<四海走破> ④
□■三日前
「族長。確認が取れました」
『……申せ』
「あれらは囚人達の船団であり、【覇王】の座興による処刑航海であると……街での噂になっております」
『処刑航海?』
「はい。大陸一周を命ぜられた、と」
『……ハッハッハ。狂ったか、【覇王】め。【龍帝】との戦が膠着し、憂さ晴らしに禁忌へと手を出すか。……【海竜王】を知らぬのか?』
「……族長」
『我がラフロント部族はかつて海洋王国を築き、しかし【海竜王】の逆鱗に触れたがために滅んだ。そしてレジェンダリアの隅で一部族として生き延び……それすらも失って今は流浪の身だ。【覇王】もそうなりたいというのか?』
「禁忌の真の痛みを知るは、禁忌の報いを受けた者だけですから……」
『ふん。忌々しい奴隷狩りの侵略国家が滅びようと構わんが、……その船団にいたのか?』
「はい。奴隷狩りによって攫われた部族の者が。…………しかし、弟君はおられませんでした」
『そうか、…………連中はいつ出航する』
「恐らくは数日以内に。ルートは<南海>より時計回りと聞いております」
『……準備しろ』
「仕掛けますか」
『内陸の業都では手が出せなかったが、海上ならば我らに分がある。そして……そのルートでは船団は一ヶ月とかからずに沈むぞ。この時期、<南海>と<西海>の狭間にはあの【亡霊戦艦】がいる。遭遇すれば間に合わん』
「では……」
『――船団を襲撃し、部族の同胞を救い出す』
◇◇◇
□<南海>・中央船
ラフロント部族の一団が船団の襲撃を宣言してから三日後、航海の初日にそれはなされた。
彼らは瞬く間に中央船の船上へと出現し、船員達に武器を向けることでその動きを制していた。
つまりは、大陸一周航海の船団は初日にシージャックされたということだ。
それは驚くほどにあっさりとした結果だったが、無理からぬ話でもある。
要因は二つある。
一つ目の要因は水中への索敵の困難さだ。
<南海>の陸に近い海域を航行していた船団だが、水面下はそれほどはっきり見える訳ではない。濃い青や光の反射に遮られて、帆船の船上から水面下は二メテル程度も見えればいい方だっただろう。
また、【斥候】などの監視や気配察知に類するスキルも、水中に対しては海という液体を挟むためか精度が著しく落ちる。
それゆえに水棲のモンスターに奇襲を受けやすいというのも、海が恐れられる理由だ。
先々期文明ならばソナーやレーダーを備えた気の利いた船がいくらでもあっただろうが、この時代にそんなものはない。
二つ目の要因は、襲撃者であるラフロント部族が優れていたことだ。
彼らは船上からの索敵が及ぶべくもない一〇〇メテルの深さの海底を進み、――そこから一気に急上昇して船上へと躍り出たのである。
常人であれば、あるいは鍛えた戦士であってもそんな動きをすれば急激な水圧の変化でまともに動けなくなる。
しかし、彼らは事もなげにそれを為した。
なぜなら……。
「す、水棲亜人……!」
中央船の船員の一人が、彼らの姿を見てそう悲鳴を上げた。
そう、彼らラフロント部族はレジェンダリアに多く住む亜人……他の地域の人間にはない身体的特徴を持った人種だ。(ジョブに就けるためにモンスターとは混同されない)
ラフロント部族は水棲哺乳類……イルカやシャチに近い質感の肌とヒレを有していた。
そして人馬種が陸を速く走れるように、彼らは生まれながらに水中活動に適応し、水圧の変化にも強い耐性を持っていた。
それは通常のスキルではなく、彼ら自身の肉体が有する一種のセンススキルであるだろう。
彼らの肉体が可能にした、ダイビングならぬ海底からのフローティングによって、為すすべなく先手を取られたのだ。
『目と鼻が鈍いにも程がある。これでは<南海>を出る前に死ぬな』
ラフロント部族の一団の中で一際目立つ者……民族色の強い面を着けた族長が、周囲に銛を構えながらそう言った。
『ここで片がつけば、まだ幸運だろう』
マストの上の手旗信号要員は奇襲があったことを他船に告げるが、遅きに失している。
中央船を抑えられた時点で、船団は首根っこを掴まれたも同然だ。
『聞け、者共。私はラフロント部族の族長、【神獣狩】ヴァナ・リー・ラフロントだ』
族長……ヴァナの言葉が船上に響いた後、反応は三つに分かれた。
ラフロント部族の船員は、自分達の族長の来訪を知って即座にひれ伏した
それ以外の船員は、相手が超級職であることに畏れ慄いた。
そして……最後の一人は、自然にそこに佇んでいた。
『――この船団の長を出せ』
