婚約者がいたらしいですわ
「今日は何か、特別なことでもあったのか?」
いつもより遅く帰宅した兄が、食堂に入ってくるなりとても驚いていらっしゃいます。
仕方ございませんよね?
ご自分の大好物の、コカトリスのトマト煮込みが食卓に並んでいるのですから。
「ええ。運よくコカトリスのお肉が手に入りまして。」
「今時期と言えば、コカトリスは繁殖期のはずだから、かなり気が立っていたのではないか?」
私の姿を上から下まで一通り見た兄は、
「まあ、さすがだな。」
と何やら納得したご様子で、食卓の椅子へと腰を下ろしたのですわ。
「そうでしょうか? イチャイチャしすぎて、隙だらけだとしか思えませんでしたわ。」
偶然にも相手を求めてさ迷いながら、血走って気が立っているコカトリスとは、遭遇しませんでしたもの。
すぐにバカップルを発見できた私は、本当にラッキーでしたわ。
「そ、そうか・・・・・・。さすがだな・・・・・・。」
そう言うなり兄は落ち着きなく、キョロキョロと部屋の中を見渡しております。
「ところで、グッドウィン辺境伯令嬢殿は、まだ客室にて休んでおられるのか?」
「いいえ。朝から起きて、元気にしておいでですわ。」
「それは良かった。ではなぜこの場にいないのだ?」
「実は彼女とお話をしまして。明日から私と一緒に、ここから学園へ通うことにしましたの。そうしましたら教科書が届いた途端、彼女はよほどうれしかったのか、集中されてしまわれまして。」
我が家御用達の装飾師をすぐさま呼んで制服の採寸を行い、大急ぎで彼女にぴったりの品を仕立ててもらった後のことでございます。
お茶でもして一息入れてもらおうと、アニーを呼びにやらせましたところ、運悪く文房具やら教科書やらが届いてしまいまして。
彼女はそれらを見るなり、とてもお喜びになってすぐさま教科書を開いたかと思うと、そのまま勉強を始めてしまったらしいのです。
あの集中力には、私もびっくりでしたの。
「特に、薬草学にとても興味をお持ちのご様子でしたわ。」
我が家の書庫からも何冊か分厚い本を選んで、とにかく楽しそうに勉強をなさっておいででしたわ。
「ああ。彼女の領地であるグッドウィン領では、いろいろな珍しい薬草が取れるらしいからな。」
「ええ。存じ上げておりますわ。我が領地ほど、貴重で特殊な薬草があるわけではございませんが、ポーションなどの材料がたくさん取れますものね。」
隣国との境目にあるため、薬草をめぐっての密猟者や隣接する国境の村との諍いが、絶えない領地でもございますの。
ですからフィオーレ様のお父上も、とてもお忙しいのだとか。
「もう少ししましたら、彼女もこちらに来られますわ。ぜひともお兄様にお礼が言いたいと申しておりましたし。」
「いや。そのまま勉強させてあげて欲しい。俺は当然のことをしたまでだから、彼女からの礼など必要はないよ。ただし、食事と睡眠はしっかりと取って欲しいものだな。」
そうおっしゃいました後、すぐに背後に控えているセバスチャンを呼び寄せて、なにやらボソボソと指示を出していらっしゃるご様子。
「畏まりました。」
セバスチャンはそう言うと、すぐさま扉の向こうへ姿を消したのですわ。
「しかし。彼女自身が、明日からでも学校に行きたいと、そう言ったのか?」
大好物のトマト煮込みを美味しそうに召し上がりながら、そんなことを聞いてきましたの。
「え?何か問題でも?あのピンク頭の妹さんの方でしたら、私たちは学年が違いますもの。そう簡単には、彼女には近寄らせません事よ?」
まさか他人の目もある学園でも、彼女に危害を加えるような馬鹿な真似は、しないとは思いますが。
念には念を入れないと、いけませんものね?
「ああ。あの汚い言葉を叫びながら、髪を振り乱して水をかけてきたご令嬢のことか。彼女はしばらく大丈夫だ。そのせいで、帰りが遅くなってしまったのだがな。」
兄の話によりますと。
今朝も早くから登城し、王太子とグッドウィン辺境伯に昨日までの調査報告を行い、これからのことを話し合ったらしいですわ。
この時間はとても有意義であったのだとか。
問題は、その後で帰る前に今回の結婚の件を報告しに行った、辺境伯の王都での屋敷でのことらしいんですの。
継母と義妹は、兄をそれはもう快くお屋敷の中へと招き入れてくれたらしいですわ。
しかし、兄は屋敷の人間全員の自分へ向ける女性特有の視線が不快で、早く帰りたかったために必要最小限度である内容、つまりフィオーレ辺境伯令嬢は自分と結婚することとなったので、公爵家に住むこととなったという旨をお伝えしたらしいんですんの。
そうしましたら、継母と義妹はたいそう取り乱されましたそうで。
「うちの森にいる魔獣たち並みに甲高く耳障りな声で、訳の分からないことを次々とまくしたてるので、とても疲れたよ。私についてきてくれた伴の者たちも、ずいぶん困惑していたしな。」
その時のことを思い出されたのか、眉間にしわを寄せ、深いため息をつかれたのですわ。
どうやらフィオーレ様と兄の結婚を、全力で阻止するような内容だったらしいのです。
しかも、姉のような地味な女は辞めて義妹とはどうかなどという、何とも厚かましい提案までなさったそうですわ。
「“妹君には、もうすでに婚約者がいらっしゃると聞いているが。しかも、元姉の婚約者が。それにグッドウィン辺境伯殿自らの許可ももらっている”と伝えたところ、やっとの事で静かになってもらえたよ。」
「え?“元姉の婚約者”?」
まさか。
フィオーレ様に婚約者がいただなんて!
