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第4話 逡巡

「なっ……」


 熱いおでんとアルコールで火照った体に血が激流のように巡り、体温を急上昇させた。

 その刹那瞳子の体を支配したのは、酔いではなく怒りだったのかもしれない。

 とにかく胸は激しく鼓動を打ち、不敵に微笑む礼隆の輪郭が滲むほどに目の奥が熱くなる。


「私を馬鹿にしてるの……!? そんな誘いにのるわけないじゃない!」


 帰ろう。

 とりあえず一万円をテーブルに叩きつけるつもりで通勤用のショルダーバッグを手繰ると、忍び笑いの声が聞こえてきた。


「瞳子さんのそういう遊びのないところは、かわいいところでもあるんだけどねえ」

「帰ります! 今日は助けてくださってありがとうございました! さようなら!」

「ちょっと待ってよ。このまま帰ったら、きっと瞳子さんは同じ失敗を繰り返すよ。本当にそれでもいいと思ってる?」


 一万円札を財布から抜き取る手が止まる。

 このまま彼と別れてしまえば、今日の出会いはなかったこととしていつもの日常に戻ることはできる。

 自分は今迷いなくそれを選ぼうとしているが、果たして本当にそれでいいのだろうか。


 礼隆は手慣れた駆け引きで手の内に引き込もうとしているに違いない。

 彼の言葉を信用するのは危険だが、男の立場からの屈託ない意見が聞けるならば聞いてみたい気もする。


 逡巡する瞳子に、礼隆は邪気のない笑顔で畳み掛ける。


「それに、ここの勘定は割り勘でいいですよ。瞳子さんが一人で飲みたかったところに俺が勝手について来たんだから。まあもう一杯飲みながらじっくり話しましょうよ。またビールでいい?」

「……焼酎。お湯割りで」


 瞳子が逃げないと確信したのか、礼隆は女将さんにお湯割りとハイボールを注文すると「ちょっとトイレ」と席を立った。

 おかげで瞳子は勢いで出した財布を彼の目の前で仕舞うというみっともない真似をせずにすんだ。

 学生のくせにこなれた気遣い。弱冠二十二歳の彼は、こういう場面を一体何回経験しているのだろう。


 彼が席に戻るタイミングで、お湯割りとハイボールが届く。

 空になった皿の代わりに壁から下がるメニューから瞳子の目についたものを二、三品注文するよう促され、それらが揃ったところで駆け引きの第二ラウンドが始まった。


「それで、あなたと……するのが、どうしてギャップを埋められることになるわけ?」


 会話の内容が内容だけに、瞳子は周囲に聞き耳を立てている客がいないか、不安げに視線を彷徨わせながら低い声で尋ねた。


「さっき俺は相手の瞳子さんへの期待値が高すぎるって言ったけど、瞳子さんの相手への期待値も高いんじゃないかと思うんだ。男なんて、女に優しくするのも誠意を見せるのも、結局はセックスして自分のものにするためなんだよ。性欲に関しては、男の方が女よりずっと本能に縛られている。だからこそ、愛だの恋だのと騒ぐようになってからも人類はそこそこ繁栄してこれたわけだけれど」


「男の人の性欲を全部否定するつもりはないわ。実際、この年齢にもなるとプラトニックだけで関係が深められないのもわかってる。けれど、まず心の繋がりを求めるのが期待値が高すぎるっていうの?」


「男が本当に女の全てを愛せるようになるのは、性欲が満たされてからだよ。それまでは結局 “ヤる” ためにあの手この手で女を満足させようとする。女はそれを純愛と勘違いしているだけさ」


「それは暴論じゃない? 貴方みたいな人はそうかもしれないけれど、初めからきちんと心と心で向き合える男性だっているでしょう?」


「まあ、確かにいないとは言いきれない。でも、瞳子さんの見た目はどうしてもそういう男を遠ざけて、性欲が強い男を近づけてしまうんじゃないかな」


「そんなの不条理よ。地味なメイクや服を心がけているし、自分から男性を誘うような言動は一切していないつもりよ。これ以上どうやって努力したら……」


「だから、一度その努力をやめてみたらいいんじゃない?」


「努力をやめる……?」


「そう。心の繋がりを期待せず、そのための努力を取り払って、ただセックスだけをする」


「そんな……」


 そんなことできるわけがない。


 すんなり出てくるはずの正論が今日に限って喉元でひっかかる。

 酔いのせいか、怒りのせいか。

 それとも礼隆の手の内に引き込まれているせいなのか。

 とにかくいつもどおりの思考ができないのは確かだった。


「それって、お互いに何のメリットもないじゃない……」


「俺は瞳子さんみたいな “そそる女” とヤれるし、男側が瞳子さんに感じるギャップがどの程度のものかって純粋に興味がある。それを伝えられれば、瞳子さんは次の恋愛に生かせるでしょう? そういう話って、恋愛感情を持った相手……しかも付き合いの浅いうちにはなかなか突っ込んで聞けないことだし」


「それは、そうだけど……」


「特に瞳子さんの場合は貞淑な自分を保ちたいわけだから、余計に相手には聞けないでしょう? 今あなたはフリーなわけだし、俺の言ってることを試してみるにはちょうどいい機会なんじゃないかな」


 確かに、自分の何が悪いのか、どうすればいいのかなんて、これまで付き合った相手に聞いたことはなかった。

 失恋の理由がわからないから、その原因を相手の身勝手さや自分の外見に押しつけて納得しようとしてきた。

 けれども、それを繰り返すだけで何の進歩もなくこの歳まで来てしまったという焦りが、礼隆の言葉によって唐突に姿を現し、瞳子の胸を掻きむしり始める。


「今日なら、“酔った勢い” っていう都合の良い言い訳を使っても誰も責めないよ」


 悪戯っぽい笑顔で、礼隆が瞳子を覗き込む。

 そんな彼をまともに見つめ返すことができなくて、瞳子はぬるくなったお湯割りを一気に飲み干した。


 彼女が今夜の言い訳を固めたと受け取った礼隆は女将さんにお勘定を頼み、「じゃ、行きましょうか」とラーメン屋にでも誘うような気軽さで瞳子の支度を促した。

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