリスが数ヶ月ぶりに外出しようとロビーに降りると、向こうから扉が開いた。
ファリスに気づいた同じ色彩の持ち主が、片眉を上げ微笑んでみせる。
「何処へ行くのかな、可愛い我が娘よ。お父様のご帰還だぞ?」
「ぐっ、お兄様ったら笑わせないで。今度はお父様の真似?」
「よく似てたろ?」
「もう! お父様に知られたら怒られるわよ?」
「平気さ。可愛い妹は言いつけたりなんてしないからな」
大袈裟にウィンクしてみせたウィリアムに肩を抱かれて邸内へ引き戻され、そのままリビングルームへ連れていかれた。
(お兄様、隈が……)
「お疲れでしょう? 何かあった?」
「いや特に何も? ただ最近、屋敷の花が減ってる気がしてさ……お前をほっとき過ぎたかなぁって」
「お兄様……」
ウィリアムがポリポリ頬をかきながら目を逸らす。照れた時の癖だ。
妹があまり笑ってないことに気づいて、無理やり仕事を切り上げてきたに違いない。
ファリスは嬉しいのと申し訳ないのとで胸が苦しくなった。
(しっかりしなきゃ。優しいお兄様にこれ以上心配はかけられないわ)
「気にし過ぎよ。笑わないように特訓してただけなの。ほら、私もう十六でしょう? もう少し外に出てみようかなって」
「そっか、ならいいけど。でも今はちょっと物騒だから、外出は控えて──そうだ、落ち着いたら何処か連れてってあげようか?」
出鼻を挫かれて悄気げたファリスを見て、あたふたと慌てるウィリアムはどこまでも優しい。
「まったく心配症なんだから。ちゃんとシェリーとマリーも連れて行くから平気よ」
「う〜ん……」
への字眉で撫でてくるウィリアムの手が、迷うようにファリスの頭の上を彷徨った。
「困ったなぁ。ファリス、そういうことじゃないんだ。……実はね、沢山の貴族の屋敷が盗賊に入られているんだよ。しかも白昼堂々の犯行らしい。おまけに犯人は捕まっていなくて怪我人まで出てるというんだ」
「おかしいわ。そんな記事、私読んだことないもの」
「そうだろう? 僕もさ」
「でもそれが本当ならロンドンガゼットに載せないなんて変ね。大勢の貴族が被害にあって怪我人まで出てるのに」
「内々だけど騒ぎにならないよう緘口令が出されているからだろう」
「えぇ! 女王陛下が緘口令まで出すなんて、どういうこと?」
「多分、捜査がいき詰まってるからだろうな。被害にあった貴族達が口を噤んでるのもあって、僕もようやく知ったくらいなんだよ」
後継者教育を始めるまで王宮勤めだったウィリアムだからこそ、ここまで知れたのだろう。
ウィリアムが喉を潤すのを待って、ファリスは続きを急かした。
「それで? いったい何が盗まれたの?」
「それが変なんだ。盗まれたのは植物ばかりなんだよ。いくらブームでもそこまでするヤツがいるんだなぁ」
植物に全く興味のないウィリアムが理解し難いと首を振る側で、ファリスは急に手足が冷たくなっていくのを感じた。
──白昼堂々。
──正体不明の犯人。
──盗まれるのは植物。
(まさか、私のところにきてる花がそうなの? だとしたら警察が探しているのは私!?)
「ファリス、急にどうしたんだい?」
「……お兄様、私のほら、アレのせいではないのかしら?」
「ハハッ まさか」
「ううん、きっとそうなんだわ。警察が信じてくれるかしら、盗みたくて盗んだわけではなくて不可抗力だって……せめて、お兄様やお父様達は無関係だと証明しなくては」
自首しようとファリスが悲壮な決意を固めていると、ポンポンと肩を叩かれた。
「ファリス落ち着いて。たぶん関係ないと思うよ。十三年も経ってるんだ、今更おかしいじゃないか」
「……お兄様、違うのよ。実は───」
ファリスが恐る恐る白いカーネーションのことを白状すると、ウィリアムは笑いながら首を振った。
「やっぱりファリスは無実だ。ほら怪我人がいると言っただろう? その人は犯人を追いかけてそんな目にあったらしい。ちゃんと犯人がいるのさ」
「お兄様、それ本当?」
「ああ。後ろ姿しか見てないうえに見失ったそうだけどね。屋敷の主がそれでも被害届を出さないのが疑問だけど、犯人がファリスじゃないという証拠にはなるだろう?」
「良かったぁ……良くないわ。お兄様、お怪我された方は大丈夫なの?」
「ああ。犯人が落としていった花を拾おうとしてマンホールに落ちかけたらしい。腕の骨折だけで命に別状はないそうだ」
「まぁ。助かって良かったわ、不幸中の幸いね」
「とにかく、そういうことだから犯人が捕まるまで外出は諦めてくれるかい?」
「でもお兄様、ちょっとだけでいいの。せっかく外出する気になれたのよ?」
心底ほっとした途端、再び宥めにかかってくるウィリアムに慌てて懇願する。
(だって犯人が見つかる前に持ち主にバレてしまったら、事件も私のせいにされるかもしれないもの)
そうなったら、たとえエフェクトを公表して不可抗力が証明出来ても無実は証明出来ない。きっと魔女扱いされてしまうだろう。
自分のせいで家族が何と言われるか、ファリスは考えただけで涙が滲んできた。
「今日行くのは花市場だけにするわ。お兄様、それでもダメ?」
「まいったなぁ。そんなに出かけたいのかい? 僕は少ししたら出かけなくちゃならないし……」
妹の潤んだ目にウィリアムがとうとう折れた。
「仕方がない。どうしてもというなら、必ず護衛も連れて行くんだよ?」
「わかったわ。ありがとう、お兄様」
すぐに警備担当の元へ知らせに向かったシェリーとマリーを見送っていると、ウィリアムが顔を覗き込んできた。
「ファリス、本当に出かけても平気なのかい?」
「平気よ。お兄様も特訓の成果に気づいてくれたじゃない。ね?」
本当は悩み過ぎて笑えなかっただけで、特訓なんてしていないが嘘も方便だ。
「ブハッ! 言った側からアハハっ!」
「お兄様ッ!」
身を捩って大笑いしているウィリアム自身にもなかなか笑いが止められないらしい。安心させようとつい微笑んでしまったせいだ。
漂い始めた甘い香りにつられて見下ろすと、ファリスの周りに散らばるゼラニウムはいっそ忌々しいくらいに瑞々しいピンク色だった。
「アハハ、ごめんごめん。でも、もう少し特訓が必要みたいだね、外では笑っちゃダメだよ?」
ファリスが憤慨してむくれていると、ウィリアムが口元をぴくぴくひくつかせながら謝ってきた。
護衛を連れていくよう念を押して自室へ引き上げていく兄の背を見送りながら、ファリスは頬を抓る。
(外では絶対に笑わないんだから! 私のせいで家族に犯罪者の烙印を押されてたまるもんですか!)
※ピンクのゼラニウムの花言葉「決意」
※ロンドンガゼット(1665年創刊)
官報のようなもの。タイムズのような大衆紙が刊行される前。人や事物も載せたようですが、本当に事件を取り扱ったかはわかりません。
エリザベス1世時代(1558〜1603)にはまだないものですが、印刷所はありました。女王が製紙業を支援してもいたこともあり、お話に必要だったのでワープさせました
m(_ _)m
※魔女狩りの激しい時代(1590〜1680)ですが、重過ぎてお話的に関係ないことにしてます。