<四海走破> ③
(=ↀωↀ=)<久しぶりの更新ー
□大陸南方・港湾都市フェイデン
【覇王】による大陸一周航海の命令がバロア少年と収容所の者達に下されてから一週間。
船団のメンバーの姿は船上にあった。
しかしながらそれは大陸一周航海の途上ではなく、それ以前。
彼らは未だ【覇王】の支配下にある港町の近くで、日帰りの練習航海を続けていた。
その日も練習航海を続け、練習後の夜は各自休息の時間を取っている。
波止場に近い酒場には、船団の主要メンバーである【大海賊】マシュー・ドリアと【提督】アイル・ライト少佐が杯を交わしながら相談を行っていた。
「レジェンダリアの樹木を使った帆船にも慣れてきたな」
「ああ、良い船達だ。船体はレジェンダリアの上質なトレント素材でできている。だが、それ以上に素晴らしいのはマストだ」
「ああ。お目にかかったのは初めてだが……ありゃ多分【アムニール】の枝だな。同盟なのは知ってたが、あんなもんまでやりとりするとはね」
アムニールという名には、二つの意味がある。
レジェンダリアの行政の中心であり自然魔力の要に築かれた都市、霊都アムニール。
そしてその由来となった世界最大の巨木であり、世界で二番目に巨大なモンスターの名である。
【アムニール】。
レジェンダリアの守護神であり、神への信仰が廃れているこの大陸においてもレジェンダリアでは【アムニール】への信仰が健在だ。
「……あの【覇王】陛下でも敵に回すのを避ける。それこそが【アムニール】の伝説を証明している、か」
先々期文明が滅んでから一〇〇〇年余り、数多の国がレジェンダリアの国土を求めて攻め入ったがそれらは全て壊滅している。
理由は三つ。
<アクシデント・サークル>を始めとする異常環境に他国の者が対応できないため。
自らの生存領域において、レジェンダリアの各部族が生来持ち合わせた特異性のアドバンテージが高すぎるため。
そして、【アムニール】と【妖精女王】……レジェンダリアの地に限れば世界最強の広域殲滅型モンスターとティアンが守護しているためだ。
妖精郷レジェンダリアが、大魔境とも呼ばれる理由がそこにある。
「ま、あの【覇王】のことだ。諦めてんじゃなくてただ後回しにしてるだけだろうよ」
「……なるほどな」
【龍帝】や【猫神】と同時に相手取るのは面倒だから、それらを片付けてから相手をする、という流れは十分あり得る。
なにせ相手はレジェンダリアから動けないのだから。逃げられない獲物を後回しにしているだけである。
「木材は後回しにする対価、か」
【アムニール】は自らを信仰するレジェンダリアの民に対し、時折その枝を譲り渡すと言われている。
それらは国宝扱いであり、市場には滅多に出回らないが……木材としては最高位の素材であるために、稀に世に出た時は天文学的な値段を叩き出す。
そして船団には、そんなものをマストに使った帆船が五隻も与えられている。
大盤振る舞いにも程がある。
「あれらの帆船ならば、通常航行で大陸を一周することに問題ない」
「遠回しな処刑にするつもりはなく、本気で俺達に一周させる気なのは確かってこったな。資金も潤沢だ」
「準備は進んでいる。我々が船員を訓練する間にン・レフト氏が食料の買い付けに回っているからな」
この世界の航海において、地球の航海によくある『物資の枯渇』はほぼ存在しない。
なぜなら、アイテムボックスが存在するからだ。
高級なものになればなるほど、大容量かつ内部の経過時間を遅くできるのがアイテムボックス。
それゆえ、アイテムボックスと物資を買う資金さえあれば、物資が枯渇することはない。
加えて、海水をろ過して真水にする水属性魔法や錬金術までもある。
それこそ、『船員全員が船上で毎日風呂に入る』といった地球の航海史では冒涜とすら言える行為も可能。