ヴァナの言葉に船員が顔を見合わせる。
彼らはいずれもバロアのことを思い浮かべたが、そこで船員達はいずれも疑問に思った。
『どうして危険を予感できるというバロアが、この奇襲を予感できていなかったのだろう』、と。
そんな彼らの疑問は……。
「待っていました」
船内から現れたバロアの言葉によって、さらに深くなった。
『待っていた、だと?』
「はい」
面越しに威圧するヴァナに対し、バロアは【魔将軍】に生贄に供されそうになったときや【覇王】と相対したときのように、自然体で向かい合っていた。
そんなバロアの様子に、ヴァナも何かを感じ取る。
バロアが率いているという情報は、年齢ゆえにありえないと判断されて広まってはいなかった。
それでも眼前の少年が船団の長であると、ヴァナの直感が告げていた。
だが、《看破》で見ても、少年はジョブにすら就いていない子供でしかない。
戦闘用ステータスのヴァナが小突けば死んでしまいそうなほど、非力な命だ。
『…………船団を止めろ』
そんなバロアに、ヴァナは銛を突きつけながら命じる。
『お前達ではこの先の海を進めはしない。いずれかの海域で、必ず失敗する』
「……このままならば、そうなります」
ヴァナの言葉をバロアは肯定する。
今の船団では航海を終えることができない。
足りないのだと、バロアには分かっていた。
『この<南海>の先、<西海>との狭間に今は何がいるか知っているか? あの【亡霊戦艦 アヴァン・ドーラ】だ。毎年、この時期になるとその海域に現れ、近づく全ての船を撃沈させる怪物だ』
「……危険が待ち受けていることは、知っています」
『この航海に勝算なきことも理解できるだろう。引き返せ、とは言わない。戻れば待っているのは拷問の末の死だろう。だから、逃げればいい。いずこかで船を捨てて、逃げるのだ』
「……逃げる?」
それまでヴァナの言葉を肯定していたバロアは、そこで疑問の言葉を発した。
しかし言葉に反して浮かべた表情は、違う。
それは疑問ではない。
少しの……怒りだ。
「逃げる場所なんて、どこにもありません」
面越しのヴァナの瞳を真っすぐに見据えて、バロアは言う。
「僕らは、いずれも資格なき者です。税金が払えずにアドラスターの民として生きる資格を失った人。罪人として捕まった人。敵対国の人間であり続けたために虜囚となった人。誰かに追い落とされた人。どこからも守ってもらえなかった人。そんな、この国で……この世界で自由に生きる資格を認められなかった人々の集まりです」
あの収容所はそういった人間の集まりだった。
国家の落後者達、業都の建設を終えた後は【魔将軍】の生贄か【覇王】の座興にしか使い道のなかった者達。
ゆえに、逃げても彼らに生きる場所などない。
「逃げたとしても、アドラスターで隠れて生きることはできない。黄河に落ち延びても、難民かスパイ容疑の罪人、あるいは奴隷。レジェンダリアでもそれは同じ。僕らの生き延びる道は、自由への資格はたった一つ、この航海の先にしかない」
『バカな! この絶望しかない処刑航海の果てに、そんな希望があるというのか!?』
「あります」
ヴァナの言葉に、バロアは即答した。
「【覇王】ロクフェル・アドラスターは言いました。この航海に成功すれば僕らを解放し、代表者の望みを叶える、と」
それは【覇王】が最初に宣言したことだ。
ゆえに、それにこそバロアは希望を見出した。
『お前は、自由を……市民権でも願うのか?』
「いいえ。それでは国の形が変われば、また同じ立場に落とされるかもしれません」
『ならば、何を望む』
ヴァナの問いを受けて、バロアは少しだけ沈黙し、瞑目した。
そして覚悟を決めて、決意と共にその言葉を口にする。
「――国」
それはただの一言で、しかしこの上なく重い一言だった。
『国、だと?』
「僕達が自由に生きる資格を得られる国を、創る。アドラスターにも、如何なる国にも脅かされない、僕達の国を」
国家によって最下層へと落とされた。
ならば自分達で国を創り、他国の支配を逃れ、自由を得る。
それしかないのだと、バロアは語った。
『できるわけがない!』
ヴァナはそんなバロアの夢想を、不可能であると否定する。
『よしんば国を創ったとしても、だ! そんな小国はすぐにアドラスターや黄河に呑み込まれて消える! 海の泡にも等しい儚いものでしかない!』
「……いいえ。いいえ! できます! この航海を終えた僕達にしか創れない国がある! 何者にも脅かされない国を……僕達は創れるんだ!」