しかも、“元”って・・・・・・。
こんな重要な情報、私は聞いておりませんでしてよ?
我が公爵家の諜報員たちは、腕が落ちてしまったのでしょうか?
後できちんと、指導しておかなければなりませんわね?
「ああ。そこが問題なのだが・・・・・・。」
「とおっしゃいますと?」
「その元婚約者殿は、同じ年、つまりオフィーリアとグッドウィン辺境伯令嬢のクラスメイトということになる。」
「まあ、そうでしたの?ちなみにそのすぐさま婚約者をすげ替える尻軽男は、一体どこのどちら様なのでしょうか?」
姉妹で一人の殿方を取り合うとか兄弟で一人の令嬢を取り合うとか、そのような話は日常茶飯事ですもの、誰がどうだったかなど、いちいち覚えておりませんわ。
「南の国境を守っている、リンドバーグ辺境伯家の次男だそうだ。」
「あら?そのような殿方、私のクラスにいらっしゃいましたでしょうか?」
ここだけのお話、自分より弱い男なぞに興味はない!と申しましょうか、私と対等に剣術や体術、並びに魔法の授業を受けられるクラスメートがおりませんので、誰がいらっしゃるのかは今一つ覚えていないのですわ。
「ああ、いるんだ。しかも昔の二人はとても仲が良かったらしい。」
そうおっしゃるなり、兄は元気がなさそうにトマト煮込みを食べていた手をぴたりと止めたのですわ。
なんでも王都に引っ越して来てしばらく経った頃に、フィオーレ様は相手側から一方的に、婚約破棄を言い渡されたらしいんですの。
しかもすぐさま、妹の方と婚約したというのですから、呆れてしまいますわ。
「でも、元婚約者なのでしょう?しかも、今は妹の婚約者。昔の男など、関係ないのでは?」
「世の中のご婦人が皆、おまえのように切り替えの早い女性ばかりだと、平和でいいのだがな?」
それ、褒めて下さっているのですよね?
「グッドウィン辺境伯様は、どのようにお考えで?」
「実は、今回の件はいろいろとあってな。詳しいことはまだ話せないんだ。だから辺境伯殿が、王都にいらっしゃるのも実は秘密になっている。よって、この話は全て他言無用だ。とにかくご令嬢のことが心配らしく、“せめて娘の身の安全だけは”ということで、今回のような形となっている。」
「まあ、そうなんですの。大変ですわね。」
辺境伯様が王都にいるのも極秘事項、しかも兄がいろいろあって話せないということは、どうやら国がらみの何かに関わりのあることなのでしょう。
「では、フィオーレ様とのご結婚は、フェイクなので・・・・・・。」
「いや! 俺は本気だ!」
兄にしては珍しく大声を出した上に、バンッ!と大きな音を立てて机を強く叩いて立ち上がったので、入口に控えているアニーと兄のメイドであるマリアまでもが驚いていおりますわ。
・・・・・・もちろん、私もですが。
「お、お兄様、落ち着いてくださいまし。」
「す、すまない、つい・・・・・・。」
兄は少し落ち着きましたのか、ハッと我に返ったかと思うと、恥ずかしそうにゆっくりと椅子へ座りなおしましたの。
「しかし、傷心の身である御令嬢に、突然そんなことを言っても困るだろうと思ってな。オフィーリア、明日の朝は三人で一緒に食事を取ろうと思うのだ。」
そうおっしゃった途端に、なぜか兄は顔が真っ赤になったのですわ。
「はい。それはよろしいのですが。因みになぜそのようなことをおっしゃいますの?」
顔を赤らめる理由が、よく分かりませんが。
「じ、実は、自己紹介がまだなのだ。」
「はい?」
「結婚を前提にお付き合いするのに、お互いのことを何も知らなさすぎるだろう?なのでまずは明日の朝食時、顔合わせついでに彼女へ自己紹介をしようと思うのだ。内容は今晩じっくり考えるつもりだ。お前には、俺がうまくいくか見守っていて欲しいのジャ。」
よほど恥ずかしかったのか、兄には珍しくとても早口でまくしたてられましたわ。
しかも、最後は嚙んでいらっしゃいますし・・・・・・。
「分かりましたわ。お兄様、頑張ってくださいませ。」
いつも、なんでもそつなく完璧に、易々とこなしてしまう兄ですのに。
今まで言い寄ってきた沢山の御令嬢たちも、軽くあしらってこられた方ですのに。
こんなに緊張した兄は、見たことがございません。
私、心に決めましたわ。
「お兄様、私は明日、早起きしなくてはならなくなりましたの。お先に部屋に下がってもよろしくて?」
「え? ああ。明日はよろしく頼む!」
「お任せくださいませ。」
食後の後で軽く挨拶だけ済ませると、私はすぐさま、寝室にて休みましたのよ。
次の日の朝。
まだ日が昇ったばかりの薄暗い時間帯ですわ。