付け加えれば、日々の入浴によって不衛生が原因の病気が船内に流行ることもなかった。
そう、内的要因に問題はまず発生しない。
船の性能も物資も不足なく、通常ならば問題はない。
だが……危険の全ては船の外にある。
「で、あんたは今のあいつらで海のモンスターにどこまで対抗できると考えてる?」
「……ジョブを取得し、ジョブクエストも受注。基本的な操船に関してはこの一週間で教え込んだ。……亜竜までなら、損なうことなく対応できるだろう」
それはつまり、純竜以上と遭遇すれば五隻の船のいずれかを欠く危険すらあるということ。
そして、純竜クラスは海ではさして珍しい存在ではない。
そもそも、この海において船などは弱いもの。
強力な戦艦があった先々期文明や、あるいは逆に数百年後ならばともかく、後に三強時代と呼ばれるこの時代の造船技術では海の危難に対抗するのは難しい。それはレジェンダリアの最高の木材で造った帆船でも例外ではない。
例外は、侵略国家アドラスターが一隻だけ所有するという先々期文明時代の船……【覇王】の御座船だけだ。
「へっ、本気で俺達に周回させる気なら、あの巨大戦艦を貸してくれてもいいだろうによ」
「フッ……」
マシューの軽口に、ライト少佐も軽く笑う。
冗談だと分かっているからだ。
「都市級戦艦だったか。たしかにアレがあれば、航海の危険度も下がっただろうがな。そもそも発掘してからずっと修復を続け、未だ艤装が終わっていないらしい」
巨大戦艦は彼らが訓練を行い、そして旅の出発地でもある港町の一角で修復作業を続けている。
そもそもこの街……侵略国家アドラスター最南端の港湾都市フェイデン自体が、そのために造られた街だ。
造船に秀でた者や技術者が集まり、巨大戦艦を修復する傍ら造船に励んでいる。
船団が扱う船もその過程で作成されたものだ。
もっとも、殆どの船は大陸に沿ってレジェンダリアや他の支配都市との航路を結ぶか、黄河の港町を攻める軍船として作られたもの。
外洋や大陸一周航海を目指して造られたものは一つとしてありはしなかった。
「海は陸以上に未知の魔物が棲む。保証なんざないも同然だ」
【覇王】が五隻の船を預けたのも、その内の一隻でも一周すればいいということだ。
八割は沈む計算。そんな計算でも発言者が【覇王】本人でなければ、希望的観測が過ぎると注意されることだろう。
なお、首を斬られることを恐れて誰も否定的発言はしなかった。
「最悪、我々が盾になってもバロア代表の乗る旗艦は守らなければなるまい」
「まぁな。しかしバロアの坊主、なんで旗艦を中央に配置しやがるかね。しかも頑として意見を曲げねえ」
彼らの船団は、旗艦を中心に前後左右に一隻ずつという配置になっている。六〇〇年後に増加する<マスター>達が見れば『輪形陣』、または『インペリアルクロス』と呟く者もいただろう陣形だ。
中心の旗艦は他の四隻に囲まれて最も安全……ではない。
むしろ、最も危険だ。
なぜなら、太刀打ちできないほど強大なモンスターが現れたとき、四方を他船に囲まれていることはマイナスでしかない。
バラバラに散って他の船を囮にして逃げるしかないという最悪の状況になったとき、逃げ遅れる公算が高い。
それに海中を忍び寄って船を一瞬で海底に引きずり込む巨大モンスターも、珍しくないのだ。
「通信魔法なども使えない緊急時、旗艦の手旗・発光信号を他の四隻が遮られることなく視認できることに拘っていたな」
「……それもあの予感って奴かね。コル・ネートのおっさんは何か分かったような顔してやがったが」
「さて、な。だが……バロア代表の判断を完全に否定する気にはならない。どこかで納得してしまっているよ」
「それもバロアの不思議なところだな」
自分達を指揮することになる少年の姿を思い浮かべ、マシューとライト少佐はどちらからともなく苦笑した。