『どうやってだ!』
「それは――――」
そうしてバロアは、己の目指す最後のゴールを……大陸一周の先にある真の終着点を口にした。
これまで己の中に留め、マシュー達にも伝えていなかった言葉。
それを、ヴァナに宣言したのだ。
◇
『正気……か?』
「本気です」
正気であるとは言わない。
勝機があるとも言わない。
それだけバカげたことを口にしたという自覚はバロアにもある。
だが、それ以外に目指すべきゴールはないのだと、バロアは信じていた。
「でも、その国を創るために必要なんです。この船団の仲間も、今は収容所で僕達を待つ人々も……そしてあなたも」
『私……だと?』
「はい」
怪訝そうに首を傾げるヴァナにバロアは言葉を続ける。
「船団の一員として……あなたに船の一隻を担ってほしい。そしてこの航海の行く先を切り開く存在になってほしい」
超級職であり、ラフロント部族の長であるヴァナこそ、この航海に足りなかった最後のピース。
五人目の統率者にして、航海に待ち受ける苦難を打ち破るための切っ先であると、バロアは告げる。
「道は、僕が示します。どれほどに険しい航海と苦難があるとしても……僕が必ず導いてみせる!」
そして、自分はヴァナも含めた船団の全てを、必ず終着点まで導いてみせると、バロアは心の底からの言葉で誓う。
「だから、お願いします……! 僕達の……仲間になってください!」
バロアは、深々とヴァナに頭を下げた。
伝えるべき言葉の全てを伝えた。
あとはヴァナの答え次第だ。
『…………一つ聞く』
暫し沈黙したヴァナは、答えを出す前に聞くべきことを一つ思い出した。
『収容所に、我らラフロント部族の者は残っているか? その中に、お前と同年代の少年はいたか?』
「……はい」
『……そうか』
その返答に、ヴァナは再び沈黙する。
沈黙の中で、思考する。
バロアは収容所に残されたラフロント部族のことを知っていた。その中にヴァナの弟がいることは知らなかっただろうが、ヴァナの同胞であることは知っている。
しかしそれを盾にして「航海を続けなければ彼らの命がない」とは言わなかった。
その事実と彼が語った終着点について、ヴァナは深く考えて……答えを出した。
『……ここで貴様らの航海を遮るは、僅かな民を取り戻す道』
ヴァナはバロアに銛の切っ先を突きつけ、
『貴様らと共に行くのは、全てを得るか失うかの道』
しかしそれを下ろし、
『……………………往こう』
一言、そう口にした。
『貴様の目指す終着点……我らも共に往くことにした』
「……ありがとうございます!」
旅への同行を受け入れたヴァナに、バロアが心からの謝意を伝える。
そんな彼に対し、ヴァナもまた誠意をもって応じる。
『改めて、名乗ろう』
ヴァナは自身の顔に着けていた面を外し、己の素顔と共に改めて名を名乗る。
「ラフロント部族の族長、ヴァナ・リー・ラフロントだ。バロア船団長、よろしくたのむ」
「はい。…………」
「どうした?」
ヴァナの素顔を見て、バロアが驚いた顔で固まってしまった。
その理由は……。
「女性だったんですか?」
「……………………そうか…………分からなかったのか」
これまで威厳をもって話していたヴァナは、己の着衣と平らな胸を見下ろして心からショックを受けたようにしょんぼりとそう漏らした。
「バロアの坊主! 助けに来た……ぜ?」
五分後。後方船から単身泳いでマシューが救助にやってきたとき、そこには膝を抱えて挫けているヴァナと彼女を慰めるラフロント部族、それと謝り続けるバロアの姿があった。
「…………どうなってんだ?」
彼の疑問に答える声は、その場ではなかった。
◇
紆余曲折はあったが、後に歴史は語る。
この日、最後のピースである【神獣狩】ヴァナ・リー・ラフロントと共に、船団は航海をスタートしたのだと。
To be continued
(=ↀωↀ=)<ちなみに亜人のティアンは肉体型センススキル持ちがそこそこいるけど
(=ↀωↀ=)<代わりにジョブ適性が限定されやすい
(=ↀωↀ=)<それと<マスター>が亜人っぽく作っちゃった場合は
(=ↀωↀ=)<肉体型センススキルはないけどジョブ適性はちゃんと万能
(=ↀωↀ=)<あと、<四海走破>はあと二、三話で第一部の<南海>編を〆て
(=ↀωↀ=)<本編の更新に戻る予定です
(=ↀωↀ=)<……ていうか書いてたらじっくりやる必要があるっぽいと分かってしまったので
(=ↀωↀ=)<他の時代のアナザーエピソード挟みつつ区切りながらやってきます