「セバスチャン!」
「ハイ!」
私が声をかけると、我が家の超有能な執事がすでに玄関先で待っていたのですわ。
「私、今から朝の運動をしてまいりますわ。」
「い、今からでございますか? まだ夜が明けたばかりでございますが?」
「問題ないわ! すぐに戻ってくるもの!」
「ハッ。お気を付けていってらっしゃいませ。」
そしてすぐさま向かった先は、わが屋敷の裏にある魔法陣ですわ。
行先はもちろん、多くの魔獣が生息している“マリディシオンの森”ですの。
今日は時間がありませんので、転移魔法を駆使しまして、この森唯一の活火山口の一つに足を運びましたわ。
「まあ、ちょうどいい大きさです事。」
そこにはいろんな木々で作った、大きな鳥の巣がございまして。
今の時間帯ですと、親鳥は餌を取りに行っているため、留守になるのは調査済みですわ。
その中には、まるで大理石と見間違えてしまうような柄の大きな卵が3つ、ございましたの。
「よっこらせ。これなら大丈夫ですわね。」
私は収納袋の中から大きな大理石柄の卵を一つ取り出してその中へと置き、とてもよく似た柄と大きさの卵を一つ、拝借いたしましたの。
彼らは見た目だけでしか判断しませんので、同じような物を置いておけば気が付きませんのよ。
「さあ、早く帰らなければ!」
お日様もだいぶ出てきたご様子。
私は親鳥に見つからないように急いでその場を立ち去ると、魔法陣でお屋敷に戻って参りましたの。
そのまま急いで、調理場へと向かいます。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
朝も早いのに調理場担当の皆様が、左右に分かれてお出迎えをしてくださいました。
「ただいま戻りましてよ。」
私はすぐさま袋から、大きな卵を取り出して、調理場の上に置きましたの。
「こ、この大きさと柄は・・・・・・。抱卵中のロック鳥の卵を持ってこれたのですか?!」
「ええ。この時間に偽物さえ用意しておけば、とてもたやすいものでしてよ。」
「そ、そうなのですね・・・・・・。」
皆様、とてもうれしそうに卵に触っていらっしゃいます。
私が今から何を作るのか、予想がついていらっしゃるから、そのような行動に出たのでしょうが。
「申し訳ございませんが、とても急ぎますの。」
卵に群がっていた皆様は、私の言葉を聞くなりすぐ、 蜘蛛の子を散らすかのごとく、各自担当場所に戻られたのですわ。
すぐさま、大きなボールを用意してもらい、そのダイヤモンド並みの硬さの卵の殻を専用の特殊な包丁で叩き割ってもらい、中身をこぼすことなく慎重に入れていただきましたの。
「まあ、なんて綺麗な薄いオレンジ色の白身に、黄身は金色に輝いているわ。」
あとは、砂糖とドンナーバイソンの乳さえあれば、問題ございません。
あとはより食欲がそそるよう、香りづけの薬草のエキスがあれば完璧ですわね。
量が量だけに調理場の皆様には、各自担当を決めてもらって、手伝ってもらいましたの。
たくさんできそうですので、皆様の分もございますしね?
卵の中身の量が多いので大変でしたが、調理場の皆様のご協力の元、何とか時間に間に合いましたわ。
さあ、今日の朝食にはお兄様の大好きなこれを食べていただいて、頑張ってもらいましょう!
★ロック鳥
成体は、3m~5mくらいの巨大な鳥。
鋭い嘴と爪を持っており、コカトリスやエルモバファローなども難なく仕留めては巣へと運ぶ。
そのまま豪快に食べちらかしてしまう、獰猛な鳥。
しかし、巣はいつも清潔に保たれている。
爪は防具の材料として高く売れる。
七色の美しい羽根を全身に持っており、装飾品の材料として高く売れる。
羽毛で作った布団は、保温性がありとても暖かい。
しかしその羽で起こす竜巻は、村一つを軽く壊滅させるレベルである。
嘴から発するとても不快な鳴き声(超音痴なおっさんの歌声に似ている)である。
聞いたものは混乱をきたし、七日七晩悪夢のような幻覚を見るようになる。
大人の握り拳くらいの大きさの魔石は、幻覚を無効化する魔道具の材料として重宝されている。
肉食であるため、その体は食用に向かない。
卵は濃厚でこってり、甘くてコクのある味で人気が高い。
影響満点で美容と健康にとてもいいことが実証されており、貴族の間では高値で取引されている。
卵の殻もミスリル銀並みに硬いことから、防具の材料などとして高値で売れる。
“マリディシオンの森”にある火山口付近にしか生息しない。
繁殖期や抱卵の時期でなければ、攻撃を加えない限りは大人しい。