「ま、こちとら名の知れた大海賊。一度始めた大航海、止める気はさらさらねえさ」
「こちらは軍人だが、同じく海を生業としてきた者。……正直に言えば、この航海そのものに覚悟と不安以外の感情がないとは言わんさ」
「おう! 分かるぜ!」
「確率は低かろうが、五隻揃って一周してみせればさぞ痛快だろう」
「いいねえ! やってやろうじゃねえか!」
その晩、海賊と軍人は酒杯を打ち合わせて笑い合い、未来への覚悟と希望を確認し合った。
◇
マシューとライト少佐が酒杯を交わしているのと同時刻。
船団の旗艦となる船の船長室で、バロアは卓上で何かを確認していた。
彼が卓上に広げているのは、世界地図だ。
もっとも、世界地図と言っても大陸の概形と申し訳程度の海しか描かれていない。
海流などの情報なども記載されておらず、それどころか海にはまるでノートの余白の落書きように、島国である天地の半分ほどの大きさの海蛇が描かれている。
もっとも――それこそがこの地図で最も重要で確かな情報であったが。
「……三日後、かな」
バロアが呟いたのは、大陸一周航海の出発日だ。
それは船団メンバーの航海への習熟度合いと予想される航行速度、加えて……バロア自身の予感によって導き出されたもの。
そのタイミングでなければ航海の達成は困難……不可能であると、予感が告げている。
「…………」
予感は、他にも告げている。
きっとこのままでは足りない。
決定的なピースが欠け落ちている、と。
「……それが何かは分からないけれど」
予感は予感だ。
具体的にイメージできるものではない。
しかしそれも含めて、三日後が最適であると告げられている。
「あとは、その時次第……かな」
欠けたピースが何であるか。
この航海の先に待ち受ける運命が如何なるものとなるか。
そして、予感通りに行き当たってくれるか。
「…………」
カチリと、音がする。
それはバロアから発せられた音。
あの【魔将軍】や【覇王】といった死の脅威を前にしても自然体であり続けたバロアが……今、静かに恐怖を覚えて歯を鳴らしたのだ。
「陛下は災害のような人だったけれど、人であることに変わりはなかった。……でも、この航海の最後に行き当たるものは……人じゃない」
バロアの指がフェイデンを指し、それから<南海>、<西海>、<北海>を順になぞり、<東海>へと至り、……そして最後に落書きのような海蛇を指した。
「…………やるしかない」
不安定な綱渡りだが、その綱には船団の者達と収容所の数千の命が乗っている。
落ちるわけにはいかない。
バロアは小さな手のひらを握りしめて、己の決意を固めた。
◇◇◇
□<南海>・後方船
バロアが決意を固めた日から三日後、船団はフェイデンを出港し、大陸一周航海を開始した。
出航から三時間を経た今は、<南海>の洋上……とも言えない海域を航行している。
船団が進むのは<南海>の一部であるが未だ大陸からさほど離れていない海域であり、陸地も見えている。
この航海は大陸から大陸へと渡る地球の航海ではなく、大陸を一周する航海。
それゆえ、ある程度の海域では陸に沿って船を進められる。これは航海にまだ不慣れなメンバーもいる船団にとってはかなり助かることだった。
全ての海域でそれが出来るわけではないが、少なくとも出発して間もない今の時期にそれができるのは幸運だ。
「今のところは訓練どおり、だな」
十字に配された五隻の船の内、後方に置かれた船の船首でマシューは他船の様子を見ながらそう呟いた。
彼の部下である元海賊達が多く乗ったこの後方船は、他船が警戒しづらい後方への警戒を厳としている。
以前から彼をトップとして動いていただけあり、操船や船上の動きも慣れたものだ。
同様に右方船にはライト少佐が、左方船にはン・レフトが中心となっており、その指揮ぶりには問題ない。
そして中央船の指揮はバロアが執っている。まだ少年であるバロアだが、彼の指示を受けて中央船の船員はスムーズに動いている。
恐らくは自分達同様に、バロアの纏う雰囲気によるところが大きいのだろうとマシューは考えた。
「才能って奴かねぇ。しかしこうなると……見えづらいが……やっぱり前方船が一番のネックだな」
前方船の指揮はライト少佐の副官だった軍人が務めているが、どうにも動きがぎこちない。速度をはじめとする船の性能も引き出せていいところ六割といったところだろう。
「訓練から分かっちゃいたが、前方船を配置換えするとそのまま置いてっちまいそうだ」
だからこそ前方に据えて、他の四隻がその船速に合わせて動いている。
また、右方船と左方船が前方船の分も前方に警戒を向けていた。
「俺のところは一蓮托生の海賊稼業。アイルのところは訓練された軍人。バロアとおっさんは……まぁそれぞれの才能や手腕でバラバラの連中をまとめてんだろうが。前方船だけはそうはいかねえか」
元々がバラバラのメンバーであり、それをまとめきるのは軍人であるライト少佐の副官でも厳しいだろう。それをするには余程のカリスマ性と指揮能力に秀でた人材が必要だ。
かと言って、元軍人や海賊のメンバーもさほど多い訳ではない。二隻をまともに運用するのでやっとだ。
「前方船のメンバーを他の船に乗せ換えて、あの船はどっかで使い捨てる手もあるんだがな」
船の数は限られているが、それ以上に人命の方が今後を考えれば重要だ。
ならば無理に五隻を動かさずに、四隻にまとめてしまうのも手ではある。
実際、そういう案も訓練中には出た。
「けど、バロアの奴はそれをよしとはしなかった」
バロアは『きっと大丈夫ですよ』と、四隻案を提案したマシューに笑いかけた。
「大丈夫っつってもな……。前方船を指揮できる人材が甲板から生えてくるわけでもあるまいに」
「へへ、だったらお頭は嫁さんでも生えてきてもらった方がいいんじゃないですかい?」
「そんなアルラウネみたいな嫁さんは御免被る!」
横合いから部下がそんな軽口を言ってきたので、ポカリと部下の頭を叩きながらマシューは軽口で返す。
どちらの軽口が面白かったのか、近くにいた部下達は笑い出した。
(……しかしそうは言ったものの、この船はあの【アムニール】の枝やレジェンダリアの木材で出来てる。エレメンタルモンスターが湧くこともあるかもしれねえ)
フェイデンの造船所がきちんと処理していればないことだが、少しだけマシューは不安になった。
(……レジェンダリアといえば、船団のメンバーにもあっち出身の連中がいたな。数は多くないが……たしか前方船と中央船に分かれて乗船していたはずだ)
彼らはいずれも単一の部族の出身だった。
というのも、少なくとも今現在のレジェンダリアはアドラスターの同盟国であり、その民を奴隷とするのは比較的避けている。そもそも、奴隷狩りに領土に入ることもできない。
しかし、レジェンダリアから追放された部族も存在する。
そうした部族はレジェンダリアの庇護下から外れ、国土の外で奴隷狩りの対象となってもレジェンダリアは関与しない。
(たしか、ラ……ラフ、…………ん?)
部族名を思い出そうとするマシューだが、その思考は遮られる。
後方船の数百メテル先を進む中央船から……喧騒が聞こえてきたからだ。
「通信魔法!」
即座に異常を感じ取り、部下に指示を飛ばす。
「……駄目だ! 妨害されてまさぁ!」
「だったら手旗信号だ!」
「へい!」
後方船の船員が手旗信号を送る。見れば、右方船と左方船も同様に動いていた。
そんな三船に対し、混乱の中で中央船のマストから返ってきた信号は……。
【ワレ キシュウ サレリ】
――窮地を報せるものだった。
To be continued
